(2024/02/25)

(2024/07/05.第4回投稿)





「空手を学んでいます」と自己紹介すると、「極真ですか?」とよく聞かれる。“空手イコール極真”、という認識が一般的になっているのかと思うと嬉しくなる。










ところで…、


極真なら「そうです。」と答え、違うなら「違います。」と答えればいいものを…、

「う~ん…、極真じゃあないけど、極真系なんだよね。」とか「師範はもともと極真出身なんだ。」とか、聞いてもいないのに説明したがる人を多く見てきた。

「極真じゃあないけど極真と関係がある空手」ってなんじゃそりゃ?。


つまり、「極真の○ッタもん」か~い(笑)。






大山倍達極真会館総裁のご生前に、極真を離れ自流を立ち上げる師範たちは少なくはなかった。それをとやかく言うつもりはない。それぞれの先生たちがそれぞれの理想に向かって突き進めば良いことだ。

ただ、僕が絶対に許せないのは、彼らを一括りにして、“元極真”だの“極真系”だのと定義付ける世間と、元極真·極真系の括りを否定せず“極真”という名前の威光に寄っ掛かっている先生たちである。


自分たちの追い求める理想が極真に無いと思ったから、極真を飛び出して自流を立ち上げた、それならば何故?、元極真·極真系などという括りにされて屈辱に感じ無いのか?。


“正道会館”も“芦原会館”も“士道館”も、それから東北に本部を持つ“ナンチャラ”とかいう道場も、自分たちは極真から派生したと自己紹介するが、



それとは真逆に、極真の側が…、








正道会館を派生させた、









芦原会館を派生させた、








士道館を派生させた、




それから、








東北発祥のナンチャラとかいう道場を派生させた、



などと言うことは、絶・対・に・無・い!。




極真 と 元極真·極真系 とではそれほど違う。






そう言われて悔しいのなら、なぜ、極真は極真、俺たちは俺たち、俺たちは極真と関係無いと言えないのだろうか?。



俺たちを元極真などと言うな!、


俺たちを極真系などと言うな!。



と、公表出来ないのだろうか?。