ナチュラルハイへの道 with Baby -4ページ目

初めの言葉

月日がたつのはとてもはやく、

べバもあと少しで10ヶ月。

朝から晩まで赤ちゃん語で

おしゃべりしているべバ。

「初めの言葉はどんな単語かなあ」と

パパと毎日話していて

かあちゃんは、「かあちゃん」に賭け

パパは「パパ」に賭け、それぞれ

毎日べバに言葉を仕込んでいたのだけれど。


ある日、長い間留守にしていた

おばあちゃん(通称「ボビータ」

私の義理母さん)が遊びに来たときのこと。


玄関のドアが開いてすぐ、

私がべバに「ボビータが着たよ」というと

ぱっと顔を輝かせ、手足をばたばた

させながら、はっきりとした高音で

「ぼびーた!」

と叫んだべバ。

一瞬、沈黙になる私と夫。

まさかね、まさかね。。。


でも、確かに言ったよね。

私一人だったら、自分の耳を疑ったけど

二人で確かに聞いたし。

とろけ顔のおばあちゃん。

まんまとやられてもた。

(その後の観察でべバは

同じ言葉を繰り返すことがまだ

できないと判明。どうやら、

ビギナーズラックだった?)


そんな話を友人としたら、

彼女の小学生の息子は

1歳になる前に、天を指差して

「ひかり(光)」と言ったそう。

なんだか、宗教家みたいだなあと

笑ってもた。その後は、

「ほん(本)」だったらしく、

小学生になった今は、本が大好き

なんだって。


初めの言葉とその後の人生の

方向性って関係あるのかな?

あったら面白いなあ。


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目には目を?!

オーストリアに住んで15年目になる。

いろんなことに慣れ、日本に住んでいるのと

かわらないくらい、土地になじんできた。


それでも、ひとつ、どうしても慣れないことが

ある。それは、外で、いろんな人に

日本人以外のアジア人に間違われること。

ベトナム、タイ、フィリピン、韓国人。

一番多いのは、中国人に間違われる。


その国の人が、その国の言葉で話しかけて

くると、対応に困る。韓国語は少しだけわかるけど

他はまったくわからないから、英語かドイツ語で

応えると、相手はがっかりした顔をして、挨拶もせず

立ち去る。それが、なんとも後味悪い。


市場では、売り手のおにーちゃんに

「ニーハオ、ニーハオ」と大きな声で呼び

かけられる。最初は、愛想笑いをしていたけど

最近は、「こんにちは」とわざと日本語で、笑顔で

切り返す。すると、次からは「こんにちは」と日本語で

呼びかけられるようになり、うれしくて

何でも買ってしまいそうになる。

そんな時、自分の中の意外な愛国心のようなもの

に気がついて、不思議な気分になる。



日本人ということで、大人に差別されたり

直接嫌味を言われることは少ない。

でも、社会性がまだ発達していない若者に

道でからまれることがある。そういう時は、

切り替えしの術で対応している。

たとえば、オーストリア人の高校生のグループが、

「中国人だ、中国人だ」と指をさして私に言うと、

「(あなたたちは)ドイツ人ね、ドイツ人ね」と言ってやる。

彼らは一瞬ひるんで言葉を失う。その隙を見て、

私は立ち去る。


オーストリア人は、ドイツ人に間違われるのが

大嫌いだ。そのくせ、ちょっとコンプレックスもある。

そこをちょいとつついてあげる。



一番手に負えないのが子供。

ずっと昔、子供に絡まれることが多くて、

対応に困ったことがあった。

親に注意したり、子供に諭したりするのは

なんか違うような気がして。

人の気持ちを思いやるとか、気遣うとかは

人から教えてもらって理解するのではなくて、

自らの体験を通してしか学べない。

子供たちには、相手の気持ちを想像できる大人に

なってほしい、そう思う。


子供には、こうやって対応していた。


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でもここ最近は、まったく嫌な思いはしなく

なったなあ。自分も変わったし、

オーストリア(得にウィーンとウィーン周辺)

も変わってきている。いろんな国の人が生活しているのが

ごく普通になってきている。

いろんな異なる価値や文化が共存できる

社会は健康だと思う。


















急なお願い!?

