私はちょっとだけ手話を学んでいました
ネタがないので、その頃の思い出話を
書いてみようと思います
生きた手話
高校生の時にしていたバイト先でのこと。
スーパーでレジと品出しのバイトをしてました。
よく利用してくれるお客さん。
一言もしゃべりません。
当時は、金額を打って、お金のやり取りは現金。
おつりを渡すときに
『ありがとうございました』と、言うと
お客さんは、たいてい 『どうも』とか言うのね。
で、しゃべらないお客さん。
ある日、店内で、困ったようにうろうろしている。
みろるは、話かけた。
何か お探しでしょうか
・・・・・無言
もしかして、しゃべれない?
・・・・(身振りで伝えようとする)
んっと、、、筆談!ペンも紙もない
思わず、手話が出た。
聴覚ですか?何を探してますか?
口を大きく開けて 『し・お』と、見て取れた。
指文字で 『し・お』と 確認。
ゼスチャーで 『そう!そう!』って感じ。
しお売り場に案内して、ゼスチャーでお知らせした。
みろるが初めて、社会で使った手話です。
もうね。感動だったよ。
役に立ったんだって。
以来、その人がスーパーに来店しなくなるまで
レジで会ったら、手話で
ありがとう
どうも
って。
忘れられないです。
(その後社会人になってから、2度ほど指文字程度ですが
使う機会がありました)
まとめ
今のみろるの潜在意識に
大きな影響を与えてくれた『手話』
今では、指文字くらいしか覚えていません。
でも、A先生、聴覚障がい者のご夫婦、
スーパーのお客さんに
出会えたことが、多感な10代に刺激を与えて
くれたのは、間違いないです。
まさに青春はみつ。
まゆみちゃんと、疎遠になり、
今、どうしているのかなと思います。
当時、まゆみちゃんは、わがままな私に
振り回されただけかもしれません。
謝りたいなぁ。
今では、スマホが登場して、障がいがある方々の
生きにくさに歩み寄っている気がします。
音声認識機能は、聴覚に。
lineのスタンプや文字入力、定型文は、言語に。
それは、健常者の生きやすさにもつながるのです。
手話サークルでの苦い経験は、
自分の未熟さを再認識です。
子供のころと、何も変わっていない自分に
苦笑いです。
ですが、子供のころの経験って
無駄に思えることも、苦い経験も
糧になっていて、役立っている。
気にかけること。
そこに居るのに
いない者として扱われること
疎外感。
年代・性別・環境問わず
同じ目的で集まった人々。
気にかけること。
これ、ボランティアだけじゃないよね。
人が人と、何かを共有する場面の
共通項。
なにをどう学ぶか
いくつになっても、尽きないのです。
完
だから何?的な、話を、読んでくださって
ありがとうございました<m(__)m>
年取ったなぁ、子供のころや若い時のことを記事に書くなんて