数ヶ月ぶりの更新です。
ブログ更新、自分でもどうなるのかと思っていましたけれど、吠えたくなったので書きます。
今後の更新は未定です。


近頃よく思う事が

 ■もう大量消費社会はいらない

という事です。最近、社会の中で物を売れ売れ戦法が一段と増している気がします。
インターネット宣伝しかり、ラジオ宣伝しかり。(私はラジオ派なので。)
最近のラジオの宣伝では、DJやゲストの会話の中で製品を紹介し宣伝と思わせないようなものもあります。
本当に必要な物を必要な人に伝えるための宣伝はいいと思うのですが、売上が欲しいためだけの宣伝にうんざり気味の今日この頃です。


その理由は、

 ◎資源は有限、地球大切◎

その言葉につきます。
資源が無限、100%リサイクル商品なら良いと思いますが、製品を作る=地球の資源を使用している事と同じことだからです。
だからもう、社会全体が大量消費社会を止める、売れ売れ社会を止める方向に進んでほしいです。

でも、そういうような社会になれば、物が売れなくなり会社はどうなる、雇用はどうなる、給料はどうやって払うとなります。
これはスローな生活を提案している人の意見に多いのですが、自分なりにまとめると

■社会全体で見て、どの分野にこれから人員が必要か見極める。(これはどういう社会を目指すかによりますね。)
 必要な分野に人員を投入できる社会システム、教育システムの構築。
■リストラよりもワークシェアリング。
■皆の勤務時間は半日。これまで仕事に使っていた残りのエネルギーは、歌ったり踊ったり絵を描いたり何かを創るという趣味の時間にあてる。
■社会全体が給与を引き下げる。

という案を提案します。3つ目は私の希望です。


私は転職活動の合間に恐らく生活保護費以下であろう生活費で生活したことがあります。
そりゃあ、高価な物を買えなかったりぜいたくな旅行に行けなかったりしますが、それなりに生活できました。
しかもそれで、自分がこれまでいかにムダな物を買っていたかよく分かりました。
安い物を探して買うという事もですが、工夫次第で代替できる物もたくさんありました。

ここで上記の提案に対する注意点としては、儲ける事を悪と言っているのではない、社会の為に能力というエネルギーを出しその対価にお金というエネルギーをもらうのは当然なので儲けている人が悪という考えではない、仕事が好きな人はどんどん仕事の時間を増やせばいい、ぜいたくが敵ではないという事です。


視点は
◎資源は有限、地球大切◎
に置き、通常は消費をセーブ、そしてお金を貯めて車が好きなら車を、宝石が好きなら宝石を買い、旅行が好きなら旅行に行けばいいと思います。
現在は、売れ売れ社会のために無駄な仕事、雇用が存在し、したくもない仕事をしている人もいると思います。
売れ売れ社会を止め、給与額を社会全体的に減らせば、皆給料のためでなく、自分のしたい仕事に就き、社会の人員の適材適所が進み社会全体が効率的になると思います。
そして、これまでの売れ売れよりも遊べ遊べを推進する会社が増え、皆がワクワク気分の毎日を送る、そんな社会を希望します。


補足として、これから人員が必要だと叫ばれている農業について『減速して生きる ダウンシフターズ』高坂勝 著より。
・今日本全国で、埼玉県の広さに匹敵するだけの農地が使われていない。(広さ約38億平方メートル、国土の1%)
・岐阜県の広さ(国土の3%)の遊休農地があるとも言われている。
・全国の使われていない遊休農地で夫婦2人が農業をはじめたら
  38億平方メートル ÷ 160平方メートル (自給に必要な田んぼ面積1人分)
  =2375万人
・日本の総労働者数:6000万人。→うち非正規雇用者は3分の1の約2000万人。
 仮にこの2000万人が自給を目指しても農地は足りる。

*この本は2010年発行のものなので、遊休農地が現在メガソーラーに使用されているかもしれません。
それに非正規社員が全て農業にという事を言っているわけではありません。


私達が何かを手に入れるということは、地球の資源が利用されたということを思い出してほしいと思います。
(何度も言いますが、全ての宣伝行為、購買行為、生産行為を否定しているわけではありません。)
宣伝広告・営業のお仕事をされている方にとっては特に、月曜からとてもとてもモチベーションの上がる記事を書いてしまいました。
以上、ペンネーム:トクギ,チキュウのコエガキコエル  でした。

最近は、自分自身、購買者としての意見は固まっておりますが、仕事従事者としての立場を模索中です。
自分が生まれた所、両親、性格、そして経験等々、全てに意味があると思ってまして、どこに自分を置けば(物理的な地域という意味ではなく)より世の中が良くなるのかと考えています。
但し、世の中の全ての現状を把握しているわけではありません。
現状を把握しきれていないがために、自分ではその状況では最善と思った事が違う結果になることもあるかもしれません。
でも傾いた家の中で見取り図的には、こちらが北という方向を北と捉えるのでなく、例え家の中では傾いていようと、家を含めた地球全体の地図で見た北を指していく、そんな生き方をしたいなあと思う今日この頃であります。
ええ、変子です。意固地です。だから駄目なのよ、、という誰かの声が聞こえます。。
もしかしたら家自体傾いていないかもしれませんしね。傾いているのは私かーーー。


最後に 『LOHASに暮らす』 ピーター・D・ピーダーセン 著より。
 じつは日本にはもともと「自然」という言葉はなかった。
 19世紀の後半、西洋文明を導入するにあたって英語のNatureに当たる訳語がなかったためにつくり出された、という話を聞いた。
 日本人には元来、自然と自分とを区別するという発想そのものがなく、自分は森羅万象に含まれている、その一部である、と感じていたのでしょう。