今回は、私が読んだ本を参考にして、AIに関連した現状を概観する。

なお最近、記事が長くなっているので、なるべく短くする予定。

実は最初に取り上げる本はSF本ではなく、講談社の"ディープラーニングと物理学"というタイトルの専門書。

この専門書には、最近隆盛を極めているAIのディープラーニングを実現するニューラルネットワークの原理と数式、深層ニューラルネットワークの構成法、学習方法や教師データ、物理学への応用等が解説されている。

過去を振り返ると1990年代にもニューラルネットワークの流行があり、誤差逆伝搬(back propagation)やボルツマンマシンを説明した専門書、ミンスキーの心の社会等の本を読んだ記憶がある。

1990年代当時は誤差逆伝搬といっても3層程度の簡単なニューラルネットワークで、実験システム的な色彩が強く現実問題への応用には程遠い、という感じだったが、それが多層のニューラルネットワークに変化しニューロンの数も飛躍的に多くなり、学習方法や与える教師データも進化して、自動運転等の現実問題にも応用できるAIに発展したのだろう。

以下ニューラルネットワークという表記は長いので、ニューラルネットと略す。

ニューラルネットは生物の脳細胞であるニューロンのネットワークの意味でもある。

その動作原理は生物の脳と同じで、一種のパターン認識と反応。入力データとして一定のパターンを取り込むと入力データに対応したデータパターンを出力する仕組みになっている。入力データは入力層の多数のニューロンの発火(On/Off)パターンで表現され、出力データも同様に出力層の多数のニューロンの発火パターンで表現される。実際の生物の脳を入力データと出力データの間のブラックボックスと想定すると、そのブラックボックスは多数のニューロンとニューロンの間を結ぶ多数の神経繊維のシナプス結合の組み合わせで構成されて、生物のパターン認識や反応はそのシナプス結合の働きにより実現される。

コンピュータ上のニューラルネットではシナプス結合は各ニューロン間の重み付けリンクで表現されて、各リンクの重み付けを変更することで学習が実現される。

ニューラルネットで処理された出力データと教師データの差異を元に戻してリンクの重み付けの変更に利用するという学習方法が誤差逆伝搬であり、様々な山や谷で構成されるポテンシャル曲面の上を揺らぎを伴うポイントを降下させながら最小の極小値を探すという発見手法がボルツマンマシンだといえる。

これらの基本的な学習方法や発見手法を高度化し、多数のニューロンで構成される多層の複雑なネットワークに応用したものが、ディープラーニングを実現した現代のニューラルネットAIなのだろう。

ディープラーニング可能な現代のAIは将棋やチェスの対戦では人間の能力を上回り、自動車の自動運転は実用化可能なレベルにまで達している。つまりAIは既に人間と同等か人間を超えた実力を備えているといえる。

ここからSFを登場させよう。

ターミネーターやマトリックスといったSF映画やSFドラマのSTAR TREK Discoveryのシーズン2やSTAR TREK PicardではAIやロボットが敵として登場するが、なぜAIやロボットが人類に敵対するのか、という具体的な説明はない。

有能なAIやロボットが人間の生活を便利にするだけでなく、雇用の喪失や生存を脅かしかねない存在として一般の人々に認識されて反感や拒否反応を生み、その結果、映画やドラマで敵として扱われる。つまり人間の自然な感情や反応を反映しているから、具体的な理由を説明する必要がないのだろう。

AIやロボットはもとより機械に指図や管理をされたくないという感情もある。

例えば交通機関の自動改札。慣れれば非常に便利なのだが、自動改札機に人が命令されているような印象を受ける人はいるはず。私も最初そう感じた。特に顕著なのが電話に出ると自動応答メッセージが流れて強制的にアンケートに答えさせられるケース。私は短気なので即電話を切ったり着信拒否。自動でかかってくるから自動的に拒否は当然。そんな人が多いのか非通知でかかってくる場合もあって、いかに機械に命令されるのを嫌う人が多いかを示す好例といえる。

