前回、

「大事にされたかった心の内には・・」

の記事を書き終わったところで

アマゾンから宅配が届きました。


箱の中に、商品とは別に

ある支援団体のチラシのようなものが入ってたので

ふと目にしてみたら、



そこには

「女の子だから」

過酷な生活を

強いられる

女性たち。



と、書かれてあって。



アジアやアフリカの

10代、20代の女の子の

体験談が載っていたのですが

今の日本からは

ちょっと想像できない現実に

心が痛んで

胸が苦しくなりました。




そして、これは

フラクタル心理学的にはどういう意味なのか??

と、切り替えて考えてみることに。



どうやら

私のマイナスの信じ込みが

遠くの国で、こういう現実を作り出しているのだよ、と

すごくタイムリーに教えてくれていることには

違いなさそうです。







で、自分なりに気づいたこと。




出てきたキーワードは

「奴隷」でした (((爆)))





私は、娘が小さい時から

なんでも自分でできる子になるように、と

ずいぶん、いろんなお手伝いや

冒険めいたことまでさせてきました。


もちろん、それが彼女の心を育て、鍛え、

自立させていくためのステップだと

固く信じてきたわけだけど



反面、

自分がしんどいとき、やりたくないなーというときに

都合良く、娘を使っていたりもしたのです。

親という権力をうまく利用して、、。


そしてその奥には、

「私も子供のときから、長女っていうだけでいろいろやらされてきてんから、あんたも私と同じように、もっと自分のことも家のこともやるべきちゃうのん!」


・・って、娘を責めてる自分がいました。



長女が、これまた

「うん、わかった!いいよー!」って、

嫌な顔ひとつせず、何でも笑顔で

引き受けてくれるタイプだったから

都合良くそれに甘えてしまってたわけですが、、。



従順な娘と、自分の都合で命令を下す母。

まるで、シンデレラと意地悪な継母の関係みたいです。
(コワー)



長女からNOと言われたことがなかったから

今まで深く考えたことがなかったけど


よーく考えたら、、、

長女はこちらから頼んだことはやってくれるけど

逆に、すすんで何かしてくれることは少なくなっていってました。



ということは、、



コレ、娘の自立を望みながら、

逆にどんどん遠ざけていたってこと?!!



オーマイガーーーー!!!( ̄▽ ̄;)



いかにも奴隷マインドな考え方ではないか、、、




そこでまた新たな気づきが。

「やってくれて当たり前」


実は母に対して、

ずっとそんな風に思っていたのではないか?って。




もちろん私の記憶の中では、

母はいつも2つ下の弟ばかりかまって

甘えたくても甘えられない状態。

なのに、私には

「お姉ちゃんのくせに!」「女の子のくせに!」

って言われ続けていて

いつも損な役ばかりさせられてきた


そう信じ込んでいたわけだけど・・・


でも心の底では

自分が女王様でいたかった

というわけです。



その証拠に私、

時々、子供達にキレて

「ママは、あんたらの召使いちゃうでーー!!!」

って激怒してることがあるけど


召使い・・って (((爆)))