夕食の片付けを終え、べバもねかしつけ

これからやっと、静かな自分時間を

たのしめるう!とるんるん気分に

浸っていた矢先、夫の衝撃発言!

「愛妻弁当、つくってほしいなあ」


あ、あいさい弁当ですか?

結婚14年目で、はじめて弁当作りを

お願いされ、戸惑う私。

結婚当初は、お弁当が作りたくて

夫に持っていってと頼んでも

「オーストリアの顧客と食べに出ることが

多いから、いらない」といわれ、

弁当は作ったことがなかった。

それが、今夜、はじめて頼まれた。

いったいどうしたのか、聞いてみた。

「オーストリア人と一緒にランチするの

飽きた。これからは、同僚の中国人たち

と弁当を食べたい。彼らはみんな独身で

自分で弁当を作ってもってきている。

ぼくは、日本人妻がつくった弁当を持っていって

彼らの(かわいい)反応を見たい」

聞いたところによると、中国人の同僚(男性)たちは

ぐうぜん、夫が日本人と結婚していると知り、

みんな目を輝かせて、口々に

「日本人女性は世界一だ、妻にしている君は

ラッキーだ」と夫に言ったらしい。

その反応が、すごく面白かったんだって。

うーん、なんだか複雑な気持ちやな。

現実(日本人女性すべてが

大和なでしこちゃうわ!)を知ったら

みんな、びっくりするかな。

でも、夫もまんざらでもないみたい。

男の人って、外で奥さんのことほめられたら

嘘でもうれしいのかな。

そう思ったら、男の人って、かわいいね。


ということで、冷蔵庫にあった残り物で

初めての愛妻弁当作ってみた。

弁当箱がないのでプラスチック

ケースがちょっと残念やけど、しゃーないな。

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残り物のご飯でチャーハン(マンゴールドの葉と卵入り)、

鮭の照り焼き、トマトとパプリカサラダ。

ハートマークで新婚さんらしく(新婚じゃないって!)

何か、お弁当作るの楽しいね!

新たな発見やわ。


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最近、おしゃべりがすごくて、常に

何かお話しているべバ。

私の真似をするようになって、

意思の疎通ができてきたかも?

ウィーンで子育て

育児を始めて8ヶ月がたち

最近は育児になれてきたかな?

それと同時に、毎日赤ちゃんと

どうすごしたらいいの?って疑問が

わいてきた。

初めのころは、おっぱい飲んでないときは

寝てばかりいたべバ。

今では、昼はずっと起きていて

遊んでー、遊んでーと催促がすごい。

長い一日、ずっと自宅で遊ぶのは、

私もべバも飽きるから、どこかへ

でかけたいのだけど、どこへ?

友人と会ったりするけど、毎日会うほど

友人も暇じゃなく。。。

子育て中のお母さんたちと知り合いたいなーって

思うようになってきた。

誰か、ウィーンまたはウィーンの近くで

平日一緒にお茶してくれる人、いないかな?


茶飲み友達募集中ドキド<font color= (女性限定)

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コンフォートゾーンから出てみる(2)

