古書店街… 2 | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる


バイトの女の子たちを見ていると、あの頃から自分が成長しているのかしていないのかわからなくなってきた。
相変わらず仕事には行きたくないし、時々人が怖くなると客だろうとなんだろうと他人に対して有無を言わさぬ(自分もなにも言わぬ)外壁をビルドアップしてしまう。
調子がいい日には自分でもびっくりするほどの機転が利いて、誰とでも建設的かつフランクなコミュニケーションを交わせるのに。
 
さらに悪いことに、調子がいい日なんてほとんどないから、人を怖がって逃げてばかりいる日のほうが多いのである。
社会人としてどうなのか。
人間は社会的動物だというのならば、社会的でない私のような人間は人間としての何かが欠落しているのだろうか。

店内の様子観察に飽きてきたので、ipodを取り出して適当な音楽を聴くことにした。
「きく」にも色々あるが、音楽に関してきく、というときは、必ず

「聴く」

の字を使って考えることにしている。音楽が好きな人ならきっとこういう人は多い気がする。
聞く、のほうは、hear=耳にする、という意味が込められていて、別に自身はききたいかききたくないかなんて関係なく、勝手に耳にはいってくる、そんなイメージである。
対して、聴く、のほうは、主体自身のききたいという気持ちと、きかれる対象のきかれたいという気持ちの両想いによって成立する、そんな意味が込められている。listenのほうである。

わたしのipodは大きくてかわいくて赤い。機械そのものが赤いのではなく、赤いシリコンケースに入ってるから赤いのだ。悪魔のような顔をして、角と手がはえている。手には3本のつめが痛そうな指だけがはえていて、見た目はちぎれそうなはかなさを持ってる。

当初は、友達が同じシリーズの水色の天使を持っていたので、色違いにしようと約束して買った物。そこまで執着するほど気に入ってはいなかったのだが、使用を続けて2年超の今、このケースがないとipodのipodらしさがなくなって他の人のものと間違えてしまうだろうと思うほど気に入っている。私は手持無沙汰になったり羞恥を感じた時、かならずこの悪魔の痛そうな指をうにうにといじくってしまう。いじりまくっているわりに古びれもせず、爪はずっと痛そうなままなのがまた悪魔らしくてかわいらしい。

聴くのは魂をもっていかれそうな怖い曲たち。幼いころはこわくて聴けなかった怖い曲、大人になったらやみつきになってしまった。
電子音。パイプオルガン。人間みたいな声をだすギター。吸い込まれる。吸い取られる。

よく音楽を聴くと元気になるという人がいるが、ほんとうのことなのか疑ってしまう。どんなにテンションの高い音楽であっても、聴いて元気になったことがないのだ。


音楽は陶酔状態と酩酊感、周りがまったく気にならなくなるような異常な集中力をよびさます。

音楽に集中力を吸い取られると、全身の骨と皮がぐるりと反っていって、感覚がひとつの団子のようにぐるりとまるい塊にまとめられるような気持ちになる。プールの中でやる、「だるま浮き」の感覚に近い。

その時身体はまったく動いていないのだが、感覚は全てひとまとめにされているので、身体のほうには何も残っていない。声をかけられても、身体を触られても、気付くことはない。

その状態がとても気持ち良い。頭のうら、首のあたりに集まるのは、なぐられたあとのような鈍い感触。理性が遠くで呼んでいるような気がするが、あんまりうるさく呼びはしないので放っておく。そのうち、しょうがないなあ、と理性もちょっと声のヴォリュームを落としてくれる。

一連の快楽の時間が終わると、多くの快楽がそうであるように甚大な疲労感が身体にどっと残る。音楽を聴いた後は必ずとても疲れていて、元気になるどころではない。
それでもその疲労感は筋肉痛みたいなもので、ちょっとくせになる甘美さを漂わせている。
私が音楽を好む理由はこの快楽を味わうためで、元気になるためではない。世の中には疲れない音楽も確かに存在するが、どちらかというと私は疲れるほうを選ぶ。

気持ちいいから。
すべてはこの気持ちよさのため。


3曲ほど聴いて、陶酔がさめると、目の前には2色のかわいらしい色どりをしたパスタがのっけられていた。表面はちょっとかぴっとしていた。