まず前置きとして、私のごく大雑把な略歴を紹介する。

私は、大学卒業後、ソフトウエア関連の仕事をしてきて、検証やユーザーサポート等も経験したが、プログラマーの仕事が一番自分の性格にあっていたように思う。ただソフトウエアの現場は基本的に若い人が中心、年寄りは働きにくいのが実情で、その為、私は1980年から約30年働いただけで、2010年春、53歳の時にリタイアした。

それを踏まえて、昔はよかったといえる、私の若い頃の話を取り上げよう。今から40年近く前、私が20代半ばの頃の話だ。

当時、私は某S社の厚木工場で、正社員のプログラマーとして働いていた。

外部同期がかかりスーパーインポーズ機能を持つ業務用コンピュータ上で動作するツールプログラムの開発商品化が、私が担当していた仕事だった。

その三作目だったと思うが、ビデオ編集機が出すキュー信号に同期してテロップやワイプパターンを表示できるタイムテーブルの作成及び編集と実行を行うツールで、タイムテーブルはテキストでセーブ可能。内部的には表形式のテキストエディタとインタプリタを組み合わせたプログラムだった。

CPUがZ80でOSがCP/Mなので64Kbytesのメモリ空間しかなく小規模なプログラムだが、C言語とアセンブラ言語を使って私が一人で書いたオリジナルソフトでもあった。

テロップの文字やグラフィックは別のツールプログラムで予め作成したコンテンツを利用する。前作では日本語の文字テロップを作成編集するプログラムも担当した。

そのツールプログラムのデモ等を経て、日米欧の三地域で発売されることが決まり、日本語と英語の取説つまり取扱説明書を作成する必要が生じた。

その前に、厚木工場の品管つまり品質管理部門にソフトウェアの評価依頼を行い、バグ修正とともに、その議論に基づき表形式のテキストエディタの仕様を改良。

本社には取説を作成することを専門としているドキュメントデザイン部門があって、その部門に取説作成依頼をして、そこの若い女性がこのツールプログラムの取説の作成担当にアサインされた。

若い女性とは、当時の私より若い、という意味。もう少し詳しく説明すると、若く美しい女性で、勿論、未婚。私が所属していた部署でも好感を持つ人が多かった。

ツールプログラムの概要と操作方法を説明して、取説原稿があがるのを待ち、その原稿チェックを行った。最初が日本語版で、次が英語版。

英語版の原稿チェックも終わり開発商品化もほぼ終了した頃、昼間の明るい時刻に、厚木工場で勤務中にトイレに行こうと思って席をたち廊下を歩いていると、取説でお世話になった女性がエレベーターの前に立っていた。

また厚木の仕事を担当したんだ、ドキュメントデザインも忙しいらしい、と思った。

いうまでもないが、天井の蛍光灯の光で、エレベーター前は明るかった。

お互い相手に気がついて会釈を返し、女性が来たエレベーターに乗り込もうとする、その姿が何故か少し赤く見えた。本人は気づいてないようだが、よく見ると、ごく薄くわずかに赤く明滅する霧か霞か靄をまとっている。それがこの世界のものとは思えない気がして、不安をはるかに超え非常に恐ろしかった。

エレベーターのドアが閉まり女性の姿が消え、謎の恐怖感も薄まっていった。

一体何だったのか?

あとで本社に連絡した方がいいかもしれないと思ったが、仕事上の話をしただけで親しいわけでもなく、それに何と説明したらいいかわからない。

勿論、私の気のせいかもしれないし、結局、本社に電話はしなかった。

それから数日して、S社は夏休みに入った。

当時、S社は8月の第一週が夏休みと決まっていて、設計と製造あげて全社員が同時に夏休みをとった。

私も帰省して実家で数日を過ごし、厚木工場に戻った。

すると思いがけないニュースが待っていた。取説でお世話になった若い女性が同僚と北海道旅行に出掛けて交通事故にあい死亡したという。ほぼ即死だったらしい。

謎の恐怖感は、やはり気のせいではなく、この前兆だったのか。

あの時、本社に電話していれば「気をつけて」くらいは言えたかも、と悔やんだ。

告別式は都内の教会でひらかれた。

私も参列することにして、まず品川にある本社のドキュメントデザイン部門に移動し、その部門の人達と何台かのタクシーに分乗して教会に向かった。

その車中だったと思うが、ドキュメントデザイン部門の女性の上司が、亡くなった女性社員の家族も若死しているようで何かに憑りつかれていたのかもしれない、という話をしていたのを覚えている。

その上司が迷信深かった訳ではない。回路図を見ただけで取説が書けると噂されるほどの有能な女性の上司で東大卒。亡くなった若い女性も確かお茶大卒で、S社には優秀な女性が多かった。

教会で告別式がひらかれるだけあり、亡くなった女性の実家はカトリックの信者で、その女性も洗礼名をもっていた。実は私はこの女性の名前を忘れたが、洗礼名だけは覚えていて、たしかアグネスだった。

