1日で30人相手する日も…異国に売られていった日本人少女たち「からゆきさん」の売春の実態【後編】 (2022年5月24日) - エキサイトニュース (excite.co.jp)

 

19世紀後半、主に長崎や熊本から

東アジア・東南アジアに渡っていった

日本人娼婦「からゆきさん」

この中には、10歳以下の幼い少女もいました。

その最盛期は明治末期であり、

主な渡航先は、

シンガポール、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、

タイ、インドネシアなどアジア各地で、

さらに遠くシベリア、満州、ハワイ、

北米(カリフォルニアなど)、

アフリカ(ザンジバルなど)に渡った例もあります。

 

特に大変だったのが港に船が入った時で、

どこの娼館も満員になり、

一晩に30人の客を取った女性もいます。

客の1人あたりの時間は3分か5分、

それよりかかるときは割り増し料金の規定でした。

休みたくても休みはなく、

ある からゆきさんが当時を振り返って言った

「月に一度は死にたくなる」という言葉に、

当時の過酷さが表れています。

 

日本女性を売り飛ばしてお金にしようと発案したのは、

福沢諭吉。(富国強兵の時期に、兵器購入資金を作るため)。

三菱財閥(日本郵船)と明治天皇一族(皇族)が、

それを実行したのです。

1900年初頭から、天皇の命令で、

「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活ができる」

という宣伝がなされ、

それを信じた数万人の女性たちが

売春婦として売り払われたということです。

 

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