昔んの長筒のトリガー部分ですっちゃ🔫。



30番の空薬莢。



雷管を、そん薬莢に装填するためんの道具。


長筒んの、トリガーの引き金を引いたら、

こん薬莢の雷管を叩き、

そん雷管が火🔥ん元になって、

薬莢内の火薬に引火?、爆発?して

鉛の弾を長筒ん先から放つ‼️



狙う生活の糧は、

山ん神様🐻


生きる為に山の神🐻を殺生る。


山の神🐻は、

余す事なく、全ての部位がヒトが生きる糧に利用される


一番利用価値のあるのは、

胆のう。

次に、

毛皮。

肉🍖。

骨🦴。


山の神の胆のうは、

現在の西洋医学による薬💊が、まだこの国全体に安価に容易く手に入れない時代(といっても、わずか数十年前の近い過去。)、

万病の特効薬として、純金と同じグラム料金で取引されたといわれるほど、貴重な物だったらしい。💰


山の神🐻が、その胆のうの効力を一番保持している時期が、彼等が冬眠している時期。⛄️

そう。山ん神様🐻が、冬眠中に一才飲まず食わずにある時期の胆のうであったそうだ。

(北海道のヒグマは知らん💦(笑))


当時の猟師達は、

こん、胆のうを求めて、

冬。冬眠時期に冬眠穴で寝ている山の神を殺生るか、

冬眠明けに穴から出てきたばかりの神を殺生るそうだ。


前者の狩猟を、[穴熊猟]といい。

後者を、[巻狩り]といって、殺生る方法が異なるらしい。


狩猟において、ヒトにとってリスクが少なく、一番効率良く殺生れるのが、冬眠中に殺生る[穴熊]猟だそうだ。


具体的な猟法の口伝はここでは割愛するが、

この猟では猟師達には殺生る時に、ある葛藤があるそうだ。


それは、

冬眠穴から顔を出しブッパなす熊が、子連れのメス熊なのか?オス熊なのか?が分からない。という事に起因するらしい。


メス熊。特に子を宿した母クマを殺生ると、

冬眠穴に残る子グマは、

この先、生きていけない。


つまり、

次の年、または将来、

この小熊達が成長し、ヒトが生きる糧を、この瞬間に断ってしまうということだ。


それは、

繰り返しになるが、

この一時の飢えを凌ぐ為に小熊ずれの親熊を殺生ってしまったが故に小熊が死に絶え。

将来、自分たちヒトが飢える可能性があるかもしれないと言う恐れらしい。


現在、

殆どの自治体も、

この[穴熊猟]は、種の保存のために禁じられている。


ーー昔ーー


といっても、

今から半世紀もない過去である。


殺生る者は、

山の神以外の他の生きものに対しても、

殺生る事で得られる一時的な利と、

そうする事で、将来、自分たちに飢えらかもしれないという害という

対局にあるものの

葛藤を常に抱えていたと言う。


それが故に、

彼等、猟師が殺生る時に向ける獲物に対してへの

畏敬の念は、

どれほどまで深かったのだろうか?

そう思うと、

トリガーを引かない現代の我々一般人にとっても、

その葛藤の一部が伝わってきて、

なぜだか、とても切なく感じてしまう。


一昔前前の猟師は、

本当の意味で、

自然の中のヒト達だったんだろうと思う。

彼等は、殺生人と呼ばれて忌み嫌われる立場に置かれる存在では無く、最大に尊敬するヒト達だったのではないかと、、、、。


最近、

深山に入る度に、

何故だか昔の本物の猟師の事に

思いを募らせてやまない。