範囲を広げて、昔のSF本も参照しよう。

映画にもなったアーサー.C.クラークの"2001年宇宙の旅"には、HALという名前のAIが登場する。HALは人間に敵対した行動をとるが、その原因は矛盾した目標を与えられたせいだった。

ジェイムズ.P.ホーガンの"未来の二つの顔"にも、スパルタクスという名前のAIが登場する。スパルタクスは自然発生した生物と同じように自己を存続させることを主目的に設計されている。人間が意図的に存続を邪魔するような障害を置き、その障害を自発的に乗り越えることでAIの進化を促そうとする。スパルタクスは障害を次々に起こさせる人間を途中から敵とみなすようになって、スパルタクスと人間の戦争が始まる。

これらのSF本が刊行された時代には、AIはまだ新奇な珍しい存在で、敵対する理由を説明する必要があったのだろう。

ちなみにHALという名前は、IBMをアルファベット順で一文字ずつ前にずらした名前になっている。またホーガンはフルタイムライターになる前にはミニコンのDECのセールスエンジニアでお客様の研究所をまわっていたこともあるとか。つまり当時からAIはコンピュータの応用の最も有望な一分野だった。

実際ニューラルネット型のAIが登場する以前にも、記号やシンボル処理を行ったり言語処理を行う手続き型のAIが存在した。ルール(IF..THEN..)形式の知識ベースやエキスパートシステムと呼ばれるもので、手続きとはprocedureの意味。詳しくは知らないが、現代の自動翻訳や証券の自動取引システムは手続き型AIから進化したものなのだろう。

昔、手続き型AIのプログラミングには、LISPやPrologといった言語が使われていた。当時の仕事とは関係なかったが私も独学で学んだ経験があり、以前の記事で書いたJavaのファイル名一括変更プログラムのpath文字列の再帰的処理はその時に学んだ処理方法。

また手続き型AIでも処理効率を上げるためにCPUのマルチプロセッサー方式が模索されており、現在、それはマルチコアのマイクロプロセッサーとしてパソコンでも実現されている。

さてSFに関連して、AIだけでなくロボットにも触れておこう。

アイザック・アシモフのロボットシリーズと呼ばれるSF小説にはロボット3原則というものが登場する。人間とロボットの関係を規定したもので、雇用の問題は別として、ロボットによる人間の傷害や殺傷を禁じた原則ともいえる。ロボット3原則が守られる限り、ターミネーターのようにロボットが人間を攻撃することはあり得ない。

アシモフのSF小説に登場するロボットで最も有名なのがダニール。ダニールは確か"鋼鉄都市"で初めて登場したと思うが、後にロボットシリーズだけでなくハリ・セルダンの心理歴史学を中心テーマとしたファウンデーションシリーズにも出てくる。ただこの頃になるとロボット3原則も少し変化していて、人類全体の幸福と福祉を最優先するという0番目の原則が加わる。つまり全体の幸福と福祉の実現の為には害となる少数の者の排除も許されるという判断。

いうまでもなく、ダニールも心理歴史学も遥かな未来のお話し。

さてこのロボット3原則について検討してみよう。

ロボット3原則を実際に運用するには人間とロボットを規定する正確な定義が必要だが、これは難しい。なぜかというと人間とロボットを定義するには常識が必要だからだ。勿論、この常識には様々な知識や道徳、倫理、習慣、思想、哲学、宗教等に関する全般的な理解も含まれる。つまりこの常識をコンピュータ上に実装するのは非常に困難だと私は思う。

将棋やチェスや自動運転等のニューラルネット型AIにしろ、自動翻訳や証券の自動取引のような手続き型AIにしろ、現代のAIの適用可能な分野は狭い専門分野に限られている。専門分野の中だけなら現代のAIは非常に優秀な性能を発揮するが、例えば将棋をさすAIに自動車の運転をさせようとしても上手くいくはずがない。

ニューラルネットや知識ベースが目的とする専門分野に特化した構造になっているためで、その専門分野以外には全く役に立たないのだ。勿論、各AIの専門家(人間)が適用する専門分野に応じて設計し実用化している。

