今の時代、評価尺度は色々あります。絶対評価に相対評価等々、だが評価のない世界はありません。特に、新人賞は、それの結果なのです。
私の原稿と貴方の原稿を比べることが難しい様に、評価尺度には色々な基準があって、お互いが簡単に納得出来ない面が多々あります。
文学界の頂点と言われる直木賞や芥川賞を狙う人たちだけでなく、賞にはまるっきり拘らないない立派な作家の人たちもいるのも確かです。
その間には両極端の評価を受けて時代の寵児となっている不思議な人たちがいたり、プロとしての評価を受けながらほとんど本を出さず、ただ出版社の開く宴会に出席するのを楽しみにしている人もいるそうです。
一つの評価尺度で作品を比べられない、典型ではないかと思います。
評価されないことを良いことに、一人の物書きとして、私の偏見に満ちた愚痴を書かせて頂けるのが、このブログだと思っています。
さて、誰かも評価をされない、意見を頂けない私の様な人間でも、きちんとした情報を集めて筋書きを組み立てる限り、素質があれば不採用になることはない筈なのです。ところが、常に壁に突き当たっている。原稿不採用という壁がそれだが、出来の悪い作品を応募すればそうなるのは当たり前なのだが、それ以外に、あまりにも日常生活とかけ離れた想像の世界との接点を見つけられないことが原因になっているのではと思っています。
自称物書きの10人に壁を突破する方法(採用される方法)を訊けば、10人とも自信を持って全く違うことを教えてくれるでしょう。
ありがたいことに、その人にとっての真実を、声を大にして教えてくれるのです。その助言を無視することは、私にはとうてい出来ないでしょう。
そこで私は、比べようもない助言を比べ、八方うまく治め、そしてそこから自分にあった方法を採り入れなければならなくなるのです。
新人賞公募は、他の公募と比べると評価尺度が出版社によってまちまちなのです。色々な拘り方があり、こうでなければならないと言う尺度はありません。同じ原稿なのに、出版社によって評価が極端に違うのもそうです。
最初に書きたいと思った素直な気持ちを、そのまま具体化すれば良い筈なのだが、いつの間にか出版社の経営方針に迎合している。
私の場合は、出版社の経営方針など知り得ないのだから、ただ自分だけの力で何処までも何処までも書いていく以外にないだろうなと思っている。
そうするのには理由がある。それは、原稿を書いていると、見ず知らずの、それも多くの多くの作家志望の人たちと知り合えるからなのです。
たぶん、その人たちも、私の様に物書きを続けながら、幾つになっても書いていたいと言うのが夢ではないか、と勝手に想像している。
素直にそれに従ったら、物書きは自分にぴったり合ったものを自分で書かなければならないと言う結論になった。この様な考えでは、次回の応募作品も間違いなく落選でしょうな。
仕事の関係とか、世間のしがらみがこれありで、深く物書きにのめり込むことの出来ない原因に上げられるが、私にはそれらをみんな止めにして物書きに没頭した方が、素直な人生に思えて仕方がない。
最近、小学校の時の恩師にお会いした。私は変な子どもだった、他の生徒と比べられることをすごく嫌っていたとお聞きした。そうだったのかと、今更ながらに思う。悪く言えば、自分勝手な人間だったことは間違いありません。
だが、それでも良いのです。自信を持って我が道を行けば良いのです。
私の原稿と貴方の原稿を比べることが難しい様に、評価尺度には色々な基準があって、お互いが簡単に納得出来ない面が多々あります。
文学界の頂点と言われる直木賞や芥川賞を狙う人たちだけでなく、賞にはまるっきり拘らないない立派な作家の人たちもいるのも確かです。
その間には両極端の評価を受けて時代の寵児となっている不思議な人たちがいたり、プロとしての評価を受けながらほとんど本を出さず、ただ出版社の開く宴会に出席するのを楽しみにしている人もいるそうです。
一つの評価尺度で作品を比べられない、典型ではないかと思います。
評価されないことを良いことに、一人の物書きとして、私の偏見に満ちた愚痴を書かせて頂けるのが、このブログだと思っています。
さて、誰かも評価をされない、意見を頂けない私の様な人間でも、きちんとした情報を集めて筋書きを組み立てる限り、素質があれば不採用になることはない筈なのです。ところが、常に壁に突き当たっている。原稿不採用という壁がそれだが、出来の悪い作品を応募すればそうなるのは当たり前なのだが、それ以外に、あまりにも日常生活とかけ離れた想像の世界との接点を見つけられないことが原因になっているのではと思っています。
自称物書きの10人に壁を突破する方法(採用される方法)を訊けば、10人とも自信を持って全く違うことを教えてくれるでしょう。
ありがたいことに、その人にとっての真実を、声を大にして教えてくれるのです。その助言を無視することは、私にはとうてい出来ないでしょう。
そこで私は、比べようもない助言を比べ、八方うまく治め、そしてそこから自分にあった方法を採り入れなければならなくなるのです。
新人賞公募は、他の公募と比べると評価尺度が出版社によってまちまちなのです。色々な拘り方があり、こうでなければならないと言う尺度はありません。同じ原稿なのに、出版社によって評価が極端に違うのもそうです。
最初に書きたいと思った素直な気持ちを、そのまま具体化すれば良い筈なのだが、いつの間にか出版社の経営方針に迎合している。
私の場合は、出版社の経営方針など知り得ないのだから、ただ自分だけの力で何処までも何処までも書いていく以外にないだろうなと思っている。
そうするのには理由がある。それは、原稿を書いていると、見ず知らずの、それも多くの多くの作家志望の人たちと知り合えるからなのです。
たぶん、その人たちも、私の様に物書きを続けながら、幾つになっても書いていたいと言うのが夢ではないか、と勝手に想像している。
素直にそれに従ったら、物書きは自分にぴったり合ったものを自分で書かなければならないと言う結論になった。この様な考えでは、次回の応募作品も間違いなく落選でしょうな。
仕事の関係とか、世間のしがらみがこれありで、深く物書きにのめり込むことの出来ない原因に上げられるが、私にはそれらをみんな止めにして物書きに没頭した方が、素直な人生に思えて仕方がない。
最近、小学校の時の恩師にお会いした。私は変な子どもだった、他の生徒と比べられることをすごく嫌っていたとお聞きした。そうだったのかと、今更ながらに思う。悪く言えば、自分勝手な人間だったことは間違いありません。
だが、それでも良いのです。自信を持って我が道を行けば良いのです。