さて、以前ちらっと書きました 【思い】【言葉】【行動】についてです。
次回あたりに書くであろう 「日本のコミュニケーション」にも関わりがあるかと思い書いておきます。
これは、あくまでも私の一考えであり、もっと詳しく説明されている方がたくさんいらっしゃると思いますので、さーっと読んでください。
成功哲学を研究されている方はより詳しいかと思います。

私は、人の行動は、「1思い→2言葉→3行動」の順で発生すると思っています。
で一番重要なのは【行動】だと考えていました。
しかし、最近、どうなんだろうと思う今日この頃です。
私はこれまで書いたように、あまり【言葉】に敏感ではありません。
なるべく【言葉】にも気をつけるようにはしてはいますが、それより【行動】をポイントに置いていました。

ここで戦争地帯で飢餓状態の方を例にとります。この例は、人が人を”可哀想”と思うこと自体、自分が優位に立っているとか、人は全ての状況を自分が引き寄せている等、賛否両論あるかと思いますが、一般的に”ひどい””可哀想”と思うのが人間ではないかと思います。
そういった人を見かけた時、

【思い】・・「可哀想。」「ヒドイ」「何かできる事はないかな。」と思う。
【言葉】・・「可哀想。」「ヒドイねえ。」「大丈夫?」「必要なものはある?」と声をかける。
【行動】・・その場から救ってあげる。自分が持っている物をあげる。

という3つの段階が考えられます。
私のこれまでの【行動】第一の考え方だと、笑いながらその人の前を通り過ぎ、あとで支援団体に寄付をするようなものかなと思います。
一番優等生なのは、【思い】を【言葉】にし相手に伝え、【行動】に移すことだと思います。
つまり【思い】【言葉】【行動】が一致した状態です。

だけど、冷酷な人は上記のような【思い】をそもそも持ちません。
また、あまりにも心配して、【言葉】が出るのだと思います。
また、【行動】してないからと言って、【思い】が0なわけではありません。
【思い】の直結した【言葉】で救われたり、涙を流すこともあります。
ここまで書いてよく分からなくなりましたが、今思ったのは、

  ”【思い】は【言葉】か【行動】にしよう。”

ということです。勿論、【思い】を【言葉】【行動】にしないことを否定しているわけではありません。
【思い】を祈りという形にすることもありますし。
ただ【言葉】や【行動】にすることで、人間関係の誤解もとけてよりベターになるのかなあと思います。
また、【行動】が全てで【言葉】は何でもいいのか、又【言葉】にばかりして【行動】しなければ嘘つきになるのではと思いました。だから前提条件に”【思い】【言葉】【行為】をなるべく近づけながら”というのが必要かなと思います。

私なりの結論ですが、他にも正解はあると思うので、皆さんなりの考えを持って下さい。


日本には「以心伝心」という言葉があります。
私も使っている時もあるかと思いますが、この言葉と「空気読めー。」という言葉、私はキライです。。
というのは私は”人はそれぞれの考えがある。”と思っているからです。
例えば、ここにりんごがあるとします。
赤い、フルーツ、食べたい、りんごタルトを作ろう。と人それぞれ思うことは違うと思います。
だから、相手にとっていろんな捉え方があるので、「以心伝心は誤解のもと」と私は思っています(笑)

「以心伝心」は島国日本、輪を保つためには大事だとも思います。
ただこんな特殊な考えを持っている人間もいます。
時には「以心伝心」を使いつつ(コンナトコロガ、ニホンコクミン。)、はっきり伝えるところは伝えていくというスタンスかな、今は。
えー、べつに皆が同じ考えを持って欲しいとは思いませんので。

相手に話を伝える時、伝わらないのは、1「自分の伝え方が悪い」 2「相手の受け取り方が様々なのでそこまでは責任もたなくてよい」という考え方があります。どうなんでしょうか?


ただ「以心伝心」はあんまりですけど、「テレパシー」は好きです。
「以心伝心」は伝える側が”分かれよー”みたいなところあるけれど、こちらとしては、”分かるかー!”と思います。(コンナトコロガ、ヒコクミン。)「テレパシー」はマクロからミクロまでそのまんまを相手に伝えている気がします。
文明が高度になると言葉を使わずテレパシーで会話をするらしいです。
学校でテレパシーの使い方を教えて下さい。



ここで【思い】【言葉】【行動】について書かれた本がありましたので引用します。
またまた出ました、『神との対話』(二-ル・ドナルド・ウォルシュ 著)より。

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■ひとの創造方法には、思考、言葉、それに行為あるいは行動という3つの段階がある。
 第一が思考、創造的な考え、最初の概念だ。そのつぎに言葉がくる。
 ほとんどの思考がいずれ言葉になり、書かれたり語られたりする。
 最後に、言葉が行動になり、結果を生むことがある。
 思考から始まったものが、物理的な世界に出現する。
 人間が創った世界で、あなたがたのまわりにあるものはどれも、こんなふうにして生じている。

■そこで、問題が生まれる。支えとなっている考えをどうすれば変えられるか?
 支えとなっている考えのいくつかを変えなければ、人類は滅亡してしまうかもしれない。
 根になる考え、つまり支えになっている考えをいちばん速く変える方法は、
 「思考ー言葉ー行為」というプロセスを逆転させることだ。

■まず、こうありたいという思う考えに基づいて行動しなさい。
 それから。こうありたいとい思う考えを言葉にしなさい。
 それを何度も実行していれば、精神の訓練ができて、新しい考え方ができるようになる。

→精神を訓練するんですか?それはマインドコントロールのようなものではありませんか?

■あなたは、自分がどうしていまのような考え方をするようになったかわかるのか?
 世界があなたの精神を操作して、今のような考え方をさせているのを知らないのか?
 世界に精神を操作されるより、自分で操作するほうが良くはないか?

■何かで「在ること」と「行動すること」には違いがあり、たいていのひとは後者に力点を置いているということだ。

■あなたが平和と喜びと愛を選ぶなら、行動を通じてでは、獲得できないだろう。
 あなたが幸福と満足を選ぶなら、行動という道を通じては、手に入れられないだろう。
 「行動すること」は身体の働きである。
 「在ること」は魂の働きである。
 身体は魂に促されて何かをするか、魂に反して何かをする。
 人生の質はこのバランスによって決まる。
 あなたが、人生とは、「行動すること」だと考えているなら、自分を理解していない。
 魂にとってどんな行動をするかではなく、その間どんなふうに在るかだけが大切だ。
 魂が追求しているのは在り方であって、何をしているかではない。

■魂の仕事は、ほんとうの自分を思い起こさせること、そして、こうありたいと思う自分を選ばせることである。

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「思い・言葉・行動」の話から 「精神(思い)・身体(行動)・魂(在り方)」の話になりました。
私は行動が一番大事だと思っていました。
それより新しくでてきた「在り方」が大事なんですね。
まだ理解中。。。
上記は要点だけ抜粋しているので、またじっくり読んでみます。


『神との対話』を読んだのは、まだスピリチュアルや闇の権力者という言葉を知らない時期でした。
初めて読んだ時は、身体の中身が逆さまになったような、異次元に放り出されたような気分になりました。
しかし、なぜか筋が通っていると思いました。
今でも、ここに書かれていること全てに納得・理解しているわけではありませんが、多くの人に読んでほしい本です。