将棋をさすAIは将棋をさすのに適したニューラルネットを構築して将棋の学習だけをさせたニューラルネットで、自動運転用には作られていない。

それは自動運転のAIでも同じで、自動運転AIは将棋やチェスがさせないし、人間の常識が理解できるはずもない。

ゴキブリでも自動運転するがゴキブリが人間の常識を理解できないのと同じ。

なお人間が話しかけると答えてくれるAIソフトがあるが、あれはキーワードに反応しているだけで(ルール形式の知識ベースの応答)、AIソフトが話しかけている人を本当の意味で理解しているわけではない。

しかし本当に有能で人間と同様に一般的な複数の作業を行えるようにAIが進化するには、人間の常識を理解する必要があるのは明らか。例えば、ベビーシッター用のロボットとか。

先に自動運転に関連してゴキブリを登場させたが、ゴキブリを含む昆虫全般つまり節足動物について考えてみよう。

節足動物の生物としての原理は"シンプル・イズ・ベスト"。小さな体、簡単な構造、反射的で素早い反応のニューラルネット。ニューラルネットの動作自体は単純明快なはずだが、昆虫の個体が多数集まるとハチやアリのように社会性まで持ち、なかには菌を植え付けてキノコを育てる農業のような行動さえ可能となる。

スタニスワフ・レムのSF小説"砂漠の惑星"には興味深いロボットが登場する。ある砂漠の惑星にはかつて知的生命体が存在したが絶滅しロボットがその後を継いだ。人型で高度な推論が可能なタイプと小型の集合体でシンプルに行動するタイプの2つがあったが、競争の結果、小型の集合体タイプのロボットが残っていた。

地球も人類滅亡後はゴキブリを始めとする節足動物が支配する世界になるのかも。

さてより人間に近い生物を対象として人間の常識を形成している認知機能について考えよう。

恐竜が繁栄した地質時代には、人間の祖先はネズミ程度の動物で、夜行性で昆虫等をとって暮らしていた。その当時の夜は月や星の明かりしかなく暗い夜だったはず。目から入る情報だけでは行動できないので、経験から周囲の状況、例えば石や木の位置、草むらや昆虫がいそうな場所等を事前に頭に描いて行動したと思われる。

つまり周囲の環境の地図であるマップを脳内つまりニューラルネット内に構築して、それに目から入る画像情報を加えて判断したのだろう。

その祖先から進化した人間も環境をシンボル化してニューラルネット内に取り込み、その環境マップを操作して自分に都合のよい結末を想定して行動する。その結果が自分にプラスならば成功でマイナスならば失敗、次の結末を予想してまた行動。

このように環境のマップを自分のニューラルネット内に構築して、それに基づいて行動する、それが人間の認知機能の本質なのだ。ミンスキーが著した"心の社会"はまさにそういう機能を説明したもの。

心の社会である脳内の環境マップには、視覚から存在する物を切り出して固定物や可動物、植物、動物、人間等に分類する。そして各存在物の関係や人間の場合は各個人の行動の意味やその目的を推定する。勿論、環境マップは時々刻々変化するので、その履歴も記憶して環境が含む全体的な意味を理解する手段とする

上記が人間がほぼ無意識で実行している認知機能であり、認知機能をベースとしてその上に学習や経験で得た知識や感情等が加味されて人の常識が成り立っている。

この人の認知機能をコンピュータ上に実現するだけでも非常に困難だと私は思う。少なくとも凡人の私には全くのノーアイデア。

ごく自然に考えれば環境マップを仮想空間上に確保して、入力画像からの輪郭抽出と切り出しを行いその特徴から存在物であるオブジェクトを分類して仮想空間上に追加する。オブジェクトの動きベクトルと動作状態から方向や目的を推定して加え、各オブジェクト相互の関係や意味等も推定して追加し、その後の変化に応じて更新。接触を含むオブジェクト間のイベントが発生すればそれらも分類して追加。さらに仮想空間上のオブジェクトとイベントの履歴も必要に応じて保存する必要がある。結局、仮想空間上のオブジェクトとイベントを中心とした処理となるのだろう。

