私が、
娘の自由にすればいい


と、言うと


夫は、
わかるよ、わかるんだけど、
好き勝手やりたい放題してたら
周りに迷惑かけるよね?
極端に言ったら犯罪だって
自由ってことにならない?
だから、俺には言えない。


と、言う。









私も自分に自由を許してなかった時は
同じように思ってた。


だから、
娘のことが心配でたまらなくて
なんとかしようと必死になってた。


娘の不登校を通して


娘のことを心配していたわけではなく
自分が心配で不安でたまらなかったこと


私が私の一部分を嫌っていたこと


私の頭が心を押さえつけていたこと
(嫌だけど)学校へ行くべき
(嫌だけど)勉強するべき


これに気づいて
不登校は私の課題ではないことを落とし込み
嫌っていた一部分を受け入れ
頭で押さえつけるのをやめて
心の声を受け入れた。


すると


私の中は、
いつでもどこでも何があっても
「自由」になった。


誰にも縛ることのできない
誰にも奪うことのできない
私の「自由」は、心の「自由」だった。








心の自由を手に入れると
どうなるかというと、


なんとも言えない安心感が
空っぽだったお腹にどーーっと入ってくる。


私は私のままで生きていいって
なんて幸せなんだろう。


こんな感じ。


こんな感じになって
こんなことになるだろうか?

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好き勝手やりたい放題してたら
周りに迷惑かけるよね?
極端に言ったら犯罪だって
自由ってことにならない?


安心感があって
幸せを感じてる人が
好き勝手やりたい放題するだろうか?
人を傷つけようとするだろうか?
人から大切なモノを奪うことをするだろうか?


確かに
心の自由を手に入れて
本当にやりたいことをやった時、
迷惑だ、と言う人もいると思う。


でもそれは、
その人が自分に自由を許していないだけ。


心が自由になったひとは
本当にやりたいこと(使命)をするだけで
渇望から湧き出る欲望を満たすのではない。


ここが決定的な違い。


自由を履き違えないように
自分と向き合って
心の自由を掴み取ろう!









縛られたくない
自由でありたい


誰に縛られている?
誰に自由を奪われている?


夫?
子供?
両親?
環境?
出来事?


どれも違う
誰のせいでもない


私を縛ることができるのは「私」だけ
私から自由を奪うことができるのは「私」だけ
自由を楽しもう🎵