今日は10月8日に発売する、
2ndシングル「Daydream」について語ろうかと思います。
と言っても、
皆さんまだじっくり聴いてないと思うので、
どういうメッセージを込めた曲かっていうのは、
また追々書こうと思います。
ちゃんと伝わって欲しいですからね。
というわけで、まずはMAY'Sを改めて知ってもらおうと、
詳しく自己紹介をしようと思います。
実は結成までのいきさつとか、
皆さんあんまり知らないんじゃないかな~?って思って。
ラジオとかインタビューではたまに話すので、
知ってる人は知ってると思いますが。
僕は中学の時からギターを始めて、すぐにバンドを結成しました。
コピーが嫌で、知識もないくせに最初からオリジナルをやってました。
そのバンドでは全ての曲のソングライティングをしていて、
曲作り暦もそこからスタートしました。
それこそカセットテープ式のMTRという録音機材を使っていて、
リバーブ(カラオケでいうエコー)の掛け方も知らないぐらいで、
風呂場で演奏したりもしてました。
今でこそ簡単にキレイな音で録音出来る時代ですが、
当時は全てが実験でした。
完成した曲をどうやってMDからCDに焼くのかも知らなかったので、
毎回業者に1枚3,000円(高っ!)でプレスしてもらってました。
そんな青春を送る事、数年間。
MAY'Sを結成したのが2002年なのですが、
実はMAY'S結成とバンド解散までが若干かぶってたりします。
そのぐらい長く続けていたバンドでした。
高校卒業後、バンドをもっと前進させたい!
という気持ちで、音楽の専門学校に入学しました。
それもギター学科などではなく、
デジタルミュージック学科という学科に入りました。
そこで、出席番号が一つしか違わない、
席順でいうと僕の前に座っている民謡出身の片桐さんに出会いました。
ちなみに僕が思う舞子の第一印象は声がでかくて、
いつも歌ってる子だな~って感じでした。
当時の僕はロック魂の意味を若干勘違いしてて、
金髪で金の刺繍の黒ジャージという風貌で、手ぶらで学校に行ってました。
せめて文房具ぐらい持って登校すればいいものの、
それすらも持ってない僕は、ある日窮地に陥りました。
小テスト的なものがあったのにも関わらず、
ペン一つ持ってなかったのです。
僕は勇気を出して前方の女性に声をかけました。
「か、片桐さん。ペ、ペン貸してもらえますか?」
その時の状況を、後日舞子はこう語っています。
「後ろにいる埼玉のヤンキーが声かけてきた。殺されるかと思った。」
そんな和やかな出会いのきっかけのおかげで、
僕らと数人のグループは、晴れて学校のサボリ仲間となりました。
昔からR&BやHIP HOPが大好きで、
ロックやってるくせに、意外と聴いてる音楽はブラックばかりでした。
でもメインストリームにはあまり興味がなく、
基本的に80'sや90'sばかり聴いてました。
舞子とも、いつもブラックミュージックの情報交換をしてました。
あ、俺が貸したBlaque Ivoryまだ返してもらってないや。
ちょうど1年生の終わりぐらいに、バンドが解散危機になりました。
詳しく話すと涙が出そうになるので、それについては飛ばします。
そして僕は、音楽活動に対して途方に暮れてしまいました。
そのバンド以外の道なんて考えてなかったですからね。
曲作りだってロック以外は聴いてはいるものの、
作った事は1回も無かったのですから。
そんな時に舞子の歌声に出会いました。
もちろんそれまで何度も聴いた事があったのですが、
自分はバンドやってるし、よその家の子っていう感覚だったので。
でもある時、僕がお遊びで作ったR&Bトラックに
舞子がその場で歌をのせてくれてくれました。
なんだか衝撃的だったのを覚えています。
「この子なら、俺が大好きなブラックミュージックを歌いこなせるな~。」
ブラックミュージックをいつか作りたいっていう気持ちは
ずっと前からあったので、お互いのタイミングがシンクロした瞬間でした。
舞子も特定のユニットには属してなかったので、
課題提出(音楽学校なので曲を作って提出しなくちゃならない)を期にMAY'Sを結成しました。
ちなみに後楽園駅の地下にあるマックで結成したのですが、
ユニット名の候補に挙がっていたのが「MAY'S」ともう一つ、
「ROSE」
でした。
良かった、MAY'Sにして。
そこからは学校にも行かず、毎日MAY'Sの曲作りに明け暮れてました。
学校からしたら完全に問題児なのにも関わらず、成績はSAでした。
自分らで曲作って、CDを焼いて、ジャケットも手作りしてライブ会場で売る。
その行動を学校が課外活動として認めてくれて、
先生達もチヤホヤしてくれるもんだから。
ますます授業をサボってしまいました。
でも毎日毎日、無邪気に曲作りしてた当時のエネルギーは凄いです。
そういえばMAY'SでJULYっていう曲があるんですけど、この曲もその当時に作った曲だったりします。
そして卒業後もマイペースに音楽活動を続けて、今に至ります。
「Daydream」の話とは全く無関係な方向になってしまいましたが、
実はそうでもないんです。
僕らが作る曲には、メッセージや重要な意味があるのはもちろんですが、
全ての楽曲に、それプラス僕らの数年間の歴史がスパイスとして込められてます。
渾身の一作「Daydream」を聴いてもらう前に、
MAY'Sの歴史を知ってもらいたなって思ったわけです。
自分達の辿ってきた音楽の歴史が、サウンドに1番込められている曲、
それはまさしく「Daydream」だと思います。
僕らの数年間の軌跡を感じてください。
2ndシングル「Daydream」について語ろうかと思います。
と言っても、
皆さんまだじっくり聴いてないと思うので、
どういうメッセージを込めた曲かっていうのは、
また追々書こうと思います。
ちゃんと伝わって欲しいですからね。
というわけで、まずはMAY'Sを改めて知ってもらおうと、
詳しく自己紹介をしようと思います。
実は結成までのいきさつとか、
皆さんあんまり知らないんじゃないかな~?って思って。
ラジオとかインタビューではたまに話すので、
知ってる人は知ってると思いますが。
僕は中学の時からギターを始めて、すぐにバンドを結成しました。
コピーが嫌で、知識もないくせに最初からオリジナルをやってました。
そのバンドでは全ての曲のソングライティングをしていて、
曲作り暦もそこからスタートしました。
それこそカセットテープ式のMTRという録音機材を使っていて、
リバーブ(カラオケでいうエコー)の掛け方も知らないぐらいで、
風呂場で演奏したりもしてました。
今でこそ簡単にキレイな音で録音出来る時代ですが、
当時は全てが実験でした。
完成した曲をどうやってMDからCDに焼くのかも知らなかったので、
毎回業者に1枚3,000円(高っ!)でプレスしてもらってました。
そんな青春を送る事、数年間。
MAY'Sを結成したのが2002年なのですが、
実はMAY'S結成とバンド解散までが若干かぶってたりします。
そのぐらい長く続けていたバンドでした。
高校卒業後、バンドをもっと前進させたい!
