ヒーラー斎藤みさとの孤独と自由の境界線。

ヒーラー斎藤みさとの孤独と自由の境界線。

斎藤みさとは幼少期から鋭い霊的能力により生きづらさを感じる日々。
ヒーリングに出会い、同じ様に生きづらさを感じている方達をサポートする道を決める。道場破りのように自分の殻を破りたい方に向けたブログで情報を発信中。
日常生活のエッセンスになれば嬉しいです。




こんにちはアップアップ照れ愛アップアップ

トラウマ解消ヒーラーの斎藤みさとです キラキラ



けっこうな日にちが経ってしまいましたがNHK交響楽団の公演を聴きに行ってきました。


NHK交響楽団の戦時中のあり方を知り、音楽という世界と本当の平和についての繋がりについて今日は終戦の日という事で少し書いてみたいと思います。


NHK交響楽団の演奏を今回初めて拝聴させていただいたのですが、とてもゴージャスで全ての音に魂を宿し放っている感覚がありました。


そして、演奏者の方たちから「音楽が好き」というエネルギーが痛いくらいにひしひしと感じてきます。


時には辛いことがあり音楽を「嫌だ」と思ってもそれをも勝る好きがあるのだと、一人一人のそれぞれの表情や動きからうかがい知ることができます。


時にそんな気持ちと私の気持ちがリンクして痛くなる。


こんなにへなちょこな私でさえ、音楽と向き合って真剣にぶつかって、自分の中から悔しさや苦しさが生まれる事があるのに、この方達は幾万という壁を乗り越えてここに座り、表現しきれないほどの幸せを放出しているのだろう。


音楽とは平和を願い届けるような役割がある。


今までは平和を願うために歌っている感覚はなかった。


平和を願い届けるなんて本当は綺麗事で、夢物語だとさえ思っていた。


しかし、NHK交響楽団の歴史を知り、本当に音楽によって平和を願い届ける事はできるのかもしれない。、と感じる様になってきた。



戦時中のNHK交響楽団

  1.  NHK交響楽団は第二次世界大戦中も活動を止めず、空襲下でも定期演奏会を継続した歴史を持ってます。


戦時下の厳しい社会情勢や空襲による混乱の中、楽団と楽員がどのように戦争と向き合い音楽を紡ぎ続けたのかその主な史実は以下の通りです。


1. 空襲下の執念の定期演奏会

米軍による空襲が激化し、東京の街が焦土と化すなかでも、日響の定期演奏会は一度も中断されませんでした。
1945年3月10日の東京大空襲の直後(3月14日〜17日)にも日比谷公会堂でチャイコフスキーなどを演奏し、戦火の恐怖に怯える多くの観客が詰めかけました。

楽員たちは交通機関が麻痺するなか、ゲートル(脚絆)を巻き、飯盒(はんごう)で炊いた玄米を持って、何時間も歩いて会場に駆けつけました。


日本が降伏する直前の1945年6月13日・14日、日比谷公会堂で戦争中最後となる第267回定期演奏会が開催されました。
そのとき演奏された曲目が尾高尚忠の指揮によるベートーヴェンの交響曲第9番(第九)でした

当時の演奏会は全員起立での「君が代」斉唱や皇居(宮城)への最敬礼から始まるなど強い戦時色に覆われていましたが、極限状態の焦土に響いた「歓喜の歌」は当時の聴衆や楽員に深く記憶されました。


2. 戦争中「最後の演奏会」とベートーヴェン『第九』

1945年8月15日の終戦後、一時的な「歌舞音曲の停止」期間を経て、わずか2週間後の8月28日にはラジオ放送での演奏を再開しました。


さらに同年9月15日には日比谷公会堂での定期公演(第268回)を復活させ、敗戦による虚脱感に包まれていた日本社会にいち早く音楽の灯を灯し直しました。この戦後の復興期を経て、1951年に公共放送の支援を受け現在の「NHK交響楽団」へと改称されました。




