書きたいことはいっぱいありますが、なかなかできずにいます。

今、困ったことが起きています。

5月末、職場のビルで、害虫駆除のための薬剤散布がありました。
「ビル管理法」という法律で年2回、義務付けられているとのことです。

職場の人には、化学物質過敏症であることを事前に伝えてあり、もし散布があれば数日休むことは承諾を得ていたのですが、実際には1ヶ月経過した今でも残留しています。

幸い、理解を示してもらえて、出勤は最低限にしていますが、仕事があるので全く休みというわけにもいきません。けれど身体も限界が来てしまいました。

散布(土日)の翌日(月曜)には、職場へはもちろん行かずに、職場の人と外部で打ち合わせをしたのですが、その職場から来た2人と2時間ほど同じ部屋にいただけで頭痛がしました。
3日後にどうしても用事があって職場に行った際には、10分ほどで肌がぴりぴりしてきたのですぐに退去しました。
次に8日後・10日後に行った際には、30分ほどだけで退去。
翌週、17日後からは普通どおりに、と思っていましたが、3時間ほど滞在すると限界を感じ、その後しばらくは1日3時間を限度にすることに決め、19日後も3時間を限界として退去。
でもその週末にはダウンしてしまいました。
29日目にしても、3時間いると限界を感じました。
もちろん、毎回、活性炭入りマスク(キーメイト)を2枚重ねし、その上に普通のマスクを重ねています。

しばらく調子が良くなってきていたので、初めのうちはまだ耐えることができて、そのうち、摂取量が多くなってしまって過敏症がひどくなってきたように感じます。数年分、後戻りしてしまった感じです。


散布された薬剤が何なのかはまだ確認していません。
医者からは、有機リン系殺虫剤・ピレスロイド系薬剤・殺菌剤にアレルギー反応がでているとのことで、普段から処方されている「セルテクト」と「タチオン」を服用しています。とりあえずこれしか方法はありません。
あとは摂取しないことが一番なのですが・・・

職場は窓が開けらず、小さな通気口とエアコンでしか換気ができないため、いつまでも残留しているのではないかと思います。こんなに残留するなら、散布量を減らすことはできないものでしょうか。

次回10月散布への対処も視野に入れて、なんとかできないものかと思案していますが・・・
私は、化学物質過敏症でありながら、アレルギー反応もいろいろ出ていました。
「・・・でありながら」という言い方も変かもしれません。化学物質が直接作用して出る症状と、アレルギー反応による症状、どちらが先かとかわからなかったのですが、因果関係は確実にあると言えます。

目に見える最初の症状は、全身に出た湿疹でしたから、アトピーだと思いました。
子どもの頃からアトピー体質でしたが、それほど湿疹などに苦しんだ記憶はありません。弟のほうがひどかったので、それに比べたら軽いものだったと思います。大学生の頃ごくたまに湿疹が出ることがあっても、1日もすれば治まっていたので気にしていませんでした。

今回もそんなもんだろう、そう軽く考えていました。
初めは腕の付け根の背中側に出て、治まるどころかだんだん広がっていきました。「体質改善には漢方薬がいいらしい」とのことで、弟のアトピーがひどい時に効果のあった、漢方薬局を併設している診療所に行きました。でも体質に合わなかったのか、タイミングが悪かったのか、胃の激しい抵抗にあい、ひどい嘔吐が出てからは飲むのをやめました。あとでわかったことですが、この時の薬は湿疹を引き起こす原因「体内が乾燥するのを改善する」ものだったそうです。でも私の湿疹はそういった普通の過程(?)で出てきたものではなかったので、根本的に効果がなかったみたいです。
この時の血液検査では、アレルギーの抗体量を表すIgE値は196で、基準値170に比べればまだかわいいもの。ゴキブリ、ダニ、ハウスダストの検査では全く問題なしでした。

それから約1年後、ものすごくひどくなって駆け込んだかかりつけの医者での血液検査ではIgE値が705。100以下が正常値なので何かにアレルギー反応が出ているけど、イネ科・スギの花粉、ダニ、ハウスダストの検査には全く問題なし。で、アレルギーを抑える薬(セレスタミン、エバステル)と栄養剤(シナール、エパデールS600)を処方してもらうが一向によくなりませんでした。
※エパデールS600が身体に合わなかったらしい

母の友人から良い医者が京都にいると聞き、とりあえず行ってみました。ちょっと変わってるけど信用していいからと言われて。
確かに変わっていました。左手にサンプルを乗せるだけでアレルギーの有無がわかる。薬を持つだけで身体に合う合わないがわかる。薬の適量や飲み合わせまでわかる。「O-リング」(オーリング)という判定法なのだそうですが、何が繰り広げられているのかわからないけれど、そこで「大丈夫」と判定されたものを使い、「良くない」と判定されたものを排除していくと、あれだけひどかった湿疹が、6ヵ月後には治まりました。さらに半年後には湿疹の跡もなくなり、すっかり元の皮膚になりました。ぐじゅぐじゅで身がむき出しになって血の匂いがしていたあの皮膚が。原理はわからないけど、信じざるを得ないようになっていました。