私は告別式で会社関係の他の参列者に私が感じた謎の恐怖感の話はしなかったし、今まで人にこの話をしたことも殆どない。

その理由は、謎の恐怖感が現在でも謎のままであり、自分の中でさえ何も解決できていないからだ。

しかし謎のまま放置しておくのも嫌なので、この際、無理にでも説明をつけようと思う。

まず最初に、私には未来を予知する能力はないから、その点を考える必要はない。

私はあの恐怖感が亡霊や悪霊といったようなものから生じたとは思わない。当然ながら亡霊も悪霊も信じないし、そのたぐいのものを見たこともない。聖書にでてくる悪霊がどんな姿をしてるのかは知らないが、おそらく精神に異常をきたした人を悪霊のせいと考えたのだろう。亡霊については、いるはずのない人の姿やその体の一部が見えたり写真に映ったりする場合を想定していて、それにも何らかの心理的あるいは物理的原因があるはずだ。それにもし実在すると仮定しても、少なからず人間的というか、人間に近い関係のものではなかろうか。

天使や悪魔や死神まで持ち出すと海外ドラマ"SUPERNATURAL"になってしまうが、それらはそれぞれ固有の形態を持ってるはず。ただ悪魔は黒い雲としても表現される。黒い雲の表現は"LOST"でも出てきた。黒い雲は私が見た薄く赤い霧状のものと似ているとも言えるが、この黒い雲は自由に動く意識を持った雲であり、女性がまとっていた薄く赤い霧とは本質的に異なる。その点ではむしろ昔流行したオーラに近い。ただ私が見たのはオーラが流行するはるか前であり、赤い霧を見たのは一度だけで、勿論、私にはオーラは見えない。それにオーラが実在するとしても、人間の属性の一種だから、不安や恐怖は感じないだろう。

また最近では多世界やマルチバースのようなものが映画やドラマでも登場するようになったが、それらの実体は未知の自然や都市、登場人物の別バージョン等であり、親しみさえ湧く存在だ。シナリオライターの意図した設定なのだろうが、その反面、発想が貧弱ともいえる、まあ視聴者のレベルに合わせたのかもしれないが。

私があの時感じた恐怖は、それらとは全く異なる人間とは縁もゆかりもない完全に異質な存在を感じとったから発生した、と思うのだ。

ここから私の仮説もしくは空想に入ろう。

自然や環境や宇宙という言葉で表現されるこの世界に対する我々の世界観は、この世界のベースをなす無数の情報と、我々人間の意識つまり認知機能の中に含まれる膨大な情報との相互作用の結果として生じる、と私は考えている。

ところが宇宙と我々の意識が織りなす世界とは、全く異なる別の世界が存在すると仮定すればどうだろう。以前の記事で登場したVDSを使ってもう少し具体的に説明すると、我々の宇宙とは本質的に異なる別のVDSから発生した異世界、といえる。

数学や物理法則さえ異なる全く異質な世界が存在し、そこにも何らかの意識が存在するが、我々には想像さえ出来ない異質な意識だとする。やはり以前の記事で情報の連続性によって意識が生じると書いたが、その定義では様々な意識が存在可能なはずだ。

レム(Stanislaw Lem)のSF小説"ソラリスの陽のもとに"(SOLARIS)には思考する海が登場するが、同様に岩や水や風、雲やプラズマ等が持つ意識を考えている。それらは惑星上の物だけではなく、小惑星や汚れた氷の塊である彗星、太陽風、星間ガスも岩、水、風、雲、プラズマと表現可能。勿論、異質な世界にそれらが存在すると仮定しての話だが。さらに物質はまったく存在せず、生成消滅を繰り返す仮想粒子の量子もつれの連鎖によって量子情報が保存されて、その量子情報の連続性により、光のない暗黒の異質な時空上に、無数の意識が局所的に発生し交流している世界も可能かもしれない。それは意識だけが存在する涅槃の世界ともいえる。

私の理解では、涅槃とは仏教成立以前から存在する概念で、単純な死後の世界ではなく、悟りを開いて輪廻転生から脱した無の境地、もしくは死後それによって到達できる無の世界を指す。おそらく比喩的な意味合いが強いはずだが、ここでは無の世界という文字通りの意味で使っている。

涅槃で少し脱線したところでさらに脱線すると、電磁相互作用のゲージ粒子は光子だから、光が存在しない場合は電磁相互作用による物質同士の反発がなく、ダークマター以外の通常の物質が存在できないことを意味する。さらに無の世界では弱い相互作用や強い相互作用も存在しないのでは。ただその場合も我々の宇宙にはない未知の対称性による相互作用はあり得るかもしれない。

なお最近、超弦理論の資料を読んでいて感じた点だが、弦のような広がった物体の振動や巻き付きは考慮されているが、ねじれは考慮されていないのではなかろうか? ねじれの古典力学的ないし量子力学的効果を追加することで、理論的により正確な記述に進化できるかもしれない。

さて、謎の恐怖感の話に戻して。

その異質な時空と異質な意識で構成された世界が、我々の世界とごく稀に接触して互いに干渉すると想定しよう。あくまで情報的な意味で干渉するのだが、その干渉作用が私には赤っぽく見えたのだろう。そしてその情報的干渉はある種のイベントを発生させ、それが我々の世界では交通事故を引き起こしたと考える。

異質な世界の異質な意識の一つが、亡くなった女性に興味を持ったのかもしれない。おそらく悪意はなかったのではないか。

亡くなった女性はごく稀に発生した現象の不運な犠牲者といえるし、それがごく稀にしか発生しない現象なので、私もあの時だけ感じたのだ。

十分満足のいく説明ではないが、一回だけの体験では、これ以上詳細な解明は無理であろう。