「青天を衝け」6月20日放送回「第19話、勘定組頭・渋沢篤太夫」について書いておきたいと思います。

 

 

・江戸期前半の重農主義と後半の重商主義

 渋沢篤太夫(栄一)の経済政策に話を進める前に、江戸期の全体的な経済状況に触れておかねばなりません。江戸期の日本は幕府と藩が分割領有する体制であり、300にも及ぶ藩では農民が納める年貢米を禄として藩士に分け与えていましたが、各藩は江戸や京・大坂に置いた藩邸の維持や参勤交代にかかる費用によって財政が悪化し、次第に豪商からの借金に頼らざるを得なくなっていました。やがて江戸や大坂などの都市部で貨幣経済が充実すると、町人(商人・職人)が経済活動の主体となり、それに伴って年貢米しか財源の無い藩財政は厳しくなりました。そのことは武士と農民との間で成り立つ重農主義の時代が終わり、商人が中心となって貨幣経済を回す重商主義の時代に移行していったわけです。

 ここで二宮金次郎(尊徳)に触れます。二宮が活躍した時代は、貨幣経済が最も発達した文化文政期も過ぎた、水野忠邦による天保の改革期です。元農民の金次郎は小田原藩に武士待遇で召し抱えられ、藩の財政を再建するという結果を出しましたが、次に与えられたミッションは藩主の親族が治める下野国桜町領(栃木県真岡市)の財政再建でした。金次郎が行った経済政策は、まず天保の大飢饉で疲弊した農民の年貢を数年間減免し、農閑期には橋や堤などを造る公共事業に携わらせて食い扶持を保障してやることでした。後に農民の暮らしと生業が安定すると共に米も増収し、領内の財政再建も次第に達成されました。これは今で言うケインズ主義(積極財政)政策でしょう。二宮金次郎と言えば上杉鷹山ばりに倹約で藩財政を立て直したイメージを持たれますが、その実像は使うべき場面ではカネを使って民を救うケインジアンだったわけです。

 ちなみに金次郎が行ったのは、いわば「重農主義的ケインズ主義」ですが、これが重商主義の時代でも通用したのは、天命の大飢饉で傷ついた農村部の復興が目的だったからだと言えましょう。天保の改革による都市部の大不況を救うには重商主義に適した新機軸のケインズ主義が必要でしたが、それが出来なかったから「大塩平八郎の乱」を始めとする一揆や打ちこわしが頻発し、そこから浮上できないまま欧米列強国やグローバル企業群による侵略的通商戦争にも巻き込まれ、ついに幕府は終焉に至ったわけです。

 そして、「重商主義的ケインズ主義」の代表は江戸中期の田沼意次ですが、いずれ稿を改めて論じたいと思います。

 

・「青天を衝け」の渋沢栄一とケインジアン山田方谷

 「青天を衝け」の劇中(幕末)では渋沢篤太夫(栄一)が一橋慶喜の懐刀として描かれていますが、その一橋慶喜が将軍に就任する前から幕政を支えていた老中・板倉勝静(備中松山藩主)にも懐刀として山田方谷という人物がいました。山田方谷は元農民の陽明学者として知られますが、火の車だった備中松山藩の財政を立て直した経済分野における武士待遇の官僚です。

 方谷が備中松山藩で行った経済政策は藩札発行と公共投資でしたが、これは「青天を衝け」で渋沢篤太夫が備中一橋領で行った政策と酷似しています。篤太夫が行ったことは、銀本位制(必ず銀貨と兌換するという約束)で信用付けした藩札を発行(金融政策)し、同時に備中一橋領内で生産した木綿をブランド化して畿内の商人に売り込むという公共投資(財政政策&産業政策)でした。一橋ブランドの木綿が畿内の大都市で売れれば農工商間での取引が活発化し、それによって藩の税収が増えれば豪商からの借金も完済して財政再建もできます。これも今で言うケインズ主義政策(金融政策と財政政策の組み合わせ)ですが、より重商主義に対応できる形のケインズ主義だと言えましょう。ちなみに、大坂・京や他藩を他国と捉えれば輸出(外需)で儲けたことになりますが、幕末には日ノ本全体で一国と捉える意識も高まっていたため内需としても問題は無いでしょう。また、備中だけでなく仙台藩や福井藩でも同様のケインズ主義政策が採られ、天保の改革による不況の痛手から立ち直る藩も出始め、全国的な内需拡大傾向にあったこともプラスに作用したでしょう。

