本日は寝起きの忘備録です。
自分との約束は守ったほうがよくて。
それを守るか破るかが自分に与える影響は大きい。
破ると、人から何か言われたりされたり・・・よりも実は自分を弱め傷付ける。
ちなみに人から・・・の部分はそもそも幻想というか起こり得ないってだんだん気がついてくると
ますます大切なのは自分との信頼関係やん!!ってなります。
その信頼構築に関わるのが
約束を守ること、なんだな。
で、わたしは??って目が覚めてふと思って
感じた答え。
「これをする、やる」と決めた行為についての約束は守れたり守れなかったりしてる。
でも
「こうなる」という状態(在り方)を決めた約束は、概ね出来てる、果たしてきているし諦めたこと無いかも、と思った。
あ、そうかと。
物事というのは「なる」ために「やる(やらない)」という選択・プロセスを経ているだけだから「やる、やらない(出来た、出来ない)」に躍起になったり一喜一憂したり、それがゴールだと思うのは違うよねってわかります。
最終的に得たいものは?
感じたいことは?
これに尽きるはずで。
(それとも、やっぱり好みや個人差あるのかな?)
わたしの場合は、守ってきた自分との約束の種類を考えたらハッキリきっぱり
「なる」を最終として思ってるし大切にしているんだな、というのが
つまり寝起きでわかったことという話なんだけど
「やる」に挫折したり諦めたことは多々あるけど「なる」は諦めてないじゃん!
お母さんになった、
他人軸や集合意識的な母や妻ではなく
これがわたしだと思えるお母さんや妻(パートナー)にもなった。
自分で自分を縛ることをやめて
自分のやりたい、をさせてあげられる自分になった。(伸びしろあり)
自分を信頼できる自分になった。(伸びしろあり)
自分を守れる(大切にする)自分になった。(伸びしろあり)
時間や精神、お金(物質)・・・全てにおいて
もっと自由になる(途中)
大切な人やものに、もっと囲まれる(途中)
などなど
やる、やらないの選択は
これらの「なりたい、在りたい姿」のために
するもの。
やる、やらないはプロセスだし手段だから
やってみて違ったら変えればいい。変えていい。もっと軽く捉えていい。
そして、失敗も挫折も苦労も全部、この「なりたい姿」になるために必要だったなと思うし、
それはやってみたことが先にあってこそ出来る体験だから「やりたい(やりたくない)」をさせてあげられる自分にまずは「なった」、
というのは良い順番だった(笑)
皆さまこれ、基本かもです!
ちょっととりとめなくなってきたから
もう終わりますが
自分との約束で大事にするところ、つまり
「やる(やらない)」を決めるときに
あくまで「なる」為のものでプロセスや手段なのだからそっちに囚われすぎないことと覚えておくのは良いのではと思った次第です。
やること選びに深刻になり過ぎたり、
やって出来なかった、からとて
諦めたり自分を責めたり周りを責めたり・・・
はピントがズレてるんだと肚落ちすると
とても楽になる
※自分への信頼がまた少し増したのか、
結果気にせずチャレンジ出来ていることが今あって。
その心境がもたらした氣づきかもしれない
※「やる」という約束も、破らなくなると自分との
さらに強固な信頼が築けるのかもなでもこれはわたし、多分あんまり求めてない
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