さて、この内容を知っただけでもどれだけすごい事かと心臓がバクバク激しく動いた事を思い出します。


空襲警報が鳴る中でも音楽を奏で続ける強さや音楽を愛する気持ちは、計り知れない程のプレッシャーと隣り合わせに生きていた事でしょう。


そして、それでも捨てきれない音楽への道を必死に歩いてきた音楽家たちのプライドと根性を今の私は真似することができるのでしょうか。


そんな事を突きつけられる内容でした。


そしてまたなぜ戦時中でも音楽を諦めずに奏で続けてきたのか、その裏での動きにも少し触れたいと思います。



  2. 戦時中の日本交響楽団(現・N響)の幹部たちの動きが日本の音楽史を守りました。


1. 「音楽は軍需品なり」という国策への適応

  • 存在価値の証明:音楽が不要不急の娯楽として禁止されるのを防ぐため、「音楽は戦意高揚や国民の慰撫に役立つ軍需品である」という名目を掲げました。 
  • ラジオを通じた国威発揚:日本放送協会(NHK)の海外向け放送と連携し、戦時中も「日本は屈服していない」という文化的な力を敵国に誇示するための生放送演奏を行いました。

2.楽員の「兵役免除」への奔走

国内では、オーケストラの機能を維持し、若き演奏家たちを戦場へ送らないための組織的な暗躍がありました。
  • 国策団体への組み込み: 当時、情報局の管理下にあった「日本移動演劇連盟」などに楽団を登録させ、軍の慰問演奏など「国策に協力する組織」としての体裁を整えました。
  • 徴兵猶予・免除の獲得: 「彼らは銃の代わりに楽器で報国する貴重な人材である」と軍や政府の上層部に働きかけ、一部の主要な楽員たちの徴兵を猶予・免除させることに成功しました。これにより、多くの優秀な音楽家の命と日本のクラシック音楽の技術が戦後に引き継がれました。 

3. 焼け跡を走り回った楽員の執念

  • 人力での奏者集め:空襲によって通信網が完全に遮断された際、電報や電話が使えないため、楽員が自転車で東京の焼け跡を走り回り、メンバーの安否確認と演奏会への召集を行いました。
  • 命がけの楽器・楽譜の搬出:激しい空襲から楽器や貴重な楽譜を守るため、それらを安全な場所へ分散・疎開させ、演奏会のたびに運び込みました。

これだけではありませんが、音楽を軍需品という地位に置くことが出来たことで音楽に息を送り続けることができたのです。


  3.  軍需品としての慰問の音楽


さて、軍需品としてどんなお仕事があったのか調べていくとや当時の音楽家たちの「慰問の音楽」は、戦地の兵士や銃後の国民、そして工場で働く人々を励ます名目で、音楽家たちが「演奏の場」と「楽員の徴兵免除」を確保するための極めて重要な生存戦略だったそうです。

日響は航空機や兵器を製造する軍需工場の作業を激励するため頻繁に工場へ赴いて慰問演奏を行いました。
また、戦線から戻った兵士への慰安とし戦地から送り返されてきた傷病兵が収容されている陸海軍の病院を訪問しました。
また日本放送協会(NHK)と連携した「電波の慰問として直接現地に行けない遠方の外地の兵士に向けて、日響の演奏をラジオの電波に乗せて届けました。

しかしそこには、

「芸術の追求」か「戦意高揚の道具」かという大きな葛藤もあったと伺い知れます。

純粋な芸術を追求したいオーケストラにとって、前線の兵士を鼓舞するための軍歌の演奏や、芸術的価値の低い国策行進曲を量産させられることは大きな葛藤でした。
「自分たちは人々の魂を救う音楽家なのか、それとも戦争を推し進めるプロパガンダの道具なのか」という自問自答が常にありました。 

焦土の中でオーケストラの響きを守り抜いた彼らの歴史は、単なる美談ではなく、国家の暴力に芸術が呑み込まれそうになる中での「血を吐くような選択の連続」だったと言えます。