 さて、以下に示すのは山田方谷が備中松山藩で行った財政再建策の内容です。やはり銀本位制で信用付けした藩札を発行して領民に貸し付け、同時に領内で採掘された砂鉄を精錬して備中鍬・鎌・釘・かすがい・日本刀などを大量生産し、他にも漆・茶・麻・タバコ・和紙などを増産してブランド化するといった公共投資(財政政策&産業政策)を行い、畿内の都市部や他藩領内の需要(内需)を満たしました。また、鉱山を買収して銅の生産を盛んにし、長崎の出島を通じて異国との貿易(外需)でも儲けています。

 上記のように「青天を衝け」で渋沢篤太夫が行った経済政策は、山田方谷が備中松山藩の財政を立て直し、板倉勝静を幕政の中心としての老中に押し上げた方法の二番煎じとも言える内容でした。山田方谷が活躍した備中松山藩と渋沢篤太夫が活躍した備中一橋領は、ほぼ隣に位置するため経済政策が似ていても不思議ではないでしょう。

 

・グローバリストとナショナリスト

 ここで話は大きく変わります。西郷吉之助が主人公の「西郷どん」と違って「青天を衝け」では、渋沢篤太夫(栄一)が仕えた徳川慶喜を良く描かねばなりません。ゆえに、当然ながら薩摩は全て悪者となります。大久保一蔵(利通)と五代才助(友厚)は英国の武器商人(トーマス・グラバー)を利用して倒幕を企てましたが、実は逆に利用されていた可能性が濃厚です。薩長VS幕府はイギリスVSフランスの代理戦争であり、薩長側と幕府側の双方に武器を売りつけて大儲けした後、内戦で弱体化した日ノ本全土を欧米列強国の植民地とする計画でした。その内戦とは鳥羽・伏見から五稜郭までの戊辰戦争です。だから、慶喜が内戦を避けて大政奉還したことや、鳥羽・伏見で負けて直ぐに直帰(大坂→江戸)したこと、西郷吉之助の率いる新政府軍に江戸を無血開城したこと、これらは全て植民地化を避けるための最善手だったかもしれません。もちろん直接対決を避けるのに最も寄与したのは西郷吉之助(隆盛)と勝海舟の会談です。ただ、京都守護職の松平容守や白虎隊士を始めとする会津藩士には悲劇的な結末となりましたが…。

 さて、黒船来航から数年後あたりに時を戻しましょう。日ノ本(幕府)はタウンゼント・ハリスらをぶらかしつつ時間を稼いだものの、ついに砲艦外交の圧力に耐え兼ねて横浜・神戸・函館など5港を開き、列強国との間に修交通商条約も結びましたが、その後の日本経済はどうなっていったのでしょうか。まず内戦を見越した大量の武器輸入があり、そして同条約が外国産の物品から生産者を守るための関税を禁止された不平等条約だったため日本市場は外国産品によって席巻され、さらに不当なドル-両レートによって金銀の大量流出までが起こりました。つまり、凄まじい国富消尽が起こったのです。そして、流通する貨幣(通貨)の減少は日本経済を機能不全に陥れ、多くの民が生産も消費も出来なくなり、自給自足生活を送る少数者以外は生き残れない最貧国へ転落する瀬戸際だったと言えましょう。そこで、この事態を乗り切るには貴金属に頼らない紙の貨幣による経済への移行が求められました。備中一橋領内で藩札発行を手掛けた設定の渋沢篤太夫も、今後の「青天」劇中で、この事態の収束に寄与することが予想されます。

