もう全員亡くなりましたが、私は祖父母が大好きでした。
どこの家庭でもそうだと思いますが、父母にはよく怒られますが、祖父母は可愛がってくれるばかりだったからだと思います。
先日、祖父母の写真が欲しいと思い、生まれた頃からのアルバムを見ていました。
親に虐待されたりして、幸せな写真が1つもない人もおられるかもしれませんけれど、私は幸せなことに生まれた頃からの写真を親が大事に保存してくれていました。

そのアルバムは久しぶりに見たのですが、親がちょこちょこコメントを書いていて、それが面白かったです。
「待望の女の子」とか「朝はいつもごきげん」とか。
「1人遊びが好き」というのは2つもコメントがありました。私らしいなと思いました。
私の母親は、自分が母(私から見て祖母)離れできず苦しかったから、自立できるよう育ててきたと言っていました。また、子どもの育て方がよく分からなかったし、自分がベタベタする人間関係が嫌だから、クールな親子関係を築いてきたとも言われていました。

それをよく言われていたので、頭では納得していましたが、友達とその母親の関係を見ていると、何でも話せれていいなとか、お母さんは私のこと好きじゃないのかなって思ったりしていました。
大人になって、人それぞれ愛情の示し方が違うことも分かりましたし、私の母と祖母のようなべったりの関係で育った友達の、「私はべったりで育てられたから、私は自立できてない。自立できるよう育てられてうらやましい。」という言葉で、母は母なりに私を愛してくれていたのだなと思っていました。

もし子育て中の人がいるなら、子どもを愛しているなら、できるだけ愛しているという事を言葉で行動でストレートに伝えてあげて下さい。子どもはまわりくどい愛情の示され方をされても分かりません。そのかわり、子どもは親の愛情がストレートに分かると、ものすごく幸せになりますよ。
あとインナーチャイルドのワークをされている方は、幼い頃の自分の写真を見ると、昔の自分の気持ちがより分かりやすくなると思います。


先日、アルバム見返し、コメントを見て、また笑顔で私をあやしている親を見て、自分は親に愛されていたのだと再確認でき、とても嬉しかったです。
最近は、アルバムをデーターで保存されているご家庭も多いと思いますが、もしコメントを残せるなら残してあげておいて、子どもが反抗期になった時とかに見せるといいかもしれません 笑



さてここから本題です。
そのアルバムを見ている時、親から、私達兄弟を育てる時に添い寝をしなかったという事を聞きました。
祖父が外国の育児書を手に入れてくれたらしく、その本のまま育てていたらしいです。
通常日本では、ある時期まで添い寝を、しかも両親と同じ部屋で寝かせるのが当たり前で、外国ではある時期がきたら眠る部屋を親と子供、別室にするのが当たり前です。
なので、私や兄弟が幼い頃、知人が夜に遊びにきている時「添い寝の時間でないの?」と聞かれ、親が「勝手に眠るからいいよ。」と言ってると、私達がトコトコ自分の部屋に行って眠るのを見て大変驚いたそうです。

何が言いたいかというと、この事を聞いて人間は教育や後天的な環境でどうともなると思ったということです。
私達は1人で眠るのが当たり前だと思っていましたが、添い寝が当たり前と育てられたらそれが当たり前だと思います。また私はずっと、悪い人間なんていないと思って生きてきました。しかし、これまでの私のブログを読まれている人はいろいろな経過が分かると思いますが、今は世の中、悪人もいると思い、おそらく普通の人より人を疑っていると思います。
だから、子育て中の人も自分育て中の人も、性格も習慣も能力もいつでも変えることができると希望を持って下さい。
ただ、添い寝は大事という説もありますので、良かったらご覧下さい。

☆幸せな家庭を築く心理学「添い寝のすすめ」
http://ameblo.jp/mentalconsultant/entry-11373239563.html

私は今では自立できるような育て方をされて良かったと思います。
だからか、私は”血筋”というものにあんまりこだわりがありません。
みなさん、自分の血の子どもが欲しいと言われますが、私は別に自分の子どもでなくてもいいと思っています。
寧ろ、私はアトピーの嫌さが骨の髄まで身にしみているので、子どもが100%アトピー体質にならないなら産んでもいいと思いますが、0.0001%でもなる確率があるなら絶対産みたくないです。
子どもを産んで幸せ100倍になると思いますが、自分以外にも子どももアトピーなら悩みが2倍になるので絶対嫌です。
ただ、”血筋”については幻の桜さんのブログや、スピリチュアルな方のブログによると意味があるみたいです。


ところで、私の両親はいわゆる一般的な日本人の考え方をしています。しかし、私は自分でも外国的な考え方や人とずれている考え方をしているなあと思っていました。それは、外国の育児書で育てられたからかと思いましたが、私の兄弟は親と同じく日本的な考え方をしています。それに、2人の子どもの子育て中の友人も 「子どもは持って生まれた性格がある。同じように育てているのに全然違うよに育つ」と言っていました。
なので、人の性格などはもって生まれたものもあるかもしれません・

母は「私は子育ての仕方がよくわからなかった。ごめんね。」と何度か謝ってくれたことがあります。
何について謝ってくれたのかはあいまいでしたが、私の変な性格についてなら、絶対親の責任ではありません。私の生まれ持ったもったものだと思います。私が変わっているのはETだからかもしれません。ETについては、次記事を参考にして下さい。(宣伝ではありません。)

子育て中の友人にその話をしたら、
「そんなの、私だって育て方なんて分からない。みんな試行錯誤で育ててるんや。」
と言っていました
本『神との対話』によると、神からすると、私達地球人は、子どもが子どもを育てている社会だそうです。
高度な文化を持つ社会では、子育ては50,60歳の人がしているそうです。
子どもを産むのは自由だが、50,60歳の大人が子どもを育て、親という概念もあまりなく、皆が家族で、親といたければ親と、いたくなければ他の人といたらいいようです。


添い寝やら子育てについてやらいろいろ書きましたが、言いたいことは、素質や持って生まれたものもありますが、環境で人間は変わる事ができるということです。これって言葉ではさらっと書いていますが、とても希望のあることだと思います。
だから、いじめにあってる子どもたちが転校したり、学校以外の場に参加することはとても意義があると思います。
レッテルとあると思うので、それを環境を変えることでレッテルも捨てることができるのだと思います。
長くなったのでここまでで。