音痴の合唱 しょぼん


 私は、音痴である。それも、音楽だけではない、方向音痴に運動音痴、あらゆる音痴が付きまとっている。その中でも、音楽に関する限り、うそ偽りのない音痴である。いつも一緒に暮らしている神さんからそうだと認められているのだから、これほど確かなことはない。神さんから、「絶対に人前では歌うな」と言われて以来、滅多に歌うことはないが、時たま酔っ払った勢いでカラオケに合わせて歌っていると、一瞬店内がしーんとなってしまう。まるでお通夜の席上の様な重苦しさが、店内に漂い始めるのだ。そして、私と目を合わさないように、皆が目を伏せてしまう。しかも、ご詠歌に間違えられるくらい、リズムも音程も外れている。店内のお客は失笑を隠すために俯いたままで、焼香が始まってもおかしくない雰囲気になってしまう。マイクを手にしたまま、何が起きているのか分かったことで頭が真っ白になり、おまけに声まで出なくなる。恥ずかしくて歌を途中で止め、その場を茶化して誤魔化すので精一杯なのだ。


 考えてみると、親父も音痴でした。親父が録音した歌を初めて聴いた時、これはお経に違いないと思った。お経でなければ、謡いに違いないと思ったのである。だが、その頃の私は、自分も同じ程度か、それとも親父以上の音痴なのかが、まったく分かっていなかった様に思う。そして、社会人になり、自覚することになったのである。


 自分が音痴だからと言うのではないが、音痴について考えてみました。


 一般的に音痴というのは、音程の違いが分からないでずれてしまう、いわゆるメロディ音痴を指すことが多い様である。だが、その他に、リズムが調節できないことを、リズム音痴という。声量の調節ができない、特定の音域を出せない、または声が何の前触れなしに不自然に裏返ったり、いきなり本人の承諾なしに声量が突然小さくなったりすることがある。このようなケースも全てひっくるめて音痴と呼ぶ様なのである。いずれにしても、これらの感覚や能力が劣っていると、歌が拙く聞こえてしまうことが多い。いや、私の場合は、完全に拙いのである。たまに思う、実際は上手なのに、自分の歌声や表に出て歌うこと自体が恥ずかしくて、他の人の様に歌えないのではないだろうかと。いやはや、酔いどれロバさんには恥がない様です。


 そこで私は、自分にだけ歌える唄を、半日かかって作詞した。


    音痴の合唱
(縄野 簾 作詞 酒乱同好会 唱歌)


おんちのうたが
きこえてくるよ
ウエッ ウエッ ウエッ ウエッ
ゲロゲロ ゲロゲロ ゲロゲロ
ウエッ ウエッ ウエッ
(如何にも、吐きそうに歌うのがコツ)


 どうです、伴奏がなくても歌える良い歌でしょう。酔いどれロバんは、この唄は必ず世の音痴族の間で大ヒットすると思っているのであるが、これまでのところ、レコード会社からは何も言ってこない。