 ところで、劇中では既に「ぬるっと」薩長同盟が成立していましたが、その立役者とされる坂本龍馬も英国の武器商人(トーマス・グラバー)の片棒を担いでいた人物だと思われます。つまり筆者の基準では、坂本龍馬・大久保一蔵(利通)・五代才助(友厚)・岩崎弥太郎・伊藤俊輔(博文)・井上聞多(馨)らは内戦や過度の欧化政策によって得をするグローバリスト(列強国の企業を利する世界主義者)で、徳川慶喜・西郷吉之助(隆盛)・勝麟太郎(海舟)・渋沢篤太夫(栄一)らこそが内戦を避けて民を救ったナショナリスト(国民を幸せにする国民主義者)ということになります。

※ちなみに、政府主導で民を抑圧するのはステーティズム(政府主義あるいは国家主義)、民を一つの方向に扇動しようと画策するのはファシズム(全体主義)、直ぐに戦争したがるのはミリタリズム(軍国主義)であり、いずれもナショナリズム(国民主義)とは全くの無関係です。

 

・財務省がケインジアンだった時代

 ここで唐突ですが、新政府初の財務大臣となった三岡八郎(後の由利公正)に触れます。三岡は福井藩主・松平慶永(春嶽)に仕えた経済官僚で、彼の上司には坂本龍馬に大きな影響を与えたことで有名な横井小楠がいます(※龍馬の船中八策の元ネタは小楠の国是七箇条とされ、これが五箇条の御誓文にもつながった)。三岡は、上記した山田方谷のようなケインズ主義政策により、借金で二進も三進もいかなかった福井藩の財政を立ち直らせました。その実績を買われてのことでしょうが、坂本龍馬(横井小楠)の推薦もあり、二条城で徳川慶喜が大政奉還した後に樹立された新政府では、御用金穀取扱方(今で言う財務大臣)に就任しました。財相として三岡が行ったことは、まず太政官札(紙幣にして国債)を発行し、各藩に独自の産業振興策を為すための資金を提供することでした。なんと!驚くべきことに!明治期の財相はケインジアンだったのです。現代日本のドケチ緊縮財務省とは180度逆の大盤振る舞いをやったのです。このようなケインズ主義政策(本来は失業者ゼロ・完全雇用を目指す政策)には、四民平等によって禄(食い扶持)を失った士族に仕事を与える意味もあったでしょう。しかし、藩主や家老が商売を知らなかったために財政を悪化させ続けた多くの藩では、豪商からの借金返済に充てたりするばかりで効果的な使い方は出来なかったようです。そんな中、大政奉還後に駿府75万石にまで転落した徳川藩(藩主:徳川慶喜)では、渋沢栄一が日本で最初の合本組織(株式会社)である「商法会所」を設立し、藩経営に当たって成功させました。これは、農民と商人の間のような存在だった渋沢家に生まれ、尊攘の志士(武士)を目指すうちに一橋慶喜に仕えることになった渋沢の経験と才覚が遺憾なく発揮された結果だと言えましょう。

 この辺りのことは「青天を衝け」でしっかり描かれるでしょうが、この先の「青天」には懸念もあります。パリ万博を見て感動した渋沢が、それ以降グローバリスト(世界主義者)に変貌する懸念があるからです。

 

・世界が大恐慌から立ち直れた経済政策とは?