私が子供の頃から母に心の中で不満を抱き続けてたこと

私が長女を生んでから、母に対する態度の変化

私が時々長女にとってる態度

長女が私に不満に思っているであろうこと



フラクタル心理学でいうと、

これ全部が相似形だということがわかります。


なるほど。。

自分のことながら、掘っていくと

根っこの感情にどんどんつながっていくのがわかります。




長くなりました。

ここまでお読みいただきありがとうございました。






フラクタル心理学ファミリー編(全3回)のうち

2回目を受講して

今まで気づかなかったことに

気づかされている真っ最中です。


なんていうか

受講中には「あぁ、なるほど~」とあらたな発見があり


それをきっかけにして

さらに奥にあった心に気づいていくようなかんじ・・



しかも家事の合間に

「はっ!」

と、突然浮かんでくるからおもしろい。



受講するとアンテナが立つ、ということは

そういうことなんやなぁ。。




今朝は長女のお弁当を作りながら

ふと

「私、大事にされたかったんや・・」

という思いがよぎってきました。



私が中学生の頃

母が仕事から帰ってくるのが遅く

毎朝疲れて寝ていたので

毎日ほとんど自分でお弁当を作って持って行ってました。



あの頃、

まわりの友達は、誰もがあたりまえに

お母さんにつくってもらっているのに

私は自分で作らなあかん。



なんというのか、

母が疲れてるからと頭では理解してるものの

心の中では

わびしい気持ちとあきらめの心が

当時中学生の私には渦巻いていたと思います。


その、わびしい、あきらめの心の元は

父と母とが巻き起こす

終わることの無い家庭内のゴタゴタだったのだけど。



そんなわけで、

お弁当イコール「仕方なく作らされていた」と思っていて、


それが心の奥に
      
「大事にされなかった、私・・」

として、未だに残っていたことに気がつきました。




これ、

「わたしのことをもっと大事にしろ!!」

「大事にするべき!!」

と、命令している

わがままな子供ごころが、まだ自分の中にいる、、

そういうことです。


アタタ・・汗



お弁当つくってもらえなかったからって

大事にされてない、なんて

それは勝手な信じ込みです。


親になった自分からみると、

子供の存在自体、まるごと全部が

大切であるのは当然のことなわけで・・。



だから母も、

私を大事にしてなかったわけがないのです。


いろいろあったけど

相当いろいろあったけど
(←そうやって大変だったことをアピールしたい被害者意識も発見。)

大事にしてくれてた、んです。


なのに、心の底でずっと

大事にされてこなかった

と、おもってる私。



でも、その片や

娘のお弁当をつくりながら

「親にさせんと、自分で作ったらええのに」

と、反対のことを思っている自分がいるわけで・・



あきらかに矛盾しています( ̄▽ ̄)




まぁ、「自分で作ったらええのに」の心には

私はなんでも自分でやるように育てられてきて(お弁当に限らず)

結果、大人になってそれがよかった、

って思ってる自分がいるからですが、


でも、待てよ?


それはそう思うことで、

かわいそうな自分から脱却したいための

強がりから出た思い込み、なのかも??とも考えられます。



うーむ。。。




どちらにせよ

「母にお弁当をつくってほしかった」

と思ってたくせに

今、母になった私は「娘も自分で作ったらいいのに」

と思ってるわけで、

あきらかに矛盾してます。


大事にしてもらいたかったと思っていたのなら

長女のお弁当は、喜んでつくってあげればいいわけです。


自分で作ってきたから、娘にも自分で作らせるのなら

大事にしてもらいたかった、などと

恨みがましく思わなければいいのです。





さぁ、どっちをとる?




過去の記憶。

昔の感情の整理整頓。



今回のこの部分

まだ掘っていくと

何かいろいろでてきそうな予感がしています。






ここまでお読み頂きありがとうございました。






前回の新月のお告げにより

フラクタル心理学の初めの一歩でもある

「勉強が好きになる」

の講座を早速受けにいってきました。



ちょうど娘が期末テスト。

親がやいやい言わなくても、自主的に勉強をやってくれて

部活もがんばってくれて

それなりの成績をとってくれたら・・


なんて、親のエゴ丸出しの期待も込めつつの受講。



しかし!

受けてみたら

最初は「娘ごと」 だったはずなのに

最後の方に行くにつれ・・




がびーーん。


全部、ワタシの思考と行動が

そのまま娘の姿だったのかー


と、いうことを気づかせてもらう

素敵な結果となりました。苦笑



簡単に説明すると

「娘にちゃきちゃき勉強してもらいたかったら

自分がもっとちゃきちゃき家事と仕事をこなさんかい!!」


ハイ。

どうやらそういうことのようです。

フラクタルですからね。笑




なんとなくわかってはいたけど

ちゃんと理論として目の前に提示されると

軽いショックとともに

やっぱりフラクタル心理学ってすごい!