ドアの向こうに、10ヶ月になる赤ちゃんを

抱っこしたハナが立っていた。

赤ちゃんが私の方をまっすぐに見て

にこーっと笑った。

とても歓迎されているみたいで、

これから素敵なことが起きそうだなーという

予感がした。



短い自己紹介の後、すぐに写真撮影を

開始した。

撮影は、思ったよりも大変だった。

ハナの赤ちゃんが活発すぎて、一瞬も

じっとしてくれない。

いろいろと撮りたい写真のアイデアが

あったけれど、まったく計画どおりにいかない。

仕方ないから、赤ちゃんに好きなように

遊んでもらって、ちょっとした隙を狙って

ハナを誘導して、写真をとりたい方向に

移動してもらったりした。


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大変な撮影だったけど、思ったよりも

リラックスしている自分にびっくりした。

べバも一緒に連れていったから、彼女の存在が

空気を和ませたのかも。

べバは撮影中ずっと静かに、私たちをじっと見ていた。

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撮影を終え、家に帰ってきてから、どっと疲れが出てきた。

一人になってゆっくり考えてみると、

とんでもないこと経験したなあって

汗が出てきた。

初対面の人の家にあがりこんで、2時間近くも

至近距離で、写真を撮るなんて。


撮らせてくれたハナ、すごいな。

よく知らない私を部屋にあげて2時間近くも

モデルになってくれて。

撮った写真を整理しながら、

ふと、私はハナの写真を撮るということで

彼女の、彼女の娘に対する愛情やいろんな

感情を共有していたんだなあ、と思った。

ハナはカメラの前ですべてをさらけだし、

私は、全身全霊でハナと向かい合い、

「奇跡の一枚」を狙う。

密室での濃厚な時間。


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写真を撮る、撮られるということは

カメラの前である意味でモデルを裸にさせ、

自分も裸になるということ。

撮る私も、撮られるモデルも

写真に自分自身をさらけだしてしまうんだな。

恐ろしいような、快感のような。


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写真を撮ることで、被写体と深いレベルで

一体になる。何枚かの写真が、

ハナの娘にたいする無条件の愛にあふれていて、

こんな素敵な瞬間に立ち合せてもらえた喜びに

心がしびれた。



気がすすまないこと(コンフォートゾーンから出ること)

も思い切ってやってみると、新しい発見や

感動に出会えるんだな!









コンフォートゾーンから出てみる(1)

子育てに追われる日々も7ヶ月すぎ、

最近なんだか毎日に変化がないことに

気がついた。外で仕事をしていた時は

毎日仕事やミーティングに追われて

持ち時間でいかに最大の成果をあげるかという

チャレンジがあった。困った同僚や顧客と

どのようにやっていくか、上から降ってくる

ゴミを避けながら、部下を守り、部下からの

チャレンジを受け止めたり、かわしたり。

自分が最大限に試されるゲームだった。


今は仕事というゲームを抜け、育児ゲームを

楽しんでいるのだけど6ヶ月をすぎたあたりから、

自分の脳に霧がかかったような、一部が活動停止

しているような感じがするようになった。


原因は、はっきりしていた。

毎日が、快適すぎるのだ。

ベバのお世話さえしていれば、一日中何をしていても

誰からもクレームが来ない毎日。

毎日が、夏休みな日々(宿題はあるけど)。

今まで、そんな毎日が最高に楽しかったけど

いつかこのままでは、脳が、体がなまるー!って

思うようになった。コンフォートゾーン

(慣れ親しんだ環境、状況)にとどまるかぎり、

成長はない。

もっと外に出て自分を広げたい、チャレンジしたい。


そんな気持ちが高まって、気が小さくて怠惰な自分の

オシリを蹴っ飛ばして、コンフォートゾーンから

出てみることにした。

今一番やりたくて、でもどうしても一歩

踏み出せなかったことをやろう。

それは、家族以外の人の写真をとらせて

もらうこと。

とりたいなーって思う人が近所にいたんだけど

ぜんぜん知らない人だったりして、

声をかけれなかった。

特に親しくない人がいきなり「あなたの写真を

あなたの家でとらせてください」って声かけてきたら、

ちょっと引くよね?普通は。。。とか思ったり。

でも、自分に一番必要なのは、コンフォートゾーン

から出てみることだ、ということを確信していたので

あえてやってみた。気の小さい私は、いきなり声をかけたり

電話するのはできないので、まずフェイスブックで

彼女にコンタクトをとり、メールでやりとりして、

写真をとらせてもらうことになった。

約束の日の朝、失敗したらどうしよう、

気まずくなったらどうしよう、と気分が

もりあがらず、仮病を使おうか、というAHOな

考えが一瞬頭をよぎった(笑)。

でも、とられる方もきっと同じ気持ち(不安)かも

しれない、という考えがうかび、それなら対等だ、と

気が軽くなり、カメラを持って出かけていった。

ベバも一緒に。

彼女の家のドアを開けた時、自分が経験する、

ある独特の感情をその時は予想もできなかった。

(つづく)

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恐れを克服する方法

時々、恐れに足をすくわれて

動けなくなることがある。

その恐れとは

失敗したくない、

完璧じゃないとだめ、

自分を傷つけたくない、

他人から誤解され、評価されたくない、

年を重ねたくない、

夢をかなえてしまったら、その後どうするの?