 ここで話は大きく飛んで第二次世界大戦前の時代に言及します。上で見てきたように日本史上には既に何人ものケインジアンが存在し、だからこそ稀代の財政家としての高橋是清が世に出たのだと考えられます。また世界史的にも、この時期(1920~30年代)には高橋是清、フランクリン・D・ルーズベルト、アドルフ・ヒトラーといった財政の天才が同時多発的に現れました。第二次世界大戦で火花を散らしたドイツ・日本・アメリカが世界大恐慌(1929年)の痛手から最も早く立ち直り、そして戦争できるほどに国力を高めた方法が積極財政(ケインズ主義)だったわけです。欧州は第一次世界大戦の痛手を引きずっていたから出遅れたなどと説明されますが、それでは天文学的な額の賠償金を課せられたドイツが最も早く立ち直れた事実には説明がつきません。このことはナチスドイツが行った積極財政政策に効果があったことの傍証となります。

※高橋是清の時代までの積極財政政策では、通貨発行は金本位制(金との兌換を約束)に拘束されていましたが、ケインズ主義が高度化した現在のMMT(現代貨幣理論)では、政府が「この通貨で納税せよ」と決めることによって通貨を権威付けするという解釈であるため、貴金属と兌換する必要性はありません。また税収は財源ではないため、歳入(税収)と歳出(予算)とをバランスさせる財政規律も不要です。さらに言えば、政府の借金(負債)=国民の資産であるため、政府が借金を増やさないと国民は貧困化します。ゆえに、円建てによる国債=内債(外国からの借金ではない)は中央銀行(日銀)が最終的な貸し手であるために返す必要が無く、従って財政破綻はあり得ません。財務省もムーディーズなどの国債格付け会社に対してそう反論しています。

 

・現代日本を拘束するGHQの呪い=緊縮財政

 日本では、EU加盟国のように金融政策を放棄(自国通貨を廃止してECBが発行するユーロに統一)していませんが、財政政策は全く自由になりません。財政法4条(公債発行は税収の範囲内)があるためです。同条項はGHQが日本占領中に成立させたものですが、これは日本が二度とアメリカ様に逆らわぬよう戦時国債を発行させない目的で組み込まれました。また、大蔵省が財務省に名を変える際にできた財務省設置法では収支の黒字化が謳われ、至上命題となった税収増のために消費税率は何度も上げられました(1997年、2014年、2019年)。マスコミと経済学者は「無駄な公共事業を止めろ」「子孫に付けを残すな」「歳出を減らせ」と言い続け、やがて大衆世論も「消費増税やむなし」論に染め上げられました。また世界的に流行していたグローバリズム(経済的側面:ネオリベラリズム)が小さな政府(公共部門の民営化を推進)を志向したため、政府の経済政策が市場に影響を与える積極財政も忌避され、さらに国民も小泉純一郎や竹中平蔵、ホリエモン、橋下徹といった「小さな政府」志向のグローバリスト(欧米外資のグローバル企業を利する世界主義者)を支持しました。グローバリストは規制強化やケインズ主義による内需(個人消費)拡大を目指さず、外需(輸出&インバウンド)を取れとばかり言いますが、これも政府支出(→国民所得)を増やさないためです。これら(GHQの呪い&国民の自縄自縛)が足枷となって日本財務省は世界一の緊縮派となり、そのために日本は世界で最も経済成長できない貧困国となり、この緊縮財政(支出カット&増税)政策は日本国憲法で保障された国民の生存権を蔑ろにし続けています。

 一例を挙げれば、コロナ禍中にある世界各国では財政規律など全く気にせず積極財政に舵を切ってカネを配りまくり、自粛やロックダウンによって失われた国民所得の多くを補償していますが、世界中で日本だけが財政規律を頑なに守り、「自粛は飽くまでも要請だから、政府には補償する義務は無い」という態度を取り続け、どれだけ経済苦や孤独、絶望感による自殺や精神疾患が増えようとも緊縮政権は「自己責任!」の一言で片付けます。このような国民の無駄死にを放置することは国家的な損失だと考えるナショナリスト(国民主義者)はいなくなったようです。

 

