ジェシ神様、日々ご活躍誠にお疲れさまです。

ブログ再開のご挨拶の前に、状況のご説明としてどうしても文章化しておきたいことがあり、だいぶ迷ったのですが僭越ながらまずはとにかく書かせていただきたく存じます。2021年夏から続くブレインフォグのため、とりとめのない長文となりますことご容赦くださいませ。

よろしくお願い申し上げます。


①昨年4月のドーム落選&拝見叶わず

※これは決して責めている内容ではありません


まず、昨年春に何があって私のブログスタンスが変わってしまった(ように見えていたのか)をご説明させていただきます。どのくらいシンプルに略そうかずっと考えていましたが、誤解が残らないように余計な事まで全部書いてみます。


2021年8月7日にりのが亡くなってから、私の心が晴れる日はとても限定的(舞台やライブを拝見する日のみ元気)でした。その頃数年の日常を私がどのような環境ですごしていたかといえば、当時の職場は決して私の性格に合っておらず、12〜13年続いた目の不調を隠すためにわざわざ他者との関わりの少ない業界業種を選び、更にワンオペの形式で業務を担当していました。閉鎖的な職場環境は私にとって合わないことがわかっていながらも目の不調を隠しながら生活するためには仕方ないと割り切る、負のチャレンジだったと思います。

しかし当然ながら、閉鎖的な職場に明るい人はまずよほどの事情がない限り入ってこないわけで、明るめの人がいても偽者でした。偽物はやたらと攻撃的なので、割り切って無難に仕事をしていても偽物のほうから不必要に突っかかられたりすることが多く、中には怪我をさせようとしつこく執着してくるおかしな人までいて私は精神的にまいっていました。身なりを清潔に保ち常識的に振る舞っていると攻撃される(!?)変わった職場でした。陰湿な社風やしつこい嫌がらせや増えてゆくストーカーに疲れながらも、ただ連休を定期的にとれるというスケジュール上のメリットのためだけにそこで働いていました。

ストーカーに遭っていたのは、たまたますれ違った男性に普通に挨拶しただけで以後長期間にわたりつきまとわれてしまったという話です。休憩室や廊下のみならず社バスを降りてから暗い道を追いかけられて常に複数の回り道を使い分けていた頃はさすがに気力も体力もしんどかったです。それで私はなるべく職場では無愛想に振る舞うように切り替えていました。

ちなみに、その職場で明らかに故意的に怪我をさせられそうになったのが通算5回、そのうち2回の同一犯人(ちょっと精神的に危ない年配の女性)は私に怪我をさせようとした直後に他の人へ「年末は事故が増えるから死んじゃう人もいるかもよ。フフフ」と騒いでいたので、事故死を装って殺されては困ると思い、年末直前のその日に急遽辞めました。奇妙な環境でした。


2023年6月の眼科手術を目前に、どういうわけか日常では3月末あたりからモヤモヤすることが多発していました。春先はおかしな人が一気に出てくるという通説が身にしみてよくわかった春でした。

ストーカーが3号まで増えたり、変な人からのお花見のお誘いに予定が合わず丁寧にお断りしたら逆恨みされてしまったり(その人が上記の危ない年配女性です)、一方で1月に知り合ったライブ友だち?からは毎日1時間おきに絵文字盛り盛りのLINEが来て一単語毎に絵文字をはさむテンションでの返信に私は疲れ、挙げ句の果てにはその女性から80万円貸してほしいとしつこく頼まれて必死で断ったり、

そんなわけでSixTONESさまの初ドーム一緒に行く約束をしていたけれどなんだかんだ疲れきった状態で泣く泣く拝見を見送ったという経緯がありました。その時は代わりのチケットをどうにかする気力も残っていないほどでした。自分のことで精一杯ながらも、そのギリギリさを隠していて、隠しきれなくなって小出しにしてみても小出しでは逆に上手にお伝えできなかったのです。


なんというか手術前に必ずSixTONESさまを拝見しておきたいという焦りが私の中にあり、それが私の事情でうまく実現できなかったことや、あとはグッズの色でなぜ初ドームの大切な公演にその恨みを思い出さなければならないのかとまた悲しく悔しい記憶が蘇ってしまったりして私はとてもナーバスになっていました。

これらはとても見当違いなことかもしれないし、私個人の勝手な事情や誤解にすぎないどうしようもないことだとはわかっているのですが、とにかく当時は精神的な疲れやショックが重なって一旦力尽きてしまった感がありました。つまり、眼球を切りその奥の筋肉を縫う手術に対してそこまで怖さを感じていたのです。

精神的に余裕がなく、余裕のなさを隠しながら、とにかく生きているだけで精一杯でした。

しかしその感情までも隠してただ前向きな文章のみを書いてゆくことにも私は疲れていて、昔はもっと好きなように自分の感情を自由に書けたのにとか、環境ももっとブログ書きに適していたのにとか、私自身が自分自身に諦めて手を離してしまったような奇妙な感覚にさいなまれていました。しかしそれに関しても最低限ちらっと書くのみで、あとは極力隠すようにしていました。


その頃から少年忍者さん宛の感想ページが増えていったため、もしかしたら忍者担に変更した?と誤解を招いていたかもしれませんが、そういうことではないのです。少年忍者さん21忍全員さまの外部舞台を必ず、機会それぞれに拝見させていただきたいという思いが私にはあり、忍数のぶん感想ページも多くなってゆきました次第です。