という気持ちの裏返しだったりする。

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そんな時、6ヶ月の娘を見ると、

彼女のありのままの存在が心を打つ。

心配や恐れとは無縁で、将来の計画もない。

新しいことを覚え、毎日確実に成長している。


そして、私は思い出す。

恐れを克服する唯一の方法は、

新しいことを学んで、毎日成長すること。



学び続けている限り、成長し続けている限り

失敗はない。

生きていること、命そのものが奇跡で完璧で

これ以上の完璧はない。

傷つくことの痛みは、自分の強みにする。

他人に評価されたり、批判される時は

自分の欠点にではなく、

「私は、彼らの内面を写す鏡となっているんだなあ」

と、自分の役割について注目する。

毎日学びつづけることで、

「知識・経験銀行」に毎年貯金をためていく。

夢をかなえることを、恐れない。

ひとつ夢をかなえることで、

新しい世界がひろがって

どんどん新しい夢が生まれるから。


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ゆるゆるな最近と、今後の抱負。

べバが生まれて、生活が180度も変わり

それまでのナチュラルハイジーン的食生活も

大きく変わった。

まず、実家の母が2ヶ月応援にかけつけてくれ、

毎日手料理を作ってくれたのはいいけど、

毎回、メニューに肉か魚がついてくる。

せっかく作ってくれたのだからと

毎日食べていたら、2ヶ月で5キロも

体重が増えた。

外食でも、メニューを交渉するのに気をつかうのは、

ちょっとしんどいこともあって、ま、いっかと、

ずるずると家族の肉食につきあったり。



周囲は、それくらい体重が増えてちょうどいい、というけど

ちょっと最近これではやばいなーと思うことがあって。

まず、顔のお肌がちょっと赤く、固くなってきた。

以前とくらべて、透明感がなくて、ちょっとくすんだ感じ。

そして、肉や乳製品を取った日の翌日は手足の皮膚がかゆくなる。

さらに、不正出血のようなものが。。。

寝起きも、すっきりしない。


これは、体内が毒素を排出しているサインなので、

いいことなのだけど、こんな生活続けていたら

体がかわいそうだな、と思った。

そういうわけで、

最近ちょっとサボっていた、ローフードと

ナチュラルハイジーン食生活を再開する。


でも、明日から旅行なので、

それも、ナチュハイするのが難しい、パスタ・ピザ天国なので

誘惑に負けること半分、サラダで通すこと半分、って

ことになりそうやなあ。

でも気合だけは入ってて、さっそくブレンダーを

スーツケースに入れたよ。

旅先での朝食は、現地でとれたフルーツで

スムージーを作って食べるのだアップ


ところで、最近、はまっているおやつ。

りんごにピーナッツバターと、アーモンドのスライスが

よく合うの音譜



$ナチュラルハイへの道 with Baby

アフリカからお客様。

西アフリカに子供をつれて単身赴任している

学生時代の友人Tちゃんが、家族6人で

べバに会いに来てくれた。

べバは6ヶ月になって最近人見知りするようになり、

義父や親戚を見ると「わーん」と泣いている。

でも、Tちゃん一家には、会ったその瞬間から

笑顔を振りまいていた。

Tちゃんのお母さんは、べバを見るなり

すっと抱き上げ、自分の子供のように

あやしている。

さすがに、4人も子供を育ててきた母は

ちがうなーっと、母業というキャリアを

感じた。



キャリア路線を歩むTちゃんは、べバをみて

また赤ちゃんがほしくなったみたい。

私も、もし可能なら、3人、4人と子育て

してみたいなあラブラブ

赤ちゃんと一緒に生活するのって

こんなに刺激的で創造的で感動的なんだって

知らなかったビックリマーク


いくつになっても、発見と感動の毎日だ。


キャリア路線を全力で走っていた自分と

今の自分が、まったくの別人のようで面白い。




Tちゃんとべバ


ナチュラルハイへの道 with Baby

おすましべバ、もう6ヶ月。

ナチュラルハイへの道 with Baby

おもいやりのすれ違いと言葉の力

最近、よく感じること。


人間関係における、行き違いやストレスの原因は

相手の言動そのものではなくて、

コミュニケーションがうまくいっていないこと、

さらには、お互いのおもいやりが誤解されて

すれ違っているだけ、という場合が多い。


とくに日本人同士の場合、相手は自分の気持ちを

わかってくれているだろう、言葉にしなくても

これくらいはわかるだろう、という期待(というか誤解)