・コロナ自粛というショックドクトリン

 現在の日本社会はマスコミに煽られたコロナフォビア(恐怖症)により自粛が国是という様相を呈しており、これによって多くの局面で経済の流れが止まっています。持てる者のみが巣ごもり需要を発生させて主にGAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)を始めとするグローバル企業を儲けさせ、持たざる者はエッセンシャルワーカー(基幹産業従事者)として日銭を稼いでいます。権力者も「エッセンシャルワーカー以外の人流を止めろ」と言いました。そして、やがて国内の全産業が自粛中に壊滅した後ようやく(日本人にとっては全く無駄だった新型コロナ感染対策としての)自粛が解除され、しかる後に欧米列強国や中国に本拠を置くグローバル企業群が、日本市場における物やサービスの供給元として完全に置き換わるというシナリオだと思われます。緊急事態宣言と蔓延防止等重点措置(まん防)が繰り返し出され、それが2年も続けば全産業が殲滅されるでしょう。つまりコロナ自粛はショックドクトリンとして作用するのであり、これが現代版の国富消尽です。

 さて、当ブログで何度も触れてきたように東アジア発の(旧型)コロナに何度も罹ったはずの日本人は新型に対しても交差免疫が成立している可能性が高く、ゆえに感染対策としての自粛も全く必要が無かったと思われます。従って有害無益なコロナ自粛は早急に止めるべきです。つまり東京五輪をやれない理由も最初から何一つ無いということです。また、五輪すら開けないとなったら日本は永久自粛でも仕方ないと世界中にアピールすることになります。さらに、今さら五輪を中止すれば既に放映権などを獲得して儲ける算段だった外資のグローバル企業群が、日本政府を国際司法裁判所に訴え、政府は膨大な賠償金を払わされる可能性があります。そうなれば国内の借金(内債)が海外からの借金(外債)に置き換わり、財政破綻も現実化するでしょう。これは日米FTAや日欧EPAといった現代版不平等条約を締結した結果の悪夢です。

 

・進むワクチンファシズム

 ついでに言えば、世界各国でのワクチン接種推進もグローバル製薬企業の利益と株主であるスーパーリッチへの配当のためであり、その次はワクチンパスポート(接種済みデジタル証明)でグローバルIT企業が儲けるという算段です。ちなみに、上記したように新型コロナが脅威でない日本人にとってコロナワクチンなど絶対に必要ありません。しかも、コロナワクチンの副作用(副反応)としては、直後に起こるアナフィラキシー反応だけでなく、血栓や出血などの心臓血管系疾患を起こす事例が既に数多く報告されており(6月末の時点で356名の死亡例アリ)、さらに主成分であるmRNAを被接種者のDNAに組み込む恐れのある遺伝子ワクチンであるため、自己免疫疾患(新しく作られたタンパク質を非自己と認定して攻撃)や癌などを発症する可能性も捨てきれません。また副作用の事例が隠し切れない程に増えた場合も、開発した企業に訴え出たり補償を求めたりは出来ない契約となっており、どれだけ犠牲者が出たとしても最終責任者は日本政府です。にも拘らず、接種(人体実験)後のデータは開発者(F・M・A…社)に送ることが義務付けられています。

 

・今こそ経済ナショナリズム(反グローバリズム・反緊縮)へ

  「道徳なき経済は犯罪、経済なき道徳は寝言」という二宮金次郎の言葉がありますが、武器を取って戦う戦争や紛争がほとんど無くなった時代にあっては、道徳的な経済政策を為すことこそが国民に幸せを保障する本来のナショナリズム(国民主義)だと考えられます。そう考えれば、田沼意次や二宮金次郎、山田方谷、渋沢栄一、由利公正(三岡八郎)から、高橋是清を経て田中角栄まで続く日本的ケインジアンの系譜とは、つまり経済ナショナリストの系譜と言い換えても良いでしょう。