もっともっと学びたい!


っていう気持ちがムクムク湧いて来て ( ̄▽+ ̄*)




明日の

「ニュースで読み解く、占い入らずの未来予知法」

の講座も急きょ受講することになりました。



必然のものって、なんでもスムーズに

ベストタイミングでことが運んでいく訳で

それも不思議。



明日も吸収してまいります。





オンナに生まれて来たせいか

はたまた

星読みについてワクワクするからか

いつの頃からか

新月や満月は

ワタシの中で

「だいぶ気になる日」

なのです。


どう気になるかというと


「何かの気づきやメッセージがあるのでは?」

心が少しざわめくから。


なので

いつもよりアンテナを立てて過ごすようにしています。




で、今日は新月。


しかも水瓶と魚が一緒の

なかなか珍しい新月。



まずは朝、

友人Aちゃんとお茶することになってました。


久しぶりに会ったので

彼女の近況をいろいろ聞いてたんだけど

ある話のその途中、

感動してしまって思わず涙がこみあげ、、

ハンカチわすれたので、

紙ナプキンで涙ふきました。汗

Aちゃん、すぐにティッシュくれたけどね^^





Aちゃんは、もう

20年以上フィットネス関連のお仕事をやっていて

今はヨガの先生。


笑顔が素敵で いつも元気ハツラツ。

向上心が高いので、今なお

必要なことを学びに行って仕事に活かしておられます。



で、

新しく学んで来たことを仕事に取り入れたとたん

あるクライアントさんと出会うんだけど


それがもう

「完璧やん!!」っていうくらい

お互いが必要最前で出会っていて。


それで思わず感動したわけです。



Aちゃんが目的意識を持って、愛で行動した結果

ちっちゃいおっちゃん(潜在意識)が

「よっしゃー!!まかしとき!」

って、必要な出会いをつないでくれたっていう

そのことに。




あったかーい気持ちで、その場を後にし

ふと思い立って

たまーにしか行かないスーパーに行ってみました。



そしたら!


なんと!!


出会ってしまったじゃあないのーーーー!!


ロマネスコ!!!!





これ、確か2~3年前にある講演会で

大きくスライドになった状態で初めて見て

「これが地球上の野菜だなんて信じれんー!」

「宇宙やーー!」

と、かなりの衝撃を受けた記憶があるんだけど


それ以来、初めてホンモノを見ました。



なんてフラクタル~!!




で、帰ってからマジマジ眺めてる時に

ハッ!!!と気づく。



今日、新月やん。

で、これフラクタル(相似形)やーーん!



何が言いたいのかというと

ワタシがこのブログを書くきっかけになった

フラクタル心理学的、ものの捉え方。



きっとこれを「じっくり学べ!」ってことなんやわ、と・・。



新月やからといって、

毎回毎回こんな風にメッセージがくることもないから

このメッセージが余計に際立つったら。



実は・・

学んでみたい気持ちは大きく

けど、一歩足を突っ込んだら

もうさいごのさいごまで抜けられないことが

なんとなく自分でもわかっていて

今まで迷っていたのです。


でも、このロマネスコをみて納得!

やるしかなかったんですね。


なので早速、申し込むことにしました。



必然の出会い。

すべてはつながってる。


またここに実感することができました。














さっき、ふと思ったこと。


私がこれからの人生でずっとやっていきたいことって


自然の豊かな場所で

ほっこり温かな手づくりのある暮らしを営みながら

「こころとからだのつながり」

「その人のもってる才能」

を、出会った人達に伝えていくことなんじゃないか?って・・



それは日本にいてとは限らず

大好きな旅をしながらもやっていて・・






こうやって、なんとなくでも

ふと導かれるようにして

心が動きだすと、


うれしくなる。





ちっちゃいおっちゃん

ありがとう♡












「今年は学んでることを実践していく年にする」

と、お正月に決めました。


私はこう見えて、石橋をたたくタイプなので

自分に85点以上はオッケーがでてないと

前にすすんでいけないのです。


自分だけのことならいいんだけど

人を巻き込むとなると

めちゃめちゃ念には念を


となってしまうところが

長所でもあり短所。



でも、完璧に近いところまで持っていこうとするからしんどいのであって

いいやん、自分がまだ学び中でも一歩踏み出せば!



