生き様というのは
僕にはよくわからないですけど
生き方と考えれば
さきほどもお話しましたけれども
人より頑張ることなんて
とてもできないんですよね。


あくまで測りは自分の中にある。


それで自分なりにその測りを使いながら、
自分の限界を見ながら
ちょっと超えていくということを
繰り返していく。


そうすると、
いつの間にかこんな自分になっているんだ
という状態になって。

 
だから少しずつの積み重ねが、
それでしか自分を超えていけないと
思うんですよね。


一気に高みに行こうとすると、
今の自分の状態とギャップがありすぎて、
それは続けられないと僕は考えているので。


地道に進むしかない。
進むというか、進むだけではないですね。
後退もしながら、
あるときは後退しかしない時期も
あると思うので。


でも、
自分がやると決めたことを
信じてやっていく。


でも、
それが正解とは限らないわけですよね。
間違ったことを続けてしまっていることも
あるんですけど。
でも、そうやって遠回りをすることでしか
本当の自分に出会えないというか、
そんな気がしているので。









イチローの言葉


私の中に刺さった部分。


あくまで測りは自分の中にある。


自分がやると決めたことを
信じてやっていく。



遠回りをすることでしか
本当の自分に出会えない。



私はこれまで
これが出来なかった。


いつもいつも
私のやりたいことでなく
親の許容範囲と思われる中の
私にできる範囲の中で
選択していた。


失敗することが怖くて。
傷つくのが怖くて。
損することが嫌で。
できない自分を見るのが嫌で。


そんな自分では
生きている価値がないと信じていたから。


いつも
何かのせい、誰かのせい、にして
自分で自分の責任を取ることができなかった。


自分をまったく信じていなかった。


だから、
子供達が私の知らない世界で生きるのが
本当に怖かった。不安だった。


子供をまったく信じていなかった。


当の子供達が怖がっていたわけではなく
他人である私が怖がっていた。


もちろん
子供達だって怖いし不安だと思う。
だけど、彼らはそれに立ち向かっていく。


それを見て
私は怖がっている(苦笑)


言葉では大丈夫!と言ってるけど
感情はだだもれ、、、(苦笑)


子供達からしたら
いいかげん邪魔すんのやめてくれ!
だよね(苦笑)










ようやく
子供達の人生と自分の人生を
切り離すことができた。


相当鬱陶しかったでしょうね。


それなのに、
このクソババアっ!死ねっ!
って言わなかった息子。
(心の中は知りません)


神ですね。


子供達はこれから
遠回りと思われるような
たくさんの体験をしながら
本当の自分に出会っていくのでしょう。


私が今までの体験があって
その体験があったからこそ
ようやく本当の自分に出会えたように。


すべてはムダではなかった。
すべてが必要なことだった。


そのことが腹に落ちて、
初めて心から子供達を応援し
そっと見守ることができるようになった。


だって
これから子供達に起こるであろうすべてのことは
ムダではなく必要なことだから。


私がそうだったように。


私が私を信じることができて
子供を信じることができるようになった。


本当によかった。