「病」とは何なんだろう。
肉体や精神が、障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、
健康な日常生活が営めない状態とある。
最終的には死へと繋がることで苦しみや悲しみを感じる人も居るだろう。
そうでは無くも、日々の不快感や痛みや不安に襲われる場合もある。
では、健康な日常生活とは如何なる状態を言うのか。
苦痛や不安や不快感が無い状態を言うのか。
ならば、それらが全く無いと健康だということなのか。
公園を飛び回る子供たちをみていると、不安や苦痛や不快感など全く感じられない。
60を過ぎ、同じように過ごせたら「健康だ」と言えるのか。
私の場合、幸いにも苦痛や不快感は全く無い。
むしろ、子供たちよりも「無いのではないか」とも思える。
あるとすれば「不安」が最も大きいとも思える。
ならば、その「不安」を取り去れば「良い」となるのか。
当然、子供たちのように飛び回ることは出来ない。
子どもたちには「お金の不安も無い」
ならば、お金の不安も感じなければ「良い」となるのか。
結論を結めば、結局は、精神的な「不安」を取り除けば「健康だ」と言えるのか。
中には、飛び回れないことが不安で不満となる人も居るだろう。
日々襲う痛みに「苦しみ」を感じる人も居る。
日々、眠れない夜に「不安」や「苦しみ」を覚える人も居るだろう。
他人の視線に、「苦痛」を感じる人も居るかも知れないし、
明日、落とせない手形に「眠れない夜」を過ごす人も居るかも知れない。
それらの「全て」が解消すれば、少なくとも「悲しみ」も消えるのだろうか。
60数年の時を過ぎ、私は「それら全てを経験し」今、パソコンで文字を打っている。
人を過ぎる「時」は実に不思議だと思う。
如何なる苦痛も、如何なる不安も、現に如何なる悲しみも、
時と共に薄まり消えていく。
人が生きる道の不思議なのだ。