(2017年6月13日10:49投稿記事)
(2024/06/09,編集し再投稿)
6月13日は「小さな親切の日」だそうである。
う~ん…?、
正直な話をすれば、親切って難しいなぁ。
親切が大事なことであることはわかる。
親切は、かけがえのない人間関係の絆を、より深くするものだ、というものは分かる。
そう、わかっているのだ…。…わかっているのだが…。
ただね…、
とっても残念だけど…、最初っから他人様の親切をあてにして、それを計算に入れて生活設計する人っているんだよ。
昔、西池袋の極真会館総本部に通っていた頃の道場仲間で、自称・日系イギリス人という人がいたんだけどね…。
彼はまあ…、
もちろん英語も日本語も堪能なうえ、やはり、考え方が民主主義・自由主義に徹底されていて…、
思想の自由・言論の自由・表現の自由に裏打ちされた話術がとても上手く、稽古が終われば、この私も含めた気の合った仲間同士で中華食堂に行き、そこで私達に彼は熱弁を振っていた。
彼は民主主義の目線から、
道場内における理不尽な封建主義、行き過ぎた上下関係を問題視し、本部に在籍している一部の実力派の先輩たちを批判して、聞いてる私達も一理あるなと納得していたんだが…、
ところが、これがとんだ食わせ物で、実際、道場内の評判では、彼も同じように、稽古中に初心者に胸を貸す時は、実力差があるのにも関わらず、情け容赦の無い攻撃をしていた。
また彼は、
「小さな貸し借りにこだわるようでは、度量の大きな人間には成れない。」
などと、言いながら、私によく食事を奢らせた。
口先では理想論ばかりを言うが…、実際は中身が伴っていない人物、というのが私の彼への最終的な印象だった。
ところで…、彼の空手道の力量はというと…、
彼の技は、力任せの突きと下段廻し蹴りだけで、中段の蹴りすらにたまにしか出さず、
上段蹴りに関しては…、上段廻し蹴り、上段前蹴り、上段の踵落とし、上段後ろ廻し蹴りなどなど、、、一・切・出・来・な・か・っ・た!。
彼は、極真会館総本部に何ヵ月も月謝を滞納したまま、稽古だけは行いに通い続け、結局月謝を滞納したまま踏み倒して、去って行った。(まあ、本当にイギリス人なら、帰国したのかな?。)
彼という存在に会ってから、私はしばらく人間不信になった。
“人は他人の親切の上にあぐらをかいて、自分は甘い汁を啜るもの。”
そんな概念が頭から離れず、人に親切をするのが怖くなった。
長い間、自問自答の葛藤が続いた。
その長い葛藤の先にたどり着いた答えは…、
「やはり、人は人に親切にするべきである。」
「ただし、大きな親切は、自分自身を圧迫で壊してしまい、相手も甘やかし堕落させてしまう。」
「小さな親切が大事である。」
小さな親切。誰にだって出来る親切。無理をしない親切。
それが大切なんだ。
「挨拶をする。」
「感謝の言葉を言う。」
「電車内で席を譲ってあげる。」
「落ちていたゴミを拾ってあげる。」
そんな小さなことでいいんだ
「大きな親切は、自分自身を圧迫で壊してしまい、相手も甘やかしで堕落してしまう。」
「小さな親切が大事である。」
小さい親切でも、親切は親切だ。そのことには誇りを持てばいい。そして、できないことはできないと言えばいい。
そうだねぇ~、ちょっと、変な例になっちゃうけど…、
「あなたに100円のアンパンを買ってあげることはできるが、500円のダブルバーガーを買ってあげることはできない。100円のアンパンでよければ買ってあげますよ。
と、それで十分だと思う。それでも相手が、
「500円のダブルバーガーでなければ食べない。
などと言おうものなら、
「それじゃあ勝手にしてください。さようなら。」
と言って、その場を立ち去ればいいのだ。そして、少なくとも100円のアンパンを買ってあげようとした自分の親切心を、誇りに思えばいい。
それでいいのだ。誰に恥じることもないのだ。それで胸を張れば良い。