仕事は人生と生き方と背中合わせでほかのだれも肩代わりすることができない一人ひとりの生に直結している。



人生の大半は仕事でつぶれる。

そのことを考えたら自分のやりたいことを仕事にしたいと誰しも思うはず。

でも実際の社会はそんなものでもない。

ただ与えられたやりたくない仕事を自分なりに楽しくやることは可能だ。

つまりは何事も自分次第だということ。


活躍している人を見てその人を例外視する人は自分とその人間に境界線を張って自分から言い訳をしているように見える。これは私の母親も当てはまる。

こういう人は特別だから、とか、馬鹿な学生が自分もこうすればなれるかもなんて幻想を抱いちゃうから良くないだとか。

確かに50歳のおばさんからしてみたら特別視したくなる気持ちも分かるけど、そんなんじゃ駄目だよ。

若いころは目標ありきのそこへの邁進でなんとでもなるんだから。

だからそんな風に線引きしないでよ。


筆者が出会ったのは仕事というより、自分の仕事をしている人々であった。

他の誰がやっても構わないような取り組み方はしない、やるからにはどんな仕事も自分の仕事にする。


人間の仕事とは死ぬまで自分を生かして生きることであるらしい。

死ぬ瞬間まで自分をどう生かして生きてゆくかという課題から誰も降りることは出来ない。


自由の大衆化が進んで人間はなんにでもなれるはずなんだけど、それがなんだか分からないという不自由さを抱えている。

何かを始める前にたくさんの情報に触れて逆に主体性が失われてしまうといったことは多々ある。選択可能なアイデアばかり増えて結局は何も選べないみたいな不自由さを抱える。


自分の現状に満足できなくても今できることをできる限りやってゆけばいい。

ただし力の出し惜しみはしないこと。


そしてここにもかの有名なスティーブジョブズの言葉が引用されている。

「来る日も来る日も、これが人生最後の日と思って生きることにしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日が来るだろう。もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?それに対する答えが”no”の日が幾日も続くとそろそろ何かを変える必要があるなと、そう語るわけである。」


自分と自分自身の関係は他者との人間関係にもそのまま反映するように思う。

たとえば自分に無理を強いている人は他人にも無意識にそれを強要している。

他人の話を聞けない人には日頃から自分の声にも耳を傾けていないんじゃないかという印象を与える。

これは私にあてはまるな(笑)

自己肯定感を十分に育めない人は、本人に対して本人がそうであるように他人にも肯定感を抱きにくく、評価的な態度を取りやすい。つい粗さがしをしたり。

逆にどんな相手ともごく自然に話ができて、等身大の自分を素直に表現できる人には、他社との関わりの健やかさの前に、その人自身との関わり合いの健やかさがある。

同じ柔らかさで、他人にも自分にも接しているのだと思う。