がある。相手との関わりの中で、自分が不快な気持ちに

なったとき、そのことについて、相手と話し合って

解決する場面はあまりない。


言葉にしなくても、自分の態度や、ちょっとした

語尾の強さや、表情のくもりなどで、相手は

こちらが不快な気持ちになっていることに気づく。

なんとなく、何か問題があるんだろうなとおもっても

まさか、思いやりや、愛情表現がすれ違っているのが

原因だとは、思いつかない。



たとえば、相手が私のことを想って、あることをした。

でも、私はそれを違う風に解釈して逆に不快感をもってしまった。

逆に私は思いやりから、あることをしなかった。

それを、相手は大切にされていない、と誤解した。


こういう例はたくさんあるとおもう。


不快感をもったり、腹を立てる感情をもつのは

エネルギーを浪費するし、実際、事故や怪我のもとになる。

できるだけ、そんな気持ちにならずに、

いつも穏やかで、さわやかな気持ちですごしたい。


自分が腹をたてたり、不快になったりするのは、

自分が想像力という、人間だけに備わった機能を使って

いないだけ。

想像力を使うと、相手がどうしてある行動をしたのかな、

しなかったのかな、ということが見えてくる。

すると、自然と、お互いの善意や思いやりが

すれちがっていただけなのだ、ということに

気づく。または、相手の苦しい状況では

そうするのが精一杯だったんだと気づく。


最近やっと(!)見えてきたのは

人はみな、それぞれベストを尽くして生きているってこと。

自分にも、他人にも、できるだけいいものを与えたい。

そうじゃない、悪意や欲の塊のような人もいる!という

反論がありそうだけど、表向きはそのように見えるひとたちも、

実はそれぞれができる範囲でベストを尽くしているのだ。

ただ、みんなそれぞれ発展途上にいるから、それぞれの

レベルで、そのレベルにあった間違いをしたり

学びを繰り返しているだけ。


人はみな、試行錯誤をくりかえし、落ち込んだり、

悩んだり、傷ついたりして生きている。

だれにでも、人生において立ち向かわなければ

ならないチャレンジがあるんだよね。

老化や病気、怪我、死という限界の元で

いかに良い人生にするか、がんばってるんだよね。

「良い人生」の定義は人によってちがうけど、

でも広い意味で、みんな同士だよね。


地球に生まれただけでもすごいし、

こうやって生き続けているだけですごい!


私は、相手の思いやりが見えたときは

かならず言葉にして感謝の言葉を表現したいって

思っている。

見えないときは、自分が弱っているか

想像力を怠けさせているかのどちらかかな。

だから、毎日、今日はどれだけ感謝の言葉を

口にしたかなーって振り返っている。

それで、自分の心と体のコンディションが

よくわかる。


感謝の言葉は、相手だけでなく

自分自身を清めて、いやしてくれるパワーがある。

私は、べバ(娘)に毎日、感謝を伝えている。

「うまれてくれて、ありがとう。

お母ちゃんのところにきてくれて

ありがとう」って、言葉にして表現している。

できるだけ周りの人すべてに表現するように

心がけている。

言葉にすることで、自分の気持ちが

さらに深まり、研ぎ澄まされていく。

自分自身が発した言葉に心が震えることもある。

涙がでることもある。

言葉の力はすごい。

人間に生まれてよかった、ありがとう、って

思う。


そう思えない時は、

ちょっと心と体が弱っているんだとおもって

自分に優しくしてあげる。

自分にたいする感謝の気持ちを

言葉にして伝える。


ありがとう、わたし。





今日も読んでくれてありがとう。


$ナチュラルハイへの道 with Baby

(紫陽花のこどもたち byジンジャー)