母の徳なのか | 夢みるバク

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日々、安らかに眠る為に・・如何に生きれば良いか、
恥ずかしながら、この歳になりて漸く気付きました。

妻は知らないが、大阪に居た頃、友人が私を指して「浪速のコロンボ」と言っていた。

理由は、スピーチなどで「余計な話が多い」という理由から。

でも、時によっては「余計な話」も必要なこともある。


以前にも書きましたが、私の母方の従兄弟の全員が医師であったか医師です。

又、母の兄に当たる伯父は九州で「赤ひげ医師」と呼ばれ、もう1人の伯父も、
北大の図書館にも保存された著書の著者でもある医師。

父方にも4人の医師が居る。


今回、母が緊急搬送された病院の院長が、103歳の母の為に特別室を用意してくれたのも、
恐らく、その伯父たちのお陰なのかも知れない。


私は、14歳から約45年、福祉や介護の世界に何らかの形で関わって来た。

クリスマスには「ビッコのサンタ」にもなりましたし、様々な縫いぐるみも被りました。


妻は妻で、大学を出て、約40年福祉の道を歩いて来ました。

私とは違い、妻には多くの人が周囲には居ます。

皇室に繋がる人達、バチカンに繋がる人達、
そして教壇にも立ったので多くの教え子たちも居る。

教え子たちは、今は施設長や園長やグループホームの経営者になっている人も居る。

また、多くの福祉業界の仲間たちも居る。

今回の妻の大動脈解離について、従兄弟たちは様々な情報をくれる。

良い意味では「心配してくれてのこと」だとは思うが、
聞かされる私は堪らない。

そして、妻の周囲の人からは「クリスマスカードが来ない」「年賀状が来ない」
それだけで、「何かあったのですか」「お元気ですか」と問い合わせが入る。

まさか、従兄弟たちの言葉を伝える訳にもいかないし、詳しい状況を伝えるにも、
病院からの説明も無い。

合わせて、今回の母の救急搬送。

そして、私自身の病のこともある。

私は一瞬「俺は浦島太郎になったのか」そう思え「現実・現世を生きているのか」
そんな混乱も襲い掛かる。

私の頭は、そんな繊細な頭では無い。

頭の対応が追い付かないのである。