高校卒業したら進学か就職かを選択する常識。仮に進学してもその先にある目的は良い企業への就職。

就職するというのは、ヒエラルキーの一番下に入るということ。言うなれば誰かの奴隷になること。

もちろん、当時18歳の私はそんなこと考えもしなかった。


私は高校卒業後に就職を選択。

決められた仕事を処理しながら、同僚と面白おかしく過ごしてお金が貰える。そんな毎日が充実していると感じていた。

しばらくすると任せられる仕事が増えて来る。

それらをやり遂げると上司が喜び、月給が上がっていく。周囲からも頼られる存在になり、自分の存在に価値があると感じ、期待に応えるために自己研鑽に励むようになる。

この上昇スパライラルに入ると、遅かれ早かれ役職を持つようになる。すなわち部下を持つようになる。

マネジメントとは何か?今よりも生産性を上げるためには?仕事のマニュアル化や仕組み化を考えるようななる。

ここまで進むと多少なりとも会社の核の一部になる。


会社では上司、部下からも頼られる存在。

プライベートでは結婚して子供も出来た。

順風満帆。まさにそう考えていた時期だ。


会社は時に大きな動きを見せる。そんな時は必ず何か変化が起きる。人は変化を嫌う。しかし会社の方針には抗えない。そのひとつが転勤(異動)。


転勤が無いと宣言している、若しくは何十年と転勤が無かった会社で転勤は非常に大きな変化である。


転勤先で勤務してくれる人はいるか?と聞いたところで、我先に手を挙げる人は多くない。

自分に向けられないよう周囲は生贄を探す。

手を上げた人間は英雄扱いされる。そう、私だ。


転勤先でも活躍は継続。頼られる存在として社内の人脈も厚くなってきた。新入社員もどんどん入り、時代に合った教育指導方法なんかも調べるようになる。


一方で家庭は崩壊を辿ることになる。

地元から出たことのない妻。それなりの都会で育ったが転勤先は田舎。小さな子供を抱えて頼る存在も居らず、会社で活躍している旦那は残業で帰りも遅い。

妻が転勤先で出会ったはじめての人が地場の方で考え方が合わず、そこから妻は人との関わりを断つ行動に出る。辛い時に傍に誰も居ない。そんな状況が続き、妻の態度は悪くなり、それに対して文句を言う。結果夫婦仲は悪化。離婚に至る。


プライベートを犠牲にしながら、身を粉にして働き、学び、誰かを守り、率先して行動した結果、何が残っているのだろうか。


気が付けば昇給も微々たる額。

気を抜けば減給される人事制度。


就職するとは誰かの奴隷になること。まさにそんな状況だ。


200年は会社を辞めることを目標にする。

自分を削って消費したエネルギーは自分に還元されるべきだ。

奴隷から抜け出す。