最近、特に思うのですが、なんでも自分一人でやりだがるセラピストが多すぎます。


私も沢山の資格やデュプロマを持っていますが、実際の臨床で使うのはごくわずかです。


まず一つをとことんやる。


一万時間理論でもそうですが、私の場合、最初の三年間は一日70人以上、朝10時から夜20時まで


やっていました。一年で3000時間×三年で、東京にいた年月で1万時間を超えていました。


その時は、水道橋というオフィス街、学生のまちで後楽園口と反対側だったので日曜日を休みにして


月26日働いて、月1820人をみていました。


一階の薬局の一日の来客数は1200人平均というタイトな生活でしたが、毎日治っていくクライアント


さん、恵まれたスタッフ、そして収入をみても、楽しくて仕方なかったです。


でも、今思えば、それは東京だったからと思っています。


なぜ?


三つあります。


まず一つ目


東京のクライアントさんの治療は簡単だったからです。


私は、今、新潟にいますが、冬は寒く、雪が降る、とすれば、普通の仕事の上に雪ほりが゛あります。


地域とのつながりで、東京よりも人間関係は深いです。


それは、いい面も悪い面もあります。


そして、雪国の人は我慢強いという言葉通り、本当に悪くなって、どうにもならくなってから来るので


重度の方々が多く、東京のような所よりも、治療が難しく、治療計画も天候で左右される。


例えば雪ほりをしたとか、持家が多いですから、家のかたずけや、草取り、修繕・・・


後、兼業で農家をしている方もいますから、春、秋の季節の重労働・・・・


本当に、治療に自信をなくす事がありました。


でも、すぐに失敗や自分の弱点にキズクと、資格を取りにいったり、勉強したりと本当に、この


引越してからの15年の方が勉強は凄いと思います。


今でも毎日一時間は勉強にあてています。


二つ目


地域の方が来るという事で、三年ほどして、ある慶弔記事をみた時、○○さん、病気療養中に


60歳で死去・・・私が三年前にみた人でした。


痛みをとる事、症状をとる事にかけて、いくら技術があっても、その原因にまで踏み込んでいなかった


もしかして、あの時に、そこまで指導していれば・・・安易に痛みをとらなければ・・・と自分の治療を


振り返り、今までみてきた人の追跡調査をして、中に病気で亡くなっている方を数名みつけた時に


鈍器で頭をたたかれたようでした。


その時、やめたいと思い、クライアントさんで、作家の宮尾登美子先生がこられた時に相談して


「痛み、病気そこに愛はありますか?」(文芸社)が出来ました。


三つ目


東京では、とにかく追われるように仕事をしていませんでしたから、症状だけとるだけでしたから


原因と思われる所に意識がいきませんでした。


そして、ある一つの事が気がつきました。


頸椎の二番とかみ合わせは、関係が深く、舌骨と三番が深いので、かみ合わせと頸椎変形とは


関係があります。


また、仙骨、後頭骨・・・生理的な重心では、くるぶし、股関節、顎関節との関係性・・・痛みの原因と


多くからんでいますから当然と言えば当然なのですが・・・・。


それで、来る方の割合で、ある数軒の歯科医院の所から頻繁に来る事がわかりました。


そして、逆に全く、こない歯科医院は何処かと調べて、統計をとりました。


あの時は、ダメな歯科医院と言ってしまって、裁判をかけられそうになりましたが、クライアントさんと


結果がその裁判をなくしまた。


もし訴えていたら、その歯科医院は、自分の診療の答えをしり、信用をなくしたと思います。


その中の三軒の歯科医院と連携をとる事にしました。


そうすると、治りの早いこと、また再発の少ない事に驚き、クライアントさんにとってのメリットだけを考え


これから、東京で出来なかったチーム医療がスタートしました。


みんな私の弱点ばかりでしたが、得意な分野と、不得意な分野、そして、専門家のチームが組むと


凄いキセキ的な事がおきました。


そして、新潟県内の四医院の先生たちと勉強会を立ち上げ、一年色々な意見交換をしながら臨床の


データーをとり「リザルト」がついてきました。


それから歯科医師会で講師として招かれるようになった経緯があります。


だから、バウンダリーや他の科との連携けは私の治療の幅を大きくし、相互の紹介がうまれ、それから


本当のホリスティック医療がはじまりました。


そして、クライアントが自らの自己責任の大切さも伝える為に、講演会が増えていきました・・・・。