 日本は欧米列強国から強いられてきたグローバル化改革と、GHQの呪いとしての緊縮財政により30年以上も不況に苦しめられ、その上、コロナ自粛禍による追い打ちまでが重なり、まさに「道徳なき経済」の典型のような状態です。ゆえに、今こそ道徳を寝言にしない経世済民策が求められるのであり、そのためには「反緊縮=積極財政」と「反グローバリズム=保護主義」が必須なのです。また本当に国民の幸せを願うなら「反緊縮」「反グローバリズム」に加えて「反コロナ自粛」も必須です。ナショナリスト(国民主義者)なら本来そう考えるはずなのです。

 

 

 2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』は諸般の事情により越年放送となったものの全44話が終了しました。本作は大河史上に残る秀作であったと感じております。表題にある「麒麟」とは仁者が治める土地に訪れるとされる霊獣であり、『麒麟がくる』は戦国を終わらせる英雄物語ですから、「麒麟」は平和の象徴だろうと思われます。

 

 さて、史実において織田信長と親交のあった宣教師ルイス・フロイスには『日本史』という著書があります。その中で明智光秀について触れた箇所は非常に興味深い記述となっています。

 

「その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた」

「殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」

———これらは戦国もののドラマや映画では、むしろ羽柴秀吉を連想させる要素です。

 

「彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」

「彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛の情を得るためには彼を喜ばせることは万時につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないように心掛け、彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、自らはそうでないと装う必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった」

「また友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していたが、ついにはこのような術策と表面だけの繕いにより、あまり謀略には精通していない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、信長は彼を丹波、丹後二カ国の国主に取り立て、信長がすでに破壊した比叡山の延暦寺の全収入とともに彼に与えるに至った」

———残忍な本性を隠して表面だけ取り繕うのが上手い件など「これでもか!」という程の罵詈雑言です。しかし、フロイスがこのように書きたくなる理由は想像がつきます。彼はキリスト教の布教を任務とするイエズス会の宣教師であり、日ノ本での布教活動において利用価値の高かった織田信長(領内での布教許可・仏教旧勢力の一掃・南蛮寺建立…)を本能寺襲撃事件で殺した明智光秀にブチ切れたからでしょう。

 

「ところで明智はきわめて注意深く、聡明だったので、もし彼らの中の誰かが先手をうって信長に密告するようなことがあれば、自分の企ては失敗するばかりか、いかなる場合も死を免れないことを承知していた」

———「承知していたくせに失敗しやがった♪バッカでぇ~♪」と快哉を叫んで小躍りするフロイスの姿が目に浮かぶようですね。

 

 フロイス著『日本史』の本能寺の変に及ぶ直前の記述では「兵士たちはかような動きが一体何のためであるか訝かり始め、おそらく明智は信長の命に基づき、その義弟である三河の国主(徳川家康)を殺すつもりであろうと考えた」とあります。

———織田信長が徳川家康を消したい理由は『麒麟が来る』でも工夫されていました。武田を滅ぼした後の徳川は東海一の大大名ですから信長が危険視しても不思議ではありません。劇中では安土饗応の場面で丹羽長秀が家康を毒殺すればよいと示唆する場面すらありました。

 

 ところで、「本能寺の変」の原因される説には以下のようなものがあります。

・怨恨説(織田諸将の前で信長からの度重なる折檻に耐え兼ねて)

・不安説(松永久秀や荒木村重、佐久間信盛らの扱いに不安を覚えて)

・野望説(織田諸将が各地へ出向いている今なら天下を取れると思って)

・秀吉ライバル視説(台頭した秀吉に地位を奪われるかも?という不安説の亜種)

・四国説(光秀の長宗我部調略中に信長が四国を三好に与えるべく長宗我部討伐を実行しようとしたから)

・各種黒幕説(羽柴秀吉・徳川家康・朝廷など信長排除で利益ありそうな人物が黒幕とする)

・非道阻止説(帝に譲位を迫った、平姓将軍、高僧焼き殺し…これ以上の暴走を阻止したかったから)

※福知山市が行ったアンケートで得票数の最も多かった「暴君討伐説」は非道阻止説に該当します。

※※『麒麟がくる』は、「非道阻止説」の提唱者である小和田哲男氏が時代考証を担当しています。

 

