今この時がそうなのかなって思うので
心に向き合ってみようと思います。


自動的にわたしの、育った環境が明るみになりますけど

それも、改めて今の私が客観的にみれていいのかもしれないし
そうできるようになった。



大丈夫。

わたしはいつだって、問題を解決したくて
成長や学びを得たくて生きてきた。

でも、いつの時か全て自分の問題(本当は親の問題)
として背負ってしまったんじゃないのかな、だから
どんどん自分を責めるしかなくなって、解決出来ない自分にずっと原因を探していたように思うのです。


わたしの父は、それはそれは家族全員に
お金によって苦しめる人でした。


母は借金まみれの生活を余儀なくされ
返済日を過ぎる時には姿はなく、取り立てが来ることは、しょっちゅうだったそうです。

わたしには兄が二人いるのですが
長男は幼い頃からその光景を唯一目の当たりにしていたからか

未就学児の時点で既に父親に対して
嫌悪感を持ち、父親だとは思えなくなっていたようです。


次男は大変父親っ子で、お父さん大好きで
大変仲は良好で、現在までの職業も父親に影響を受けているほど。


末っ子のわたしはというと


ここですよね、本題は。


今の私が覚えていてすぐ答えられることは



あまり子供の頃の記憶って、なくて


普段お酒を飲むイメージのない父親が
瓶ビールを飲んでいてソファーに座っていて

母と口論になってか瓶ビールを投げて怒鳴ったような光景と、その次の記憶は家を母と飛び出していて

車に乗ってちょっと離れた喫茶店に向かっていました。

喫茶店の手前から、喫茶店の駐車場に入るとき
喫茶店の席に座ったところ


そのあたりを鮮烈に覚えている。


今でもその喫茶店の近くを通れば
思い出すんですよね。。


わたしは何歳くらいだったのかな。

5歳前後なのかなぁ


母親に怒られて泣いて泣いて泣いて泣いて
それでも寄り添ってくれなくて胸が張り裂けそうに寂しくて孤独で


そういった記憶も5歳前後のはずなので



あぁ、そうだ

父親も母親も
笑顔で接してくれることなんてほとんどなかったから
わたしはいつも不安で寂しかったんだな。


両親はわたしが7歳のとき、小1~小2の頃に離婚していました。


その年頃のとき、またと覚えているのは
子供心に深刻さを感じて、ハガキに想いを綴り

その時に出来る最善の方法を目一杯

自分のおこづかい50円を添えて
これでどうか仲直りしてください、いい子にしてるからってことを

本気の本気でした。



でも、その想いむなしく。


その経験もなにかしら影響を受けていたようですが、それはまた別の機会にして…



父親はひとり関東へ住み込みで、得意とする運転を仕事に

大きな休みに帰ってきて
限られた時間だけ、一緒に過ごす生活になりました。

夏休みなんかは、成長と共に新幹線にひとりで乗って東京まで行ったことも。



これまでのことだけでも
あらゆるところで父親の影響をとても多く受けていたんだ…と改めて気づけました。



とくに、これまで前向きに成長を試みてきたにも関わらず、いつまで経っても変わらない部分

わからなかった部分に、今


光を当てて



自分が、思っていたよりもはるかに想像を越えて
父親の影響、原因があることを知れて



今は何にもわだかまりなく父親と仲良しなのですが


わたしはきちんとこれまでの記憶をクリアにしていきたいと思います。



次はまたもう少し大きくなった頃のことを書こうと思います。



おチビたちがやんややんや騒がしくて、途切れ途切れチーン