互いに満たし合える夫婦は多くはいない | 夢みるバク

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日々、安らかに眠る為に・・如何に生きれば良いか、
恥ずかしながら、この歳になりて漸く気付きました。

時折、目覚めた瞬間「此処は何処❔」と思う時がある。

主に、日本に居た時の夢をみていた時。

幸い、「私は誰❔」は最近無くなった。



互いに満たし合える夫婦はそう多くは無い。

精神的というか、そちら方面でね。

「そんなことは当たり前」「それが夫婦」と片付けてしまうと話は終わりになります。

先ずは、「結婚するのだから、互いに理解し合いたい」ここが、既に幼い。

私たち夫婦も初めは、そんな幼い夫婦でした。

例えば、私が「ワクチンは打たないよ」と言っても「手術は受けないよ」と言っても、
妻は決してその理由は聞きませんでした。

「え、そうなの(・・?」それが精一杯だったんだと思います。

つまり、初めの時点で理解は出来ず、理解しようとも考えないのです。


昨日はふじ子フェミングウェイの札幌コンサート、私と行く筈だったものですが、
きっと、お友達と行ったことでしょう。

こんなことで、ゴタゴタ書くのもなんですが、多くの人はお判りでしょうね。

男と女は頭の作りも考え方も真逆なほど違う場合も多い。

よく、「男の脳は目標を決め、問題解決」一方女は「プロセス思考共感型」とも言われます。


多くの場合、男の言葉に裏はありません。

幾度となく書いて来たように、男は単細胞精子が元々の姿。

例えば「おかずって、これだけなの(・・?」「このゴミ、俺が全部捨てるの❔」

おかずが、少ないと言う積りもなく、
この俺がゴミを捨てなくちゃならないの❔、嫌だな面倒だよ、偶にはお前が捨てたら・・
そんな裏の言葉は何処にも持ってはいないのです。

奥さんへの批判が込められているのではなくて、単なる確認をしているだけ。

ですから返事は「うん、そうだよ」だけで良いんです。

逆に男性は、奥さんが取引先の顧客の女性だと思えば良い。

何を言っても、兎に角「NO」とは絶対返さず、「あぁ、そうなんだ」「それは大変だったね」
それだけで良いのです。

奥さんが「共有出来ている」そう確認出来れば良いのです。


とにかく、様々な記事に、様々な書籍にも、専門家と呼ばれる人の難しい意見も多いですが、
私は思うのですが、そもそも全ての人類は、生まれた時から1人なんです。

ましてや、自分が望んで生まれた訳でも無く、将来こんな人生を歩みたいとも考えてもおらず、
言わば、偶々全く未知の世界で、精子と卵子が出会い生まれた訳です。

そんな他人同士が「理解し合える訳が無い」

そもそも「相手を理解する」がどういうことなのか「愛してる❔、うん愛してるよ」
それは、どういうことなのか、誰にも芯の処は理解出来ないのです。

「この人と一緒に暮したい」「この人と一緒に居たい」その感情さえ何故起こるのか。

初恋と言う感情についても、「何故、惹かれるのか」「何故魅力を感じるのか」
よくよく思い出して考えてみると「不思議だ」とは思いませんか。

何とも、言葉には出来ない不思議なものを私は感じるのです。

従って、男も女も、夫婦と言う役目を終えたならば、互いの存在を認め合い、
思い遣りと愛おしさを残し、自由に空へ羽ばたくのが最善の道かと思えるのです。

「自由に」という所も大切で、ご主人の理解力も肝心となりますけどね。

少なくとも、子供を育て上げた女性は男性の道具でも無いし、所有物でも無い訳ですからね。