セレベス島( 現スラウェシ島 )メナドに、海軍落下傘部隊が降下した日から、1周年となる日の前日、昭和18年1月10日の朝日新聞記事です。

資料が古すぎて、読めない箇所もございます。

誤字脱字あるかと思いますが、ご参考まで。


【明日はメナド奇襲の日】 激戦を語る部隊長

白傘に弾痕八十四 敵前五米・弾雨に躍込む『神兵』
帝団海軍がセレペス島メナド上陸に日本軍初の落下傘部隊の
奇襲作戦を敢行したのは昨年一月十一日であった。

フハリと大空に咲いた純白の落下傘はあでやかでさへあるが、
傘の一つ一つに全員戦死を賭した決死隊員があったのだ。

降下用意-降下-猛烈な敵弾-敵前着陸、激戦、死闘、
肉弾-敵陣地脱取-かくてわが軍初の落下傘部隊は、
銃後一億がわが軍にひそかに予想した興味に答へるに
十分な輝かしい戦果をあげた。

回り来た一周年を前に、メナド落下傘部隊の部隊長として

一番機から第一番に降下して、
敵陣に殺到した○○部隊長に武勲の陰の労苦と心労を聴く。

部隊長は「部下にも武勲を話すなといってきたが、
敵のゐないところに降下したのだらうなどといふ誤傳もあり
あの激戦に殉国の英霊となった勇士に対する禮だと信ずるに
至ったので、敢えて当時の模様を率直に語ることにした」と語り出した。
 
 自信満々戦場へ

海軍落下傘部隊は身命を賭した懸命な猛訓練を経て
十分な自信をもって戦いに臨んだ。

某基地を出発しようという数日間は連日細雨で
傘を乾かすのに苦心したが、出発の際は、
からりと日本晴の上に無風の申し分ない天候だった。
勇躍壮途についたが、やがて、一番苦手の雨がやって来た。

私の乗っている一番機から二番機が見えないくらゐ
猛烈なスコールとなり、その上風も出て、
しまひには自分の翼端さへ見えなくなった。
飛行機にはどこからともなく雨がもってくる。
傘がぬれはせぬかと何よりこれを心配した。

豪雨中の飛行一時間それが次第に晴れかヽるころ、
飛行機はいつか水面すれすれに飛んでいた。
陽光を見たうれしさは忘れない。

 
 弾丸の中に降下

大編隊の輸送飛行機隊は翼を輝かして
目的地に勇躍快翔また快翔を続けた。
降下地点はメナド市から約七十キロ南方のランゴアンの
カラビワン飛行場である。
椰子畑を切り開いて出来た余り大きくない飛行場だ。

降下高度は僅か○○メートルである。
世間の人の予想してゐるほどの高度はとてもない。
海軍では初めから予備傘を持たない。


一つの傘でしかも飛び降りた振動がまだ十分止りきら
ないうちにもう着陸せねばならない。
しかも狭い飛行場に全員はみ出さぬやう効果的に降下する。
が、かうしなければ瞬時に着陸はできない。

一秒置きどころか間断なく鉄砲の弾丸の如く飛び出す。
地上には無数の拒馬がある。
そのうち身辺へ雨のやうに敵弾が注がれてきた。
あとで傘にあたった弾丸を調べると、
一番多いのが八十四個で、普通でも二、三十は当たっていた。

 額も上げ得ぬ弾雨

傘をあやつりつヽ拒馬や竹槍を避けて着陸した。
散弾は何処からともなくピユンピユン飛んで来る。
自分の落下したのは敵のトーチカから約五米といふ近距離。
鉄兜の紐をしめ直したいと思ったが、
手を出せばその手がやられる。
それほど弾丸は近くまた多かった。

顔を地にぴったりつけて鉄兜で地を一厘きざみに掘った。
右や左が見たかったがそれすら出来ない。
弾丸の音を長年聴いている経験で、
今は一切身動きはできないぞ、と直観した。

しかし何時までもぢつとしてをれば味方全員戦死だ。
地べたに顔を押しつけたままで、左の方をやつとの思ひで覗いた。
そこに二番機の先頭に飛び下りた副官の染谷秀雄少佐がをった 。

 壮烈!死の肉弾

染谷は兵学校の時の生徒で今は副官だ。
二人で眼で合図しようとした必死の一瞬、
染谷の頭部に敵弾があたった。

僅かにゆがんだ声で『部隊長残念です。しっかりやつて下さい』といふ。
『うん、やるぞ、しつかりしろ』と返事をすると
『部隊長弾丸が少なくなった。突撃しませう』といふので
『もう少し待て』といったがそのとき既に彼は意識不明だった。

意識が消えて行くにつれ敵弾が少なくなってきたと思ったのであろう、
彼は猛然立ち上り、近くに降下した弾薬箱によろめきながら近づいていった。
染谷に向かつ敵の掃射は峻烈を極めた。
弾丸がどれほど染谷にくひ込んだか知れない。
弾薬箱にたどりつく前に染谷はばったり倒れた。

死んで染谷の手は弾薬箱にとどいた。
しかしそのとき染谷はもう何をする気力もなかった。
壮烈鬼神も泣く戦死-

 遂にトーチカ奪取

かかる間にも、あとからあとから部下が降りてくるのが僅かに見える。
力強くもあったが危険だなあと思った。
このとき横の道路に装甲車が来た。
帝國海軍初戦の落下傘部隊に汚点をつけてなるものかと、
厳粛な気持ちに胸がひきしめられた。

