きっかけは福島第1原発の放射性物質漏れ事故
2011年3月、埼玉飯能は目に見えての被害はなかったのですが、東日本大震災に伴い福島第1原発が被災し、放射性物質が漏れだし、
多分…いや、きっと、私たちは放射性物質の雲からの雨をたっぷり浴びてしまい、被爆してしまいました。
ガソリンが手に入り難いことから、子ども達のピアノに通う為、一家4人、雨の中1時間歩いてしまいました。
主人も同じ日、同じ理由で、雨の中自転車出勤していました。
どうやらその時、放射性物質を沢山含んだ黒い雲と雨雲が出会って雨に混ざって落ちていたようです。
そんなこと、ニュースにもなっていなかったと思い返します。
家族みんなに今までにない症状が現れ、医者に罹っても原因不明と言われるばかりで、また、頑なに「原発事故・放射性物質が原因だ」と言わないのです。
何かに口止めでもされているのかと思う程、どの医者も、です。
嘲笑までされました。
ある日、息子は英語の塾で倒れ、そのまま埼玉医大の夜間診療へ。
不安な1夜を明かしました。
主人は甲状腺機能亢進症になり、数年医者通いしました。
長女次女は急に大量の鼻血を出したり、下痢を繰り返したり、私も口の中に金属味を長いこと感じていました。
しかし、西日本以西の水や食べ物を取り寄せて食べているうちに、すっかり体調が良くなりました。
極力放射性物質を避けたくて、給食も屋外体育もプールもストップしました。
息子に至っては翌年の日光への修学旅行も、自分から欠席を決めました。
給食室の前に「嬬恋キャベツ」の箱を見つけた息子は、「成人式で再開する時、みんな元気でいるのだろうか」と心痛めていました。
国が大丈夫と言ったから大丈夫なのか?
テレビで安心といえば大丈夫なのか?
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のか?
自分が身を以て体験したことと メディアに流れている情報があまりにも違いすぎて、全てが信じられなくなりました。
医者も国もあてにならない。自分で調べるしかない!
家族に安心・安全なものを食べさせたいと色々調べているうちに、食に関しての意識が一気に高まりました。
私たちの身を脅かしているのは放射性物質だけじゃない
今まで大丈夫だと思っていたものが実は有害だった
食品添加物・農薬・アルミ鍋・電子レンジ・内服薬・家畜の飼料に含まれる遺伝子組み換え飼料(食品)や抗生剤・電磁波・コンビニ食・ペットボトル飲料・白砂糖・予防接種・牛乳…
食品業界に居たので、産地偽装や「混ぜて売る」などあってはならない事があることも知っていました。
自分の命は自分で守るしかない
国は守ってくれない、学校の先生、自治体も然り
命に関わるとても大事なことを人任せにしていてはダメだ
一番大事な食べるものは、自分で作るのが一番いい
まずは野菜 無農薬で…
そう思うようになったのが、私たちが農業を目指すきっかけです。
自然栽培農家さんとの出会い
原発事故から数年後、
地域のケーブルテレビで、隣の日高市で自然栽培で固定種野菜を育てているふうわりファームさんを知りました。
ふうわりファームさんのホームページに行ってみると、
飯能市内で同じく固定種野菜を自然栽培で育てている小島農園さんのホームページのリンクがありました。
何とか農業指南をしていただきたい、先ずは繋がりを持ちたい、と 小島農園さんに連絡を取ったところ、ちょうど「畑に行こうよ」という親子で畑作業をする定期イベントを始めるとのことでした。
我が家には該当するような小さな子どもは居ないのですが、特別に参加させていただけることになりました。
同時に、小島さんの師匠である三芳町の明石農園さん(もちろん固定種・自然栽培)を紹介していただき、そこで農業研修を受けさせていただけることになりました。
ここまでほんの1週間位のやり取りです。
「これ!」と思ったことは驚くほどスムーズに事が運ぶものですね!
その後、小島農園さんの畑の一角をお借りして、私たちが思うように野菜を育てさせていただきました。
それだけでなく、主人の農業研修も引き受けてくださいました。
小島さん、本当にありがたい存在です。
お借りしていた区画。
これが「私たちの畑」の始まりです。
家族以外にも必要としている人がいるかもしれない…
自家消費分+αくらい育てられるようになった頃、
無肥料・無農薬野菜を欲しがっている人がいるのではないか、と思うようになりました。
できた野菜を差し上げると、どなたからも無農薬・無施肥・自然栽培の固定種野菜は、「欲しいのにどこにも売っていない・手に入らない」と、とても有り難がれ喜ばれるのです。
それと並行して、畑をやっているうちに道行く人の声を掛けていただいたり、「畑仲間」ができ空いている畑を紹介してもらったり、直接「畑借りない?」と声を掛けてくださったりで、どんどん耕作面積が増えていきました。
丁度主人が、務めている塾の進退を考えている時でした。
午前中畑作業をして、14時頃から塾へ出勤、帰宅は決まって午前様…。
一人でよく頑張ったな、と思います。
しかし心も体も限界を迎えます。
「今勤めている塾をやりながらだと畑作業が思うようにできない。
自然の中で農作業を通じて子どもたちが育ち、活躍できるような塾にしたい。
独立したい。」
大賛成でした。
全力でバックアップすることを誓いました!