という気持ちで、音楽の専門学校に入学しました。
それもギター学科などではなく、
デジタルミュージック学科という学科に入りました。
そこで、出席番号が一つしか違わない、
席順でいうと僕の前に座っている民謡出身の片桐さんに出会いました。
ちなみに僕が思う舞子の第一印象は声がでかくて、
いつも歌ってる子だな~って感じでした。
当時の僕はロック魂の意味を若干勘違いしてて、
金髪で金の刺繍の黒ジャージという風貌で、手ぶらで学校に行ってました。
せめて文房具ぐらい持って登校すればいいものの、
それすらも持ってない僕は、ある日窮地に陥りました。
小テスト的なものがあったのにも関わらず、
ペン一つ持ってなかったのです。
僕は勇気を出して前方の女性に声をかけました。
「か、片桐さん。ペ、ペン貸してもらえますか?」
その時の状況を、後日舞子はこう語っています。
「後ろにいる埼玉のヤンキーが声かけてきた。殺されるかと思った。」
そんな和やかな出会いのきっかけのおかげで、
僕らと数人のグループは、晴れて学校のサボリ仲間となりました。
昔からR&BやHIP HOPが大好きで、
ロックやってるくせに、意外と聴いてる音楽はブラックばかりでした。
でもメインストリームにはあまり興味がなく、
基本的に80'sや90'sばかり聴いてました。
舞子とも、いつもブラックミュージックの情報交換をしてました。
あ、俺が貸したBlaque Ivoryまだ返してもらってないや。
ちょうど1年生の終わりぐらいに、バンドが解散危機になりました。
詳しく話すと涙が出そうになるので、それについては飛ばします。
そして僕は、音楽活動に対して途方に暮れてしまいました。
そのバンド以外の道なんて考えてなかったですからね。
曲作りだってロック以外は聴いてはいるものの、
作った事は1回も無かったのですから。
そんな時に舞子の歌声に出会いました。
もちろんそれまで何度も聴いた事があったのですが、
自分はバンドやってるし、よその家の子っていう感覚だったので。
でもある時、僕がお遊びで作ったR&Bトラックに
舞子がその場で歌をのせてくれてくれました。
なんだか衝撃的だったのを覚えています。
「この子なら、俺が大好きなブラックミュージックを歌いこなせるな~。」
ブラックミュージックをいつか作りたいっていう気持ちは
ずっと前からあったので、お互いのタイミングがシンクロした瞬間でした。
舞子も特定のユニットには属してなかったので、
課題提出(音楽学校なので曲を作って提出しなくちゃならない)を期にMAY'Sを結成しました。
ちなみに後楽園駅の地下にあるマックで結成したのですが、
ユニット名の候補に挙がっていたのが「MAY'S」ともう一つ、
「ROSE」
でした。
良かった、MAY'Sにして。
そこからは学校にも行かず、毎日MAY'Sの曲作りに明け暮れてました。
学校からしたら完全に問題児なのにも関わらず、成績はSAでした。
自分らで曲作って、CDを焼いて、ジャケットも手作りしてライブ会場で売る。
その行動を学校が課外活動として認めてくれて、
先生達もチヤホヤしてくれるもんだから。
ますます授業をサボってしまいました。
でも毎日毎日、無邪気に曲作りしてた当時のエネルギーは凄いです。
そういえばMAY'SでJULYっていう曲があるんですけど、この曲もその当時に作った曲だったりします。
そして卒業後もマイペースに音楽活動を続けて、今に至ります。
「Daydream」の話とは全く無関係な方向になってしまいましたが、
実はそうでもないんです。
僕らが作る曲には、メッセージや重要な意味があるのはもちろんですが、
全ての楽曲に、それプラス僕らの数年間の歴史がスパイスとして込められてます。
渾身の一作「Daydream」を聴いてもらう前に、
MAY'Sの歴史を知ってもらいたなって思ったわけです。
自分達の辿ってきた音楽の歴史が、サウンドに1番込められている曲、
それはまさしく「Daydream」だと思います。
僕らの数年間の軌跡を感じてください。