諸般の事情により、5/1は実家への帰省日になったので、発行が遅くなりました。

ブログのネタ切れ対策として、私的なプログラムネタが終わり次の私的な物理ネタに移るつもりだったが、前回の記事を見てもわかるように、長くて専門的な内容になっていた。

当然ながら物理ネタも専門色が濃くなるのは確かで、その対策及び少し休憩を挟む意味で、急遽、短く肩の凝らないネタ、つまり私事雑感を取り上げることにした。

題して、才能とSNS。

まず私はブログは書いてもSNSはやらない。

使ってない私が言うのも変だが、SNSはその名前の通り、ソーシャルネットワーク用のツールであろう。

つまり個人の情報を他者に広く知ってもらうことがSNSの目的と言える。

そこで、私以外のある人が存在する、と仮定しよう。

その人には、学問か芸術かスポーツか分野は問わないが、十分な才能があり、もし世に出て成功すれば多くの富や地位や名誉が手に入る、と想定する。

その人が成功するかどうかは、その人の運や努力や精神力は勿論だが、周囲の評判も重要な要素となり得る。

仮にその人に特定の才能がなくただの会社員だとしても、会社で成功し出世する為には、会社での実績だけでなく社内外の評判が非常に重要な要因となる。

つまり会社や学会や業界や世間における評価と評判が実際にものを言うのである。

そして評価や評判を上げる為の最初の一歩が、世間に自分を広く知ってもらうことであり、そのツールが現代ではSNSに該当して、その為にSNSが隆盛となっているのであろう。

世間一般はそれでいいとして、自分自身を振り返ってみよう。

私は子供の頃から何の才能もなく記憶力も悪かった。記憶力が悪いので手順を含め何事もすぐ忘れて混乱し、同じ動作を何度も繰り返すハメになる。これは今の私の実生活でも頻繁に発生する現象だ。当然だが教えられた内容を正確に繰り返す必要がある小学校の成績も悪かった。小学校で学習の進んでいない生徒を集めて特殊学級を作ろうという話が持ち上がった時に、私もその候補に挙がったくらいだ。幸い特殊学級の話は立ち消えになったが、そのくらい私は出来の悪い生徒だった。これは私の日頃の行動パータンを考えれば妥当な評価といえる。

加えて人付き合いや人間関係が苦手で人間嫌いでもあり、家に帰って一人になるとホッとする性格だった。寂しさを感じたこともない。

私の祖父は自閉症のような感じで、全く働かず特定の場所にずっと座って自分の殻の中に閉じこもっていた人だった。私のこの性格は祖父からの隔世遺伝に違いない。

そんな状況だから、子供の頃から成功や出世は、全く私の頭には浮かばなかった。

ところが私の母は、尋常小学校しか出ていないものの、尋常小学校では常に主席で、社交的で頭が切れ、記憶力がよく緻密さも合わせ持っていた。親戚や近所との人間関係を母が思い通りに制御しているように、子供の私には見えた。

さらに母はその実家の影響もあり、他人からどう見られるかという体裁や世間体を非常に重視する考え方の持ち主だった。私はよく「なりが悪い」と言って叱られた。なりとは体裁を意味する言葉で、「なりが悪い」は「体裁が悪い」という意味だ。

母から嫌われていたわけではない。出来の悪い子供ほどかわいいかは別として、姉二人の後に生まれた男子でもあり、両親の愛情は十分に感じた。

ただ母親と正反対の私は、母から「なりが悪い」と叱られるたびに、口にこそ出さなかったが、他人からどう見られようと関係ない、他人なんかどうでもいい、と感じていた。私は祖父と同じで暴力的ではないし、他人には何の悪意もないし、批判するつもりもない。単に無関係でいたいだけだ。

このように私は子供の頃から、他人を意図的に無視する習慣がついていた。

自分は自分、他人は他人、各々の考え方や生き方、性格、資質、能力等は千差万別なので、他人に目を向ける必要もなければ執着する必要もない、と私は思う。

すべてにおいて、マイペースが一番。

だから私にとって、SNSは全く意味のない完全に不要なツールなのです。

さて私の実家は貧乏農家で、生活の糧を得ることが大変なことは、両親の働く姿を見て実感していた。

私は成功や出世は望めないものの、成人後は自活して生活費を稼ぐ必要があることは明らかだった。そこで中学三年の頃から自分の状況を考えて効果が上がる方法を模索して努力してきた。幸いその努力が報われて成績が上がり、興味のある物理学の専攻で国立大学にも引っかかった。

小学校、中学校、高校、大学と進むにつれて学習内容の抽象度が上がる。記憶力がものを言う猿真似は苦手でも、その抽象的な概念さえ理解できれば記憶力が悪くても間違える確率が減るという状況も有利に働いたのだろう。私の場合、小学校から大学までの成績を比べると、小学校が一番悪くて大学が一番良かった。その結果は学習内容の抽象度の差によっても説明できるはずだ。

算数や数学を例にとれば、小学校のつるかめ算や文章問題は発想のセンスが必要だし、中学校のユークリッド幾何や因数分解も同様に眼の付け所が問われる。ところが高校の三角関数やベクトル、行列、微分、積分は一見難しそうに見えるが、その本質は単純で常識的。それさえ理解すれば簡単だ。大学の物理は高校の数学の応用なので、これも比較的簡単。しかし大学の数学は群論や複素関数論やトポロジー等が加わって、概念自体が難しく数学的才能が必要とされる。

大学院の物理ではそれらのより難解な数学を使いこなす必要があるのは明らかで、私が学部の成績がよかったにもかかわらず、大学院に進まなかったもう一つの理由がそこにあった。

なお出身県の教員採用試験に落ちたことで、営業や管理職だけでなく教師にも性格的に向いてないことが明白になったので、全く経験のなかったソフトウェアの業界に飛び込み、独学で何とか給料がもらえるまでになった。

ただソフトウェアの現場は若い人が殆ど。40歳を過ぎた頃から居づらく感じてきた。

そこで生活費を稼ぐ為の新たな方法を模索したが、不動産投資でマンションやワンルームマンションを購入してその賃貸料収入をあてる方法が最良と考えて、1999年の秋から2006年夏までの期間に、自宅のマンション以外に合計6部屋の賃貸用の物件を購入した。そして最後の住宅ローンを2018年11月に完済。

成功や出世には無縁でも、いい会社に入りいい給料をもらう方がいいのは確かで、その為の努力もしてきた。加えて貧乏学生の頃から一人暮らしで質素でシンプルな生活を送ってきたので自然に金が貯まった。さらに2005年3月にS社をリストラ退職した際に、退職金と加算金で多額の現金を入手できた。これらによって不動産投資の資金が確保できたのだ。

私が出不精なのは当然だが、人間関係が苦手で人間嫌いでもあるので、社会生活上必要となる人付き合いの機会を劇的に減らす為に、出来れば早めにリタイアしたいと考えていた。そして不動産収入によって、2010年5月に、53歳でリタイア生活に入ることができた。勿論、その後は一分たりとも働いたことはなくて、給与収入は正確にゼロ。それはe-Taxによる毎年の確定申告でも同じ。

結局、私には何の才能もなく加えてこのような変人の性格で、成功とはお世辞にも言えない人生だったが、不思議とわずかな努力で、低い目標とはいえ、当初の私の個人的な目標を十分に達成できたと言える。