 では、上記の2つを前提として『麒麟がくる』を特殊な角度から考察したいと思います。 

  (以下、ネタバレあり)

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 まず『麒麟がくる』劇中の主人公の明智十兵衛光秀(長谷川博己)という人物は非常に安定した人格を備えており、バランス感覚にも優れたキャラクターとして描かれていました。そして、保守思想の体現者にして尊皇家で、かつナショナリストでもあると私は感じました。これら3つの単語は非情に誤解を受けやすいため、それぞれ以下で定義づけしていきます。

 まず保守についてですが、これは守旧派や体制派とは全く違います。改めるべき事柄(時代に合わなくなった因習)と改めない方が良い事柄(まだまだ通用する良き伝統)とを峻別し、前者は改革して後者は守るという絶妙なバランス感覚を持つ者が保守主義者です。劇中の光秀の目指した方向が、幕府存続(幕臣として内部から改革しようとした)→信長による天下統一(腐りきった幕府は一度倒壊させるしかないと判断し、幕府を捨てて織田の家臣となり天下統一を目指した)→幕府再興(戦を終わらせるために反信長包囲網の中心である鞆の浦の足利義昭に会いに行き、京への帰還を打診)と変遷したのは、乱世を終わらせるための最善手を常に模索してきた結果の変遷だろうと考えられます。すなわち光秀の、幕府を守るか潰すか、旧体制を改革するかしないか、戦をするかしないかを時と所と場合に応じて平衡を取ろう(バランスさせよう)とする態度は、まさに保守のそれでした。また改革を行う場合にも、それが誰のための改革かを厳しく問う必要があります。その裏に政権の都合(織田信長の権力誇示など)や外国勢力の誘導・圧力(イエズス会・フランシスコ会によるキリスト教布教→ポルトガル帝国・スペイン帝国による東アジア侵略計画)があってはならず、全て日ノ本に暮らす民のためでなければならないのです。

 

 さて、16世紀はスペイン帝国やポルトガル帝国が世界支配を企んでいた大航海時代であり、その当時ちょうど世界有数の軍事国家となっていた戦国日本(織田政権)を利用してスペイン・ポルトガルが明・朝鮮を侵略しようとしていたことが知られ始めています。また織田信長が覇権的・武断的に領土を拡張して天下統一を目前にしていた頃、彼は最新科学や世界情勢における新しい知見を提供してくれた宣教師ルイス・フロイスと親しく交わっており、つまり彼の目は世界に開かれていたわけです。つまり信長は国内統一の次に明や朝鮮を視野に入れていてもおかしくない状態でした。明智光秀との山崎での合戦の後に天下を取った羽柴秀吉は、信長の大陸への野望をも引き継ぎ、実際に明と朝鮮を侵略すべく朝鮮出兵(文禄・慶長の役)までやらかしました。もし信長や秀吉のような軍事的グローバリズム路線が貫徹されていれば、戦場となった東アジア各国の国力は極端に衰退し、アジア全土からオーストラリアまでが全てスペイン領となり、やがて米西戦争を経て全アジアおよびオセアニアが二次大戦前のフィリピンと同様に米国領だったのではないでしょうか。このように考えると、本能寺の変で織田信長の暴走を止めた明智光秀や、豊臣秀吉の朝鮮出兵に協力せず国力低下を防いだ徳川家康は、日ノ本とアジア各国を欧米キリスト教国から守ったとすら言えましょう。こういった事情を考え合わせれば、ルイス・フロイスが自著『日本史』で明智光秀を卑劣で醜悪な人物として描いた最大の動機は、この点にあると思わざるを得ません。なお『麒麟がくる』では、伴天連は登場するものの以上のような国際問題は全く扱われず、完全に国内問題に終始していました。

 

