睦仁親王の写真とされる人物は、
実は伏見宮貞愛親王だということです。
リンク先の記事によると、伏見宮貞愛親王は
“孝明天皇の養子”となったとあります。
このことから、
伏見宮貞愛親王が睦仁親王ではないか
という考えも出てきますが、
わたしは、「伏見宮貞教と鷹司積子との子」を、
孝明天皇が養子としたのが、睦仁親王だと考えています。
今上天皇は徳川家です。
明治維新の正体が書かれています。
これは記事とは関係ありませんが、
徳川慶喜の養子で徳川慶頼の実子・
家達の兄である箕作奎吾が、明治天皇。
これが本物の践祚大嘗、天子の舞。
この写真は、本物の祐宮睦仁(満14歳)が、
1867年2月13日の践祚大嘗において、
明治天皇と英国留学生の箕作奎吾は、そっくりです。
箕作 奎吾(みづくり けいご)
嘉永5(1852)-明治4(1871)
英学(幕府開成所教授手伝 中村正直門下 イギリス留学)
明治4年6月14日死去 行年20才