義父とのお別れ | naturalbouquetのブログ

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琵琶湖畔に住むフローリストのお花のある暮らし、美味しいものの話などなど、何気ない日常を、綴ってます。ブログの説明を入力します。



4月2日未明。

夫の父が亡くなりました。


桜が満開🌸の時でした。




危篤の知らせをもらい、

名古屋に駆けつけた時は、

少し元気になられてて。

手を握って、

話をすることが出来ました。


2日前、義妹には鰻が食べたい、

私が来る時はステーキを頼んでくれ、

とのリクエストがあったとのこと。

(父、93歳です‼️念の為…)


お父さんの手を握って。

お父さん、元気になって、

必ずステーキ一緒に食べようね、と。

うんうん、と頷いて下さってました。


少し小康状態になったので、

私は前から頼まれてた娘の助っ人に

車を信州に向けて走らせました。


その後、群馬県片品村にある丸沼スキー場に子守り役で、娘の車で移動。



6ヶ月になるAinaのお世話役。


群馬のお山に移動して2日目の夜。

義父の容態が急変して、

やはり今夜がヤマだと

義妹から連絡があり。


急遽、名古屋に戻ることに。

夜遅く、娘と共に

先ずは長野の娘の家に移動。

少しだけ仮眠して。

翌朝早く、

単身、名古屋に私の車を走らせました。


私が名古屋に向けて走ってる時に、

義父は義妹に看取られながら、

静かに眠るように

息を引き取ったそうです。


享年93歳。


大往生です。


昨年1月に義母が先立った後も、

デイサービスに積極的に通い、

筋トレなどリハビリ頑張られてて。


ディサービス先で

コロナの濃厚接触者に

何度もなっても

見事にセーフで。


なんと強い生命力💪✨️


100歳までいけるね、

と思ってたのですが…。


幼少期に両親を亡くし、

苦労されながらも薬科大に入り、

薬剤師の資格を持ち、

製薬会社にお勤めして。


何事にも真面目で。

勤勉家で。


(早くに死別した父、夫から見たら祖父に当たる人は、東大を主席で卒業した偉大なる人だったそうです。

アノ有名な銀時計を貰ったそうです。)





義母と結婚して。

初めて自分の家庭が出来て。

子供が産まれ。

家族が出来て。

それはそれは大事に大事に

家族の歴史を作り。

後に産まれてきた孫たちも

大切に大切に可愛がってくれて。

愛に包まれてました。


何かの節目は、

一族皆が実家に駆けつけて、

大宴会が繰り広げられる

仲のいい家族でした。





晩年は、油絵と囲碁を楽しまれ。

義母が施設に入所した後も、

数年は一人暮らしを頑張られてました。


美しいものが大好きで。

私の作るお花を見ては必ず、

綺麗だね✨️と一言。

私の作るお料理も美味しい美味しいと

言って食べて下さいました。


義母が認知症になってから、

義父がサ高住に入所するまでの10年くらいは、私が月に何度か名古屋まで通い、

2人のお世話をしてましたが、

その間が一番大変でした💦


しかし。

嫁いでから

義両親の愛をたくさん貰ってた私は、

その恩返しだと思うと、

当たり前に名古屋通いが続けられました。


今、2人を見送り、

本当に感謝しかありません。


ありがとうございました‪🫶🏻💞‬


今頃、お義母さんと2人で、

ハグし合ってるのかな。






今度は私たちがこの家族の歴史を

引き継いでいきます。


どうか見守ってて下さいね。