今回は、愚痴半分興味半分のお話です。
私は普段、移動するときは車を用いることが多いです。
当然ながら、車を運転しているときは、安全に通れるか周囲に気を配りながら運転しています。
具体的には、どこに誰がいるのか、どれくらいの速度で移動しているのか、はたまた移動していないのかなどを把握しています。
これらは、今は無意識でもやっていることです。
一方、かつて自転車や徒歩でしか移動手段がなかったときを思い返すと、今ほど周囲に気を配っていなかったと記憶しています。
それは、今ほど具体的な危険行為を知らなかった、すなわち経験的に未熟だったからだと考えています。
現に、車を運転できる今、自転車や徒歩で移動していても、車を運転しているときと同じような周囲への気の配り方をしています。無意識で、です。
しかし、今まで車を運転してこなかった人たちはどうなのでしょう。
自転車や徒歩でしか移動してこなかった人は、もしかすると車の運転手よりも空間認知能力がそこまで発達していないのではないか。
そんなことを、ふと思いました。
特に、京都の街中にいる自転車乗りや歩行者の行為は、目に余るものがあります。
車道を逆走、歩道の幅いっぱいに広がって歩行、信号無視、不意に車道へ飛び出す、などなど。
これまで目撃した蛮行は数知れず。
もちろん、そうなっている理由の最たるものは、空間認知能力ではないのでしょう。
かつての私と同様、危険行為を知らない、想像できないという点にあると考えます。
ですが、それ故に空間認知能力が発達しなかったという可能性もあるのではないか。そうも思うのです。
まぁ、この仮説は十中八九、私の憂さ晴らしです。
ただ、実際のところどうなのか。それを知りたいという興味もあります。
誰か、そんな研究をしている人はいないでしょうか。
もしいれば、ご教示いただきたく。