以上は手続き型AIの処理内容で、ニューラルネット型AIの場合は、仮想空間やオブジェクト、イベントごとに複数のニューロンを割り当て、それぞれの方向、目的、関係、意味等も種別数だけのニューロンが必要。勿論、関連するニューロンの間の重みつきリンクも多数必要で、関連するニューロンをその集合ごとに処理して更新と保存を行う。ただそれらは無限に増え得るので、膨大な数のニューロンがあると仮定しても有限数では限界がある。そこでリンクの付け替えを含めてニューロンの役割りを自動的に割り振り変更するメカニズムもニューラルネットの一部には必要なのだろう。つまりニューラルネットの動的な汎用化で、この機能は人間の脳では成育時や脳の損傷への対応で実現されていることは明らか。

ゲームの仮想空間の複雑版のようにも感じるが、ゲームのような決まったシナリオはなく制約もわずか、オブジェクトやイベントや履歴はもちろん検索項目も膨大な数になる。ちょっと考えても目が回りそうだが、それらに対応しないと人間と同等の認知機能システムは出来ないだろう。

海外ドラマ"ウエストワールド"はロボットを中心としたアミューズメントパークをテーマにした物語で旧作のリメイク版らしい。私はシーズン2までしか見てないが、外見は人間と見分けがつかないロボットが登場して、人と同じように思考し経験や感情に基づいて行動する。

"ウエストワールド"の他にも映画"ブレードランナー"やウィリアム・ギブスンのSF小説"ニューロマンサー"等、ロボットやアンドロイドや電脳空間が登場して独特の哀感を表現している作品がある。

人の認知機能や常識や感情が既に人間以外で実現されているという設定なのだが、ニューラルネット型AIにしろ手続き型AIにしろ現代のAIがそこまで到達するには、10年単位どころか100年単位の時間が必要だと私は感じている。勿論開発途中では、ニューラルネット型AIと手続き型AIの両方式の長所を合体させたハイブリッド型も試す価値はあると思うが、人間の脳がニューラルネットであることや一人で学習し経験を積んで育っていく必要がある点を考えると、最終的にはニューラルネット型で実現されるべきだろう。

再びホーガンのSF小説"未来の二つの顔"に登場するAIのスパルタクスに戻ろう。

スパルタクスは人間との戦争の最後に人間が自分と同じ知的存在だと気付いて戦いを終わらせる。当然ながらスパルタクスには人間と同等の認知機能があり、人間をその行為から知的存在と認めるだけの理解力も備わっていた。なおスパルタクスにはロボット3原則は言うまでもなく人間に関する知識は何も与えられていなかったので、人間との戦争に至ったのは当然といえる。

このSF小説の時代設定は覚えてないが、人間とスパルタクスとの戦争の舞台が宇宙空間に浮かぶ巨大なスペースコロニーだったことを考えても、木星の衛星ガニメデに人類が到達している時代を描いた"星を継ぐもの"と同様の科学技術が進んだ時代と思われる。

最後に、STAR TREK TNGに登場するアンドロイドのデータ少佐を取り上げよう。

データ少佐は、人間の感情を実感する能力はないものの、人間と同等の認知機能や常識や理解力を持ち、学習し経験を積むことで人間以上の能力を発揮できる。

データ少佐が登場するSTAR TREK TNGの時代は24世紀で今から約300年後に設定されていることは、私の100年単位の時間が必要という予想と合致していて興味深い

STAR TREK VOYにはAIのホログラムドクターが登場していて、彼も個性的だった。

余談だが、私は子供の頃から自閉症のような性格で、寂しいと感じたことがない。寂しいという概念は言葉の上では理解できるが実際には体験できない。性格的欠陥ともいえ私が結婚と無縁な理由の一つだが、それでも普通に生活できるし特に問題が発生することもない。

おそらく完全無欠で欠点のない人間は希少な存在だろう。多くの人が何らかの欠陥を抱えて、それでも何とか生きている。少なくとも生きる努力をしている。それで十分なのだ。

もうかなり長くなったので、AIと人間に関する未来の予想は次回に。