皆様もご存知かと思いますが・・・
福士選手は・・・
日本の女子陸上競技の選手であり・・・
07年8月末の時点で、3,000mと5,000mの日本記録・・・
そして、ハーフマラソンのアジア記録・・・
15kmの世界記録を有するという・・・
特にトラックレースでは、とても有名な選手です。
その彼女は、そもそも1万mのランナーである選手・・・
30Km迄の練習を長く続けていたが、マラソンだけを専念して練習しているランナーのように、マラソンの距離以上の長距離を走りきるトレーニングは積んでいなっかたという。ですから、30Km過ぎからペースが落ちるのは当然と言えば当然なのだったのかもしれません。
私も、約2年前に、ハワイのホノルルのフルマラソンに参加しました。
当時、私もマラソンだけは、小さい頃から多少自信があり、地元では、当時記録を残したくらいでした。
例えば、小学校6年生で、1,000mを3分9秒、中学校3年生時で3,000mを10分弱、高校生では、10Kmを34分で走りきる位でした。
そんなこんなで、当時仕事が忙しかった事と走れば何とかなるだろうと言う軽い気持ちを理由に・・・
2ヶ月前から、最高で3~4Kmを週に1~2回の練習をした程度で、当日を迎えました・・・
スタート直後から、そりゃ~もう、昔の自分のペースで走りました。
気持ちがい~い・・・
もうハワイの景色の中、海を横目に見ながら、朝の5時頃から走るのは最高。
しかし、やはり・・・
福士選手同様の事が起きました・・・
20Km地点から、足が動かほとんどなくなり、今までに無い位の足の痛み、足の筋肉がこう着状態に陥りました・・・
私はかつて、どんなに体調が悪くても、マラソンだけは、一度も途中で、歩いたり、諦めた事はありませんでした・・・
というより、絶対したくなかったです。
気持ちは、全然前向きなのに、足が前に行こうとしてくれないんですね・・・
こんな気持ちは初めてでした・・・(屈辱)
自分の練習不足で望んだ初マラソンは、20Kmから歩きっぱなし・・・
しかも、歩く事すら途中で出来なくなる位の状況でした・・・
やりたくても、やれない時の屈辱感は、今でも鮮明に覚えています・・・
この道は、いったいどこまで続くのやら・・・
距離を示すボードと、私の横を通りすぎる他の選手、そして応援して下さるハワイ地元の黄色い声援だけが頼りになりました・・・
TVの中で、福士選手は・・・
「何故途中で止めなかったのですか・・・?」
という問いかけに・・・
「20、30Kmまで来て途中で止めるのはもったいなくないですか~、記録無し~みたいな、今までやってきたの、だってゼロですよ・・・」と笑いながら話していました。
そして、「3時間でも、何時間でもいいから取り合えずは、ゴールしようと・・・単にゴールして大きいタオルが欲しかった・・・あれはゴールしないともらえないんだよな・・・」
と大笑いをしながら話していました。
実は、私も当時のマラソンの中で、ただ単に「止めるという選択肢はなく」単に、「どう」ゴールをするか・・・
というのだけを考えていたと思います。
また、
「何故転んで笑っていたのですか??」
という問いに対し・・・
「転びたくないのに、転びそうっていう体とのギャップが面白くて笑ってました・・・」
「意識もうろうとしていたのではなく、意識があって笑ってました」
と話していました。
福士選手の壮絶な42.195Kmの初フルマラソンは、19位の2時間40分54秒・・・で幕を閉じました。
この記録でも、ほんとに凄い記録です・・・。
私は、初マラソンで、約5時間30分ですから、半分で走りきっていますから・・・私からしたら、凄い記録です。
また
「後悔は?」
という問いかけに・・・
「無いです!止めていた方が後悔だったと思います!止めていたら、そのまま名古屋で練習していたかもしれませんね・・・」
と・・・
北京五輪出場が絶望的になったにも関わらず、大笑いしていました。
最後に
「福士選手が目指すものは・・・一体なんなのですか・・・?」
と言う問に・・・
「世間体的には、五輪に出て、メダルを取ってという方がいいのかもしれませんが、そういう欲は私には無くて、五輪を目指すよりも、自分との戦い(=自己ベスト)を目指しています!」・・・「そっちが、いいですね!」
と・・・
それまでの笑顔が消え、真剣な眼差しで、ゆっくりと心を込めて話をされていました・・・(凄)
福士選手は、「自己ベストの先に、勝手に五輪やメダルが付いてくるもの・・・」
という言葉を最後に残しました。
私も実は、殆ど同じ考えです・・・
決して上手い表現とは言えませんが・・・
仕事も生活も恋愛も仕事も経営も・・・
在る意味、「ゴールの無いランナー」なのかもしれません・・・
それをどんなレース(人生)にするのかは・・・
結局は「自分次第」・・・
同じ物事でも、前向き・後ろ向き・横向き・・・このブログ記事だって、どう自分の気持ちで見るかで、決まってしまうんだと思います・・・
「どうあがいても、結局は進まなくてはいけないのですから・・・どんなペースで進むのも自分・・・あくまで自分の環境にあった楽しいペース配分で進みたいものだと思います・・・」
何度も何度も転倒しても絶やさなかった笑顔・・・
それは、限界の限界まで自分へチャレンジしてきた証・・・
私は「この大切な一度きりの人生ですから、「毎日ステキな、前向きな」一日にどうせならしたいと考えています」!
最後に福士選手は・・・
「走(りき)れて・・・良かったですよ!」
といってインタビューを終えました・・・
そんな訳で・・・
「諦めたらそこで止まってしまう事を体を張って教えてくださった」・・・
「福士加代子選手


「今日の輝く人

皆様の「今後の何か生きるヒントとなってくれたら嬉しい」です・・・
07年1月27日 北京五輪出場をかけた大阪国際女子マラソン「福士加代子選手」