以前の記事『衣の改善点』 に訂正がありました。
「日本は食べ物でもなんでも消費者に受け入れられるように、漂白という無駄な工程をしたり、その上で着色したりします。」
と書きましたが、本『オーガニックコットン物語』 宮﨑道男 著 によると無漂白製品の方が手間がかかっていて、漂白はその手間を省くためのようです。

下記引用

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■綿花の葉や茎の枯れた破片は完全に取りきれず、布地の表面に点々と残る。
また工場内は完璧に清潔なわけではない。色が付いた一般の綿製品の綿ぼこりが飛んで、白い布地に入り込む場合もある。機械の潤滑油が綿ぼこりと混じって布池についたり、人が触って布地が手垢で汚れたりもする。
こうした問題を解消するのが漂白。漂白の工程では強い酸性やアルカリ性の薬品で色素を脱色する。
漂白が行なわれるのは、消費者が真っ白で清潔感のある製品を好むからだけでなく、生産者側のボロ隠しのために行われる側面もある。

■無漂白の製品は、一見何もしていないように見えるが、実は手間がかかっている。
例えば化粧品のコットンパフ:
 綿を漂白すれば、黒い粒状の綿のカス(葉や茎の破片)も脱色されて見えなくなる。異物除去の時間は、漂白された一般製品のおよそ4倍かかる。デリケートな化粧用品に異物が入っていれば敬遠されるから作業員は入念に異物を取り除かないとだめ。

■綿花の本来の色のまま製品化すると、品種や産地や収穫時期によって、洋服の身頃(体の前面と背面を覆う部分)と袖や襟に色の違いが少しでもあれば、不良品として扱われてしまう。こうした衣料品業界の常識に合わせるために、布地にする際に細心の注意をして自然の色合いを見分けなければならない。その手間がコストに響く。

■手を加えない生成りの布地は優しい風合いで、肌を美しく映す。
多少の色ずれは個性として了解されるべきなのですが、消費者の品質に対する目が厳しいため、販売店の責任者の了解はなかなか得られない。

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この部分を読んで2つのことがうかびました。
1つは、以前家電製品の部品工場でアルバイトをした時のことです。
ある部品と部品を手作業で組み合わせるのですけれど、その時どうしても外面にきずがつきやすくなっていました。その部品は消費者からは見えない部分だったのですが、少しの傷でも全て不良として扱われました。フィリピン人の方が、「日本人は厳し過ぎる。」と言われてたのに私も納得しました。
また、野菜なども曲がったものや形がいびつなものは規格外として市場に出せなかったり、破格の値段で取引されると言われます。外国のスーパーだとそんな形の野菜も普通に出回ってるみたいです。
日本人の本音と建前のように、日本人の外面をとりつくろったり、中身でなく外面重視の特徴がここにも現れているのではと思います。


2つ目は、『これからの事業・仕事』に書いた、これからは「本物」が売れる。ということが正しいと確信しました。
上記の引用のように、「本物」は人の手間がかかっています。だから「本物」の値段は良い物だからというのもありますが、手間代も含まれています。したがって、「本物」を作るには雇用が多く生み出されます。
だから物にもよりますが、「本物」を作ることは地球環境や人間の生態系に良いこと以上に、適正な経済システムに貢献するのかなと思いました。
昨今の安価な取引の裏には、日本や、特に海外ではひどいですけれど、なんの足しにもならないくらいの賃金で働いている人達が犠牲になっているのが問題になっています。
「本物」の良さを皆が求め、「本物」の製品が安定して取引されるようになればいいなと思いました。

パソコンはじめ、便利になったことも多々ありますが、おそらく戦前の日本の衣食住には多くの「本物」があったのだと私は考えています。
ですので、核となる概念は「地球環境に優しいか」「人間の生態系に優しいか」を念頭に、戦前と戦後の良いとこどりをすればいいのでは思いました。

「地球に優しい製品とはアトピーの人でも使える製品」と以前書きましたけれど、もし「本物」の商品開発がしたければアトピーの人向けの製品を開発すればできます。と書いておいたら誰か開発してくれないかなあ---。
商品開発の方、宜しくお願い致します。