右方では米原中尉が悲壮な面持ちで、
突撃に移らうと機をうかがってゐる。
俊敏な中尉は地ならしの十分でない地点を見つけ、
その低いところに跳び込み、
さらに機を見て私たちをねらひ撃ってゐた
一番近いトーチカへ飛鳥の如く躍り込んだ。

これをきっかけに、飛行機のぐるりにあった
八つのトーチカの奪取に成功したのである。
この米原中尉は頭をぶち抜かれていた。
トーチカに跳び込みざま戦死だ。
死してトーチカを占領してゐたのだ。

 美し日本の兵士

着陸直後の激戦中には実に美しい話が多い。
負傷してゐる部下に傷口を傘でしばれといふと、
『傘でしばるですか』と反間した。
日ごろ落下傘を命より大切にしてゐたので、
こんな言葉が出たのだと思ふ。

二等兵が戦死した一等兵の握って離さぬ銃を借りるとき、
弾丸雨飛のなかで丁寧に「敬礼」をしてゐたのも嬉しかった。
自分は『全滅する積もりだつたのに、何んだ、これ位の戦死で』と
心で感謝しつつ口を気にしていた。

 全く天祐の思ひ

敵はかねて落下傘部隊に備え、
飛行場へ向けて八つのトーチカを作り、
三百の拒馬、さらに無数の竹槍を天に向けて立てヽをり、
奪取したトーチカ内にはいづれも三万発以上の弾丸を打った
空の薬莢があった。
「天祐神助」とは言葉のあやぐらゐに思ってゐたが
この戦争の結果天祐といふことを思はざるを得なくなった。

 

 

以上です。

 

 

 

 

降下訓練中の事故に関して、お問い合わせいただきましたので、

簡単に記載しておきます。

 

やはり、研究時代・降下訓練に関しては、

山辺雅男著「海軍落下傘部隊」が一番わかりやすく詳しいですので、

まだご覧になっていなければ、入手されて読むのが一番良いかと思います。

(中古でも多数ありますので)

 

 

簡単に抜粋します。

 

昭和16年

3月25、6日、全員をもってはじめての集団降下訓練を実施した。

この訓練では、二点吊りの九七式落下傘を使用したが、開傘時衝撃で、肩の筋肉と肩骨に負傷したもの、4,5名を出した。

 

第一期研究員の小田一曹、第二期の秋田谷一水は、地上寸前にて開傘、生命には影響はなかったが、全治六ヶ月の胸部複雑骨折の重傷を負った。

 

第一期の島上水は、風に流されて、海上に降下したが、海上10メートルから落下傘バンドをはずして落下傘と分離して海中に飛び込み無事救助された。

 

その他、全治1,2ヶ月を要する胸部骨折者5,6名を出してしまった。

 

「地丸三水の殉職」について、数ページをさいています。

 

その後の訓練時代へと続きますので、是非お読みになってください。

 

 
「落下傘奇襲部隊 」 海軍落下傘部隊生存者の手記にも、事故、殉職に関しての記載はありますが、入手困難となっていますので、該当部分一部掲載しておきます。
 

 

 

 

 

 

 

 

以上、取り急ぎアップいたしました。

 

戦後76年、横須賀鎮守府第三特別陸戦隊 福見部隊写真帳より

戦死者のお名前と写真を掲載します。

 

ご住所を見ると、全国から集められた精鋭というのがよくわかりますね。

 

海軍落下傘部隊慰霊碑に刻まれている横三特のお名前には、こちらに福見部隊長が加わっています。

 

 

樋口金之助・坂本 悟・高崎 信明・佐治 弘造・興梠 茂・出 鉄三郎・江藤 陵大
小林 武夫・柳 静美・川崎 博一・繁田善一朗・佐藤 英之・池本 高義・山元 保
松延 啓蔵・入田 学・溜池 武二・大瀬良安平・宮崎 政夫・高橋 正光・田中 清
大国 貴八・山城 一男

 

 

山下 長一・槇原 定雄・疇地 勇・秋田谷末太郎・福永 義夫・長浜 正幸・四元 勇雄
高杉三次郎・北村 照秋・遠藤 敏夫・和田喜三郎・古畑 文男・末長 三夫・押川 正満
鈴木 旦・磯野 重徳・木村 盛・竹葉 正利・中元 利夫・足立 長三・塩見 武造
千綿 五郎・飯盛 幸好

 

 

いつか、ゆかりの方が調査された時の手がかりになりますように。

来年は海軍落下傘部隊降下80年です。

フォトジャーナリストの木村聡さんが、現在発売中の週刊金曜日7/9号で
海軍落下傘部隊をモデルにした国策映画『桃太郎 海の神兵』の記事を書いています。

 

少しだけ取材協力致しました。

 

こちらの本編後の座談会を観ておくと、木村聡さんの記事がさらに伝わると思います。
 

 

週刊金曜日7/9号 表紙

 

 

週刊金曜日7/9号 目次

不謹慎な旅 (38) 『桃太郎 海の神兵』
焼け野原の国策アニメ 写真・文/木村 聡

 

 
木村さんは、今年の慰霊祭にも取材に行かれました。
 
 
是非お読み下さい。


 

海軍落下傘部隊セレベス奇襲の映像や、学徒出陣の映像でも有名な

本間金資さんの動画。

昭和を写したカメラマン~本間金資 伝~

冒頭、「やぁやぁ」と本間さんが再会を喜んでいるのが
海軍落下傘会(戦友会)の皆様です。

本間さん著作
【カメラ従軍 落下傘部隊と共にに征く】


こちらも、
海軍落下傘部隊への敬愛がすばらしく書かれていますので、
またご紹介出来たらと思います。