  ここで私の中に生まれたのは、音楽と平和には本当に繋がりがあるのだろうか?という問いでした。


調べていく中で、平和の為に音楽を奏でる事は必要なのか?という問いが生まれましま。

なぜかと言うと、日本交響楽団の歴史を調べていく中で戦時中の日本交響楽団が「音楽を生き残させるために国策(戦争)に協力し音楽をせざるを得なかった」という歴史で捉えていたからです。
しかし、この歴史を逆説的に捉えるとなると、
「音楽が本来の力を発揮するためには平和が必要であり、同時に音楽には平和をたぐり寄せる力がある」
という双方向の繋がりが見えてきます。
もう少し具体的に、繋がりを4つの視点から整理します。
1. 境界線を超える「共通言語」としての役割
  • 国境や敵味方を超える:言葉は時に国家間の分断や対立を生みますが、音楽(特に器楽曲やメロディ)は言語の壁を超えて直接人間の感情に響きます。
2. 「人間の尊厳」と「心の平穏」を取り戻す力
  • 恐怖や憎しみの緩和:戦争や紛争は人々に強いストレス、恐怖、そして他者への憎しみを植え付けます。音楽には、脳内の交感神経の興奮を抑え、安心感や共感をもたらす心理的効果があります。
3. 社会の不条理に対する「非暴力の抵抗」
  • プロテスタント(抗議)としての音楽:1960年代のベトナム戦争反対運動(反戦運動)において、ボブ・ディランやジョン・レノンの音楽は武器を持たない市民たちが平和を求めるための最大の連帯の武器となりました。
  • 『イマジン』の普遍性:国境や宗教のない世界を歌った『イマジン』は、今でも世界中で紛争やテロが起きた際、平和を願う人々の間で必ず歌い継がれています。 
4. 共生と対話を促す「仕組み」
  • オーケストラという民主主義の縮図:オーケストラは、生まれも育ちも、時には国籍や政治的信条も異なる多様な人々が集まり、一つの美しい響き(調和=ハーモニー)を作り出す場所です。これは「違いを認め合いながら共生する」という平和な社会のあり方そのものです。
音楽による平和の祈りは、目に見える即効性はありません。
それは乾いた土に染み込む水のように静かに人々の心を満たしていきます。
だからこそ戦時中の音楽家たちも、そして現代の音楽家たちも、絶望的な状況下であっても「祈り」を楽器に託し演奏を続けているのです。
平和とは、単に「戦争が起きていない状態」だけを指すのではありません。人々の心が恐怖から解放され、平穏を取り戻して初めて本当の平和が訪れます。

また一人の祈りは小さくても、音楽はその祈りを何倍にも増幅し人々の心を一つに束ねる力(コミュニタス)を持っています。

そして敵対する者同士が同じ音楽を聴いて同時に「美しい」と感じるとき、そこに「共通の人間性」という平和の土台が届いています。

そして、一番大きいのはこちらなのかもしれません。それは、
平和の祈りは今現在ここにいる方達だけでなく、今この瞬間に奏でた平和の祈りが今この瞬間に未来に届き「未来の世代」へも時空を超えて届いているのです。

今奏でた歌や音楽が時空を超えて届いているのです。

調べていて、そんな事を感じました。

空襲警報が鳴る中でも、守りたいものがあり、必死にその時代を生きた方達が今の日本から大切なものを消さずにいてくださった。

それは本当にすごい事であり、リアルな平和への祈りのエネルギーをやはり感じてしまう。

どんな思いで音楽を奏でていたのか。
どんな思いで終戦の日を迎えたのか。
平和な世界をどれだけ強く望んでいたか。

NHK交響楽団の公演でのアンコール曲「八木節」からは、そんな時代を生き抜いた先人たちの意地とプライドが今でも活き活きと溢れている涙なしでは聴けない曲だ。

その曲を聴いて、私もまた新たな気持ちで音楽と向き合っていこうと思うのでした。