結局、自分のことばかり見てるから

小さい世界しか認識できてない。



自分が伝えたいことで

誰かのお手伝いになって

まわりめぐって世界が平和になっていくんだったら

今すぐはじめればいいじゃないか。





たぶん、これは私のちっちゃいおっちゃんの声。




やっと、自分にオッケーだせるようになってきた証かな。










先日、あるお話会に参加してきました。

そこでは男性性や女性性、親子関係のことにまで話が及んでいて

両親の年表づくりのようなこともしてきました。




今、ごく普通に当たり前に生きてる私たちですが

実は歴史をふりかえってみると

ご先祖様たちの運が、よっぽど強かったからこそ

種がたえることなく、今こうして生かされているわけでというお話。



ご先祖様たち(特にオンナたち)が、

「次の代には、自分よりももっとしあわせになってほしい」と強く願い

だからこそ、こうして代々、命のバトンが受け継がれていること。


その一番身近なご先祖様は、自分の両親だから

そこを大切に思うのは、最も根本にあたることなのです。



ご先祖様のいる天は真っ白。


代々いろんなことがあって、

日々私たちにもいろんなことがあって

たとえ黒やグレーのままだったりしても



今生きてる私たちが、両親にこころから感謝することで


パタパタパタっと間の黒もグレーも

全部が真っ白になっていく、と。




これをイメージしたときに、

自分の中に熱いものが込み上げてきて・・泣きました。





今、やっと私が白になったことで

それは自分だけのためではなく

母、おばあちゃん、ひいばあちゃん、ひいひいばあちゃん、、、、と

その先がもずっと、ずーーっと繋がっていて白になり

みんなが喜んでくれることやったんやね。






最後に、受講者さんそれぞれが1枚ずつカードを引かせていただいたのですが

私の引いたカードは

「悟」のカードでした。


そのメッセージには


「迷わぬ者に悟りなし」

という西洋の諺があるように

迷いへの理解が人への理解を生む



そう書かれていました。



今まで本当に迷いの多い人生だったけど、

それは全然ムダなものではなく

自分自身への悟りへ続く道、

そしてまわりの人達に対する理解を深めるための道。



そう思うと

迷いは決してネガティブなものではなく

宝やったんやね。



この言葉、最後の締めで

私への「自信」という名のギフトとなりました。



ありがとうございます。


マインドのレッスンを受けはじめて、2週間。

自分自身に変化がでてきてるので、メモしておきます。


●自分の意識に敏感になっているので、毎日何らかの気づきがあっておもしろい。

●ものごとを以前よりも一段上の位置から見れるようになってきた。

●家事をたんたんとやることで、余計なエネルギーを使わなくなった。

●中1長女との会話が増えた。反抗期気味だったけど可愛いと思える瞬間が増えた。



今まで良しとしてきた

「感情を使いすぎること」

人間らしくていいじゃない~なんて思ってたけど

単なるエネルギーの浪費だったとは・・。


もちろん楽しい嬉しい時はワクワクしたいけど

「嫌なことにまでいちいち感情を使わない。」




これを意識するようにしたら、

びっくりするほど生きやすいことを実感。




これからも、

●家事はたんたん

●嫌なことは思考で受け止め、スルー。


これからもしばらく続けてみます。






「私・・ずっと愛されてきたし、今も愛されている」

やっと自分自身にそう思えて


「じゃあ、ずっと愛されてきた私が、この両親を選んできた理由は何?」

それをもう一度見つめ直してみました。


これは相当長い間、自分自身で問い続けてきたことです。





ですが、その答がするするっとわかったんです。



そう、私がこの両親を選んだのは


「私、普通がいややったんや!!!」ってこと(爆)


