私と同じ理由では勿論無いでしょうが、57歳の時、胃癌で胃の4分の3を取り、
長年連れ添った奥様と別居を決め、奥様の願いで再度同居を決めた小椋佳氏という人が居る。
私の胃の手術は62歳。
私の場合は「せめて半摘は」と言う医師に逆らい、胃の患部のみの切除。
従って、小椋氏のような食事の不自由は無く、好きなものを好きな時に食べれている。
私の起業家時代、メインバンクは当時の第一勧業銀行だったのでよく存じています。
彼は、死の淵を歩いたことで「一人生きてみよう」と決心したと後に語っています。
また、別居した奥様と週末だけ一緒に過ごす「週末婚」もお勧めでした。
57歳にもなっての別れを辛いと泣かれたと言う奥様。
そして、再度「短い命を同じ屋根の下で暮らしたい」と言われた奥様。
勿論、そこまで厳しい視線を奥様に向けるのは、一般的には酷なことも常識でしょう。
でも、もしも、小椋氏が、そんな厳しい視線を何処かで求める人だったら・・
大変厳しい想像で、失礼とは思いますが、
矢張り、小椋氏の本心を奥様は理解出来ていないのかも知れませんね。
死を覚悟した人の気持ちは、矢張り覚悟した経験が無いと理解出来ないのかも知れません。
そう書く私も、元妻の本当の気持ちは、理解していると思っていただけで、
全く理解出来ていないのかも知れません。
残された短い命を生きていると感じていた頃、
小椋氏は盛んに「こうして、生きていることが実に不思議た」と語り、
毎朝目覚めると「俺はまだ生きているんだ」と思ったとも言っています。
そして、最後に彼の関心事は「心臓」となり、心臓の鼓動への不思議が頭を巡ったそうです。
そして、一時期、昔は言ったノイローゼになったとか。
私が、同じような精神状態からノイローゼになったのは18歳か19歳の時。
心臓の鼓動に意識が向くと、今で言う「鬱状態」に誰もがなる。
最近、78年生きて、「もうくたびれました」。
「人生は苦しく、ただしんどい」だけ、そうも語っています。
この「しんどさ」には、周囲の殆どの人にも理解されない「しんどさ」も入っているのでは。
そう、私には思えて仕方ないのです。
勿論、私の大変失礼で無知な思い込み・推測など当たっていないことを祈りますが・・
例え、それが最愛の妻であろうと家族であろうと・・理解は到底無理なんですね。
そもそも、そんな自身の気持ちを理解して欲しいと願う事が、間違っているのでしょうか。
単なる身勝手な思いなんでしょうか。
そして、「最後はポックリ逝きたいんだよな」と。
「シクラメンのかおり」のかおり」は奥様のお名前から思い付かれたようです。
生意気ではありますが、この方が言われた言葉、何となく分かるような気がするものばかり。
人として生きることの「しんどさ」も分かるような気がしているのです。
人が生きるということは「実にしんどいこと」なのです。
大きく深く、広い広い意味でもですが・・
そして・・人は、表の顔だけで本心は判断は出来ないものでもあります。
この人も、小椋氏と同じように、心は実に温かな人だと思いますよ。
ご本名は善人(よしひと)さんです。
人は、結局は「一人」なんでしょうかね。
吉幾三さんが作った名曲「雪国」の本当の歌詞を紹介しますね。
♬好きよ あなた 駄目よ そこは♬
♬耳の穴よ♬
(^^♪駄目よ そこは 鼻の穴よ(^^♪
♪もっと下 もっと下♪
♫そこは 臍でしょ♫
この歌詞も、ある意味で、本物の男でないと決して理解は出来ない、
男の本当の人の優しさが分かる「歌詞」なのかも知れませんね。