いま、銀座の教文館ナルニア国で、エドワード・アーディゾーニ展をやっています。
その関連イベントとして、チムシリーズの訳者であるなかがわちひろさんと、同シリーズの翻訳作業のお手伝いをされた多賀京子さんのダブルトークが催され、私も行ってきました。
なかがわちひろさんといえば、私の大好きな絵本『ちいさなあなたへ』の訳者さん。
読み聞かせをすると、感極まって泣いてしまうので、長女はこの本を「ママが泣く本」と呼んでいます。
この本を手に取り、読んでみて、他の誰でもない、なかがわさんが訳してくれて、本当に良かったとつくづく思う名訳です。
そんななかがわさんが訳された「チムシリーズ」を徹底的に深読みしよう、というのが今回の講演会の主旨。
拝聴していて思ったのは、本当に絵をよく観察していらっしゃるということ。
本人は「妄想が暴走」とおっしゃっていましたが、絵を穴が開くほど見て、読み込んでいくことは、絵本の翻訳には欠かせない作業なのだろうと思いました。
例えば、淡い恋心を抱いている幼いシャーロットが描かれている台所のシーン。さりげなく置かれているのはPLUM JAM……これは初恋の味なのでは?といった具合!
実際、アーディゾーニの絵には、遊び心があちこちに見て取れるのですが、読む側にも遊び心がなくては、楽しめないんですね。
翻訳の話はほとんどなかったのですが、おとなしめのお嬢様ルーシーちゃんが、「What shall we do?」というところで、原文どおりに訳せば「どうする?」となるのだけど、その前後から想像する性格をふまえて「どうしたらいいの?」と訳したというエピソードには、なるほど~と感じ入りました。
ところで、このシリーズ、大人が読むとストーリー的には、かなり破綻しています。荒唐無稽なところも多々あります。
チムが「海に出たいな~、でも、船は壊れちゃったしなぁ」と思っていると、お金持ちのルーシーちゃんが現れて、そのおじいちゃんが買ってくれるとか、お母さんを探して海に出ると嵐に遭い、浜辺に打ち上げられてぼろぼろのままさまよっていると、たまたま通りがかったお菓子のお店でお母さんを見つけたりとか(笑)。
なぜかチムが海にでるたび、嵐が起きるし(笑)
でも、毎晩、娘たちに読み聞かせをしていると、このシリーズがいかに子どもの気持ちに寄り添って書かれているかが分かるのです。
つまり、子どもがこうなってほしいな、と思うとおりになる。
アーディゾーニの子どもや孫、めいやいとこなどの名前が献辞に出てきますが、まさに、その子たちを喜ばせたい一心でシリーズを作ったのではないでしょうか。
講演会をなかがわさんは、こんな言葉で締めくくっていました。
「子どもたちが大人になることを楽しみにできるような世界をわたしたちは、その子どもたちに手渡していかなければならない」