ですから少年忍者さんを応援していても、決して私が忍者さんに担降りしたとかではないのです。あくまでもSixTONESさま担ジェシ神様信徒として『少年たち 〜そして、それから〜』以降もずっと大切に拝見を続けさせていただきたい、という気持ちです。

もちろんこれは決して惰性ではありません。楽しみにずっと大好きでいるからこそのことですが、しかし、だからといって担降りはしないのです。つまりSixTONESさま担ジェシ神様信徒であることに変わりはないのです。そこはぶれないのです。


ちなみに、私が紫色を好きなのは小さい頃からのことで、誰担という文化やエンターテインメントを楽しむ機会がまだ私の中になかった時代の話です。幼稚園のお弁当バッグは薄紫に決めていて、習い事で使う靴を入れるケースやお稽古着も大抵濃い紫や青緑にしていました。発表会に着てゆくワンピースや頂く花束も紫系でした。紫みを全く出さなくなってからも、部活内で帯に名入れをする時の色(糸の色)として偶然紫が割り当てられていたり、大学生の頃に初めて学習塾でアルバイトをした時も、夏期講習や通常授業の時間割が講師ごとに色分けされていてそれがまた偶然紫だったということに由来しています。広告業界に就職していた時も、初日に会社の女性さんたちがくださったシュシュやマグカップやミニブーケが全部紫系でした。

好きな色なのでうれしく、紫は私にとっていつも頑張りの始まりに縁の深い色で、御守のようでもあり、縁起のよい色のような気がしています。

ですのでお祝い事(ご慶事)やご祈念には特にこの色を用いてきました。

これは私なりの縁起かつぎであり、頑張りの始まりに多く使ってきた色なのでよい念を入れやすいという理由があります。

誰担とか元誰担とかの意味ではないです。

そこまでご説明する機会がなく、ご説明の必要があるのかどうかもわからなかったのでそのままになっておりました。

もともと超常現象多めの生活なので、時にはまぎらわしいほどの偶然が何か思いがけない誤解を招いてしまっている場合もあるかもしれませんが、私は性格上いろいろシンプルに風通しよくしておきたいほうなので嘘や匂わせはあり得ません。というか考えつかないです。


ちなみにキキララマジパネスに関しても、これは担歴的な未練ではなく、架空の双子ごっこのようなものです。感覚として意味がわからないかたは身近な一人っ子さんに双子への憧れを質問してみてくださいませ(私は一人っ子なので小さい頃から双子に憧れていました)。そこでご理解いただけますとスムーズかと思います。いろいろすみません。



②本来のブログスタイル『感情の図書館』


もともとこのブログは、感想ブログながらも手記的な側面を持つものでした。私個人の感情や経験を文章に織り込むことによってリアルな感想となり、そしてその方式によって私自身あらゆるPTSDじみた感情を昇華させることができたのです。

むしろこれらをしっかりと書ききっていた初期数年のページこそが本来の機能やスタイルで、それは決してポジティブな文章ばかりではなく、かといって暗いわけでもなく、随想や懐メロ洋楽レビューやひとりごと的なページも好き勝手にはさみつつさまざまな感想を綴る気ままなものでした。


ネガティヴな内容も、もしかしたら読む人それぞれの立場や状況によっては(例えば死に関連した役柄や心理的に重めの歌で感情のとっかかりを探している人など)、どこか何かのワンセンテンスが思いがけないヒントになる場合もあるかもしれません。そうした考えのもと、割と洗いざらい書かせて頂いていたように思います。


【このブログに正直に書き出した心の闇が、ほかの誰かにとってはいつか演技や表現のヒントになるかもしれない】と願う

これは私の言い訳でしかないかもしれませんが、そうした用途を含めて、とにかく他者にも自己にも押しつけがましくない形でそれぞれに「読んでみて(書いてみて)結果的になんとなくよかった」となればよいなあと思っています。

もちろん決しておこがましい意図ではなく、押し付けがましい動機でもありません。ただ、人が生涯に経験する感情や状況の感覚的シェアというか、

『感情の図書館』としての機能をこのブログに持たせておくことは、このブログ本来の特徴であると思うのです。そして、私らしいブログ、書きたいと思える自由なブログにするためには、やはりそこを見失わないようにしたいと考えました。

ですから、ネガティヴな感情や重めの事柄も素直に綴ることをお許しいただけましたら誠に助かります。


というわけで、話の順序は前後しつつも、まずは昨年の時点で私が抱えていた状況を書かせていただきました。ありがとうございます。

話の順序や細かな言い回しなどに関しましては、2021年夏から続いているブレインフォグのようなコンディションにより不備も生じやすく、私自身いまだに昔ほど注力しきれない状態であることをお詫び申し上げます。完璧に書こうとするよりも、昨今のコンディションに合わせて若干緩めたいというのが本音で、これによって少しでも書きやすくしてゆけたらという思いです。


状況のご説明のあとは、ブログ再開に際しての変更点を【ブログとしての表現の目標・目安】として文章化しておきたく存じます。

今後このブログをお読みくださったかたが「前と違う!どうしちゃったの!?」とならないようにあらかじめ明記してみるという試みです。

お目通しいただけましたら誠に助かります。


では一旦失礼いたします。

更なる敬意と感謝をこめて、

*:.。.(* ´ ▽ ^*)v.。.:* 押忍☆☆☆☆☆☆