「はぁ??」

な答なんですが、これがめちゃめちゃ腑に落ちたんです。


難しく考える必要なんてなしで、そのまんま、そういうことだったみたいです。^^





そこに気づいたら、またまた涙。。





そういえば私、いつの頃からか無意識に

(人と同じなんはつまんない。私は私やし・・。)

周囲に合わせつつも、心の中ではそう思ってる自分がずっといました。


なのに

「親には普通であってほしかった」と望んでいたわけです。


明らかにそれ、矛盾してますよね。


どーりで、今まで生きにくかったわけです。






でも、本当は

「普通がいやだったからそれを体験をさせてくれる親を選んできた」





そんな風に考えたこと、

この年齢になるまで今まで一度もなかったけど、


そう気づいたとたん、涙と共に

すーっと心が晴れ晴れしてきました。




そうか、そういうことやったんや!!!



ここに気づけたのは大きい。





完全に自分中心の子供の発想のまま、思考がストップしてた私。



いったんそこに気づいたら、
ぐわんと視野が広がって


「なるほど~!!だからこの両親と、あの場所(ネタ満載の下町育ち)を
選んで生まれてきたのかー」

と、しみじみ納得。。


いや、ほんと
今だから言えるような、普通じゃない体験のネタはいっぱい持ってるんですが

「なんでこんな目にー」とか思い込んでた子供の頃の体験は、

実は深いところで自分の望みどおりにだったわけだと

今ごろようやく気づけました。




それにしても



ふぅーーーーーっ。



何だろ、この安堵感は。。。






『普通なんがいややったんや!!』




その言葉をしっかり肝に命じて

新たに進んでいくことにします。





先日の気づき

「私は愛されてきたし、今も愛されている」



そのあと自然に、子供の時の記憶が蘇ってきました。


優しかったけど、働くことよりギャンブルとお酒が好きで
借金ばかりつくり、

しょっちゅうプチ蒸発をくり返し、
家族を路頭に迷わせ迷惑をかけ続けてた父。


とても働き者で、喜怒哀楽や気性も激しくて、
でも自分より人のこと優先で損ばかりして、
被害者意識の強かった母。



小さい頃から夫婦喧嘩がたえず、家庭内問題多発で

「安心のなかった家」

子供の私にはそれがずっとずっと悩みの種でした。

ショッキングな事件に子供の私が巻き込まれたこともありました。



(普通の家の子がよかったのに・・)


何度そう思ったことかわかりません。


実際、中学の時には
家にも学校にも自分の居場所がどこにもないように感じ

もう死んでしまいたい・・ってくらい思い詰めてたことも一度や二度ではなく。





でも・・

でも!!


住む家があって、私と弟にちゃんとご飯を食べさせ、学校に通わせて
親として一通りのことは精一杯やってくれてたという、紛れもない事実。


私は今までそれを
「よその家に比べて、自分は最低限のことだけしかしてもらえてなかった」

とずっと思い込んでいました。


要するに不満だったわけです。

「全然足りてない!!」って。



そんな子供のままの意識でいるから、
親のいいところにも目をむけようともしない。


けど実際はマイナスにしか見ようとしなかっただけで
父と母には素晴らしいところがたくさんあったのです。



ずいぶんと長い間

してもらえなかったこと
傷ついたこと

そこばかりにとらわれていて・・


なんて子供っぽい傲慢な考え方のまま今まできてしまったんだろうと。



そこにやっと気づけたのが
先月のこと。


頭でなく、心の底から感謝の気持ちがあふれてきて

そこだけ黒っぽいまま靄がかかっていた心がみるみる溶けていって

嗚咽するほど、号泣しました。





そして、そのあとやってきた思いが

「私は愛されてきたし、今も愛されている」


親との勘違いが溶けたことで初めて

この実感が湧いてくるのだということがわかったのでした。