血液検査もしてもらいましたが、IgE値は1400になってました。スギやヒノキに少し反応していましたが、抗体の量の多さを証明できるほどではありませんでした。牛乳やホルマリンにも反応なし。でもO-リングでみると、スギ、ヒノキ、セイタカアワダチソウ、牛乳などに反応。米やゴマなどは無農薬ならOKだけど市販のものはダメ。ホルマリン、エタノール、蚊取り線香、安息香酸、香料、着色料・・・次々と化学物質に反応。で、高濃度の揮発性有機化合物の調査をしていたことから「化学物質過敏症」と診断されたのです。

高濃度の化学物質が原因なら、なぜ花粉や牛乳にまで反応するのか?

実は牛乳・乳製品は大好物で、毎日必ず口にしていました。また、反応した花粉の時期は春と秋。調査に行っていた時期です。つまり、化学物質を吸い込んだ時期に多量に摂取した花粉と牛乳・乳製品に反応したと考えられるのです。おそらく化学物質によって免疫力が低下したところで多量に摂取したものを異物と判断するようになったと思われます。

乳製品は比較的早い時期に摂取OKになりました。しかし、脱脂粉乳はOKでも牛乳はダメ。となると牛乳に含まれる乳脂肪がまずいように思えます。環境科学では、環境ホルモンといわれる化学物質は脂肪分に蓄積するといわれていますので、つじつまが合いそうですね。母乳で育てる哺乳類は、他の生物に比べて化学物質の濃縮率が高いそうです。もちろん体が大きい、食物連鎖の上位にいるというのもあるでしょうけれど。

カルシウム摂取のためにと牛乳を飲んでいたのですが、含有量から言えば小松菜や小魚などからも十分摂取可能だそうですので、一つの食品に偏らず、いろんな食品から栄養分を摂取することの大切さを実感しました。というよりあまり一度に同じものを摂取しないようにと・・・
このブログのタイトル、「化学物質過敏症とカラーセラピーの日々」というのは、化学物質過敏症という現実を受け入れ、新しい生活スタイル、新しい生き方を模索する中で、カラーセラピーの助けがなければここまでこれなかっただろうと思うから、これにしました。

病気に対する実質的な治療・対策は、私が出会った京都の医者による治療法で飛躍的に改善していったと思います。でも、私の気持ちは、薬などによっては治らないのです。

なぜ私がこんな病気になってしまったのか。
どうして好きな仕事をやめなければならないのか。
どこに行くのも、何を食べるのも、常に危険と隣り合わせ。

私の周りの人は親身になってくれて、「これが身体にいいらしいよ」って勧めてくれます。「つらいなら休んでいいから」って言ってくれました。本当にありがたいことで心強く感じました。でも、数ヶ月も経つとわずらわしくなるのか、「それまでの生活が悪かったんじゃない」「私が勧めたことがどうして実践できないの」「少しずつ化学物質に身体を慣らしていかなきゃ」なんてことをふっと口にします。化学物質を身の回りから減らすには、周囲の人の協力が必要です。香水をやめてもらったり、タバコを控えてもらったり、化学物質と関係する業務からはずしてもらったり。そんなことが周囲の人の制約にもなってくるのです。

病気のせいで夜昼逆転の生活リズムになってしまってて普通のリズムで生活することが苦痛でしかない状態にあるときにも、「そんな生活しているから病気になるのよ」「早く起きる練習すればいいじゃない」という言葉が二言目には出てきます。

「それができるならやっている!」

周りに言われなくても、私自身が一番そうしたいと願っているのに。

それともやはり自分が悪いんだろうか。自分の行いが悪くてこんな病気になってしまったんだろうか・・・自分を責める日々がつづきました。

毎夜、眠れないのに布団の中に入っているといろんな考えが巡ります。涙を流さない日はありませんでした。

そんな私の気持ちの負担を軽くしてくれたのがカラーセラピーなのです。

病気でふさぎこんでいた時に、それまでは気にしたこともなかった色がやたらと目に付くようになり、不思議に思いながらも身に着けると、身も心も楽になってきたのです。医者に相談すると、カラーセラピーという分野があることを教えてくれました。色彩療法ともいって、色彩のもつ波動で治療を行うのだそうです。

人間には自己治癒力が備わっています。
身体や感情のバランスが崩れた時、元に戻すために必要なものを取り込もうとする仕組みが本能的に備わっているそうです。薬や食品などの摂取が危険を伴う中で、「色彩」という光の波動が、私の気持ちと身体に働きかけてくれたのです。
それで私はずいぶんと楽になっていきました。

「あなたやってみたら?」 医者のその言葉で、色彩の世界に飛び込みました。