私の再就職と心の葛藤
時を同じくして、私も40半ばにして正社員としての再就職が決まりました。
前職と同じ、大手食品メーカーの事務職です。
その頃の私の畑作業は、私の休みの日に主人を手伝う程度でした。
1日中パソコンの前に座りっぱなしな為か、アーシングが必要だったのでしょう。
耕耘したてのふかふかの土の上に横になるのが好きでした。
土の上に顔を近づけると、小さな小さな虫たちが暮らしています。
心和む瞬間でした。
2015年頃、草刈りした直後の畑に、片肘枕で横たわる私(画像中央)
再就職先での仕事は、先輩や仲間にとても恵まれ、また前職を買っていただいて、今思うと新人に任せるには荷が重いような仕事まで任せていただいていました。
朝7時出社・残業して21時過ぎまで、欠勤なしで毎日よく働きました。
ただし、私一人に任されている仕事もあり、休みが思うように取れず、子どもたちの参観や運動会には一度も行くことができませんでした。
食品添加物などの発注業務は事務職の仕事です。
私の発注したとおりに届く、白い粉の入った大きな袋…。
正直抵抗がありました。
実は入社前から自社製品は買っていませんでした。
買うのは自然食品店のものや出処の分かるものだけでしたので、ここで葛藤が起き始めます。
自分が食べないようなものを人には食べさせるのか
それで金を稼いでいるのか
その金で自分の子どもを学校に行かせているのか
自分と家族だけよければいいのか…
苦しかったです。
時を同じくして、私の残業時間が法定時間を超える月が連続していました。
同じ状況下で、現場の人は早く帰らせて貰ったり遅い出勤時間にして貰ったりするのに、事務職の私だけ何も策を打って貰えないどころか「もっと現場の時間外早朝出勤に出ろ!」と言われ、何ともいえない理不尽さを感じていました。
同時に、会社の歯車でいることに違和感を感じだしました。
「このままでは身も心もダメになる」と、退職を考え始めました。
自営として始めた学習塾「寺子屋Will」の需要が想像以上で、どの学年も満席以上になり、みなさんから必要とされている喜びを感じると同時に、
作付け面積がどんどん増え、畑に手が回っていませんでした。
我が家のベランダには定植を待つ苗がズラリ並んだままになっていました。
播種すらされていないものもありました。
適期に播種・定植しないと、収量が減ったりうまく育ちません。
そんな様子を見て退職の決心がつきました。
私の収入が半分以下になってしまうけど私も畑をやりたい
お父さん(主人)を助けたい
もっと精神的自由・時間的自由が欲しい
残りの人生を人のために働きたい
人から「ありがとう」と言って貰える仕事がしたい
お父さんともっと一緒にいたい
せっかく再就職したのに2年と少しで退職してしまいましたが、
今の生活がとても幸せで充実しているので、今日の今日まで一度も退職を後悔したことはありません。
脱サラ後
2017年6月いっぱいでサラリーマン人生に終わりを告げ、最終出勤日の翌日から早速畑に出ました。
暑い盛りだったので、日の出前4時半から畑に出てよく身体を動かしました。
どんどん陽に焼けて、顔つきが男前になっていきました。
体が暑さに慣れていなくてフラフラになって、天日海塩と小島農園の奥様・直子さんお手製の梅干しと酵素ジュースに何度となく助けられました。
主人も夏期講習で忙しい時期でした。
遅れていた夏野菜のポット播き〜定植・除草作業・秋野菜の計画と準備を、
一人で行いました。
支柱の立て方一つ、定植する苗の間隔…
全くわからない、やったことのないことばかりでしたが、自分で調べてなんとかこなしました。
主人も私に全信頼を置いてくれて、全てを任せてくれました。
そして今に至ります。
これからの予定
2018年春からいよいよ「わくわく自然塾〜Will〜」始動の予定です。
今までは寺子屋Willの皆さんに畑に来ていただいて、畑作業をしていただきましたが、これからはそれとはまた別に募集をして、畑作業〜販売までしていただく予定です。
田んぼを貸してくださる方、「是非定期的にお手伝いさせてください!」というお申し出もいただいています。
まさに「わくわく」です!
今、塾頭と「何をしたら楽しいか」、案を練っているところです。
楽しみにしていてください。