 そして次にナショナリストの件です。ナショナリズムという言葉の和訳は「国民主義」であり、国家主義でも全体主義でも軍国主義でもありません。国家の体制を絶対護持するという考え方なら、それは政府主義(ステーティズム)です。全体主義(ファシズム)や軍国主義(ミリタリズム)は恐怖政治とも親和性が高く、それは親に認められなかった不幸な生い立ち故に己が満足するまで戦を止められず、戦に勝つことで褒められるならと乱世が続くことを願ってしまう信長のような人物にこそ当てはまります。領民のために戦の続く乱世を終わらせたいと願うのが本物のナショナリスト(国民主義者)です。ゆえに、本能寺襲撃後、中国大返しを敢行して戻ってきた秀吉軍を京に入れない(100年以上も戦に苦しんできた民が住み、また民に寄り添ってこられた帝の居られる都を戦火に巻き込まない)ために、多勢に無勢(秀吉軍4万VS光秀軍1万)を承知で山崎にて迎え撃った光秀は十分にナショナリスト(国民主義者)であり、同時に必ず負けると判っていても「麒麟がくる」世への望みをつなぐべく戦に挑んだ光秀は、源義経や楠木正成、西郷隆盛らと並ぶ悲劇の英雄と呼んで良いはずなのです。また、ポルトガルやスペインの軍隊に国土を蹂躙され、同国の商人らによって民が奴隷の如く扱われそうな事態(奴隷売買は普通だった)を未然に防ごうとした可能性を思えば、その点でも彼はナショナリスト(国民主義者)の資格を十分に備えており、ナショナリスト(国民主義者)としての光秀と対置させるなら、信長や秀吉はグローバリスト(世界主義者)と呼ばれるべきでしょう。

 

 最後に尊皇家の件ですが、ご存じのように『麒麟がくる』劇中の明智光秀は一貫して帝や朝廷を守ろうと動いています。公卿の三條西実澄(石橋蓮司)から「万葉の歌詠みでは誰が好きか?」と問われ、光秀は「柿本人麻呂に尽きる」と答え、その理由として「国と帝、家族と妻への思い、いずれも胸に迫るものがある」と答えました。ゆえに光秀は尊皇家でないはずがないのです。史実でも明智光秀は「惟任」という姓と「日向守」という官職を拝命しています。さて、最初は公方(足利義昭:滝藤賢一)よりも正親町帝(坂東玉三郎)を敬っていて尊皇家に見えた織田信長(染谷将太)ですが、実は戦に勝った自分を褒めてくれる相手を求めているだけだと光秀は気付きます。自分を褒めてくれなくなった正親町帝から自分と仲の良い誠仁親王(加藤清史郎)への譲位を進める段に至ると、光秀のバランス感覚が働いて「これは違うぞ!」となりました。ちなみに日本の天皇制には、文化的な権威(皇室)と政治的な権力(政権)を分けることで国内を安定させるという働きがあり、私的な理由で権力(織田政権)が権威(天皇・皇室)を侵せば国が乱れる元となります。ちなみに幕府や公方は、天皇から位を授かることで権威づけされる存在です。権力のみで権威の無い織田政権(信長は右大臣・右大将を放棄した)の下では国がまとまらないと判断されれば、帝や公家、幕府といった公的な権威の復権も視野に入れなければなりません。『麒麟がくる』でも正親町帝が光秀にかけた「信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」という言葉が彼の後の行動に大きく関わってきます。

 

 さて、織田信長に追われた足利義昭が備後国の鞆の浦に亡命し、そこから各地の武将に御内書を出して反信長包囲網を形成しましたが、もはや足利将軍は統治主体ではないため、筆者は鞆幕府の実在を是認していません。室町幕府が政治的に機能しなくなった三織豊(三好・織田・豊臣)時代は戦国乱世から江戸の治世への過渡期だったと考えられ、当然ながら乱世の領国統治と治世の領国統治は異なります。乱世では即時的な軍需に応える供給体制を必要とするため楽市楽座のような新自由主義的規制改革が必要となりますが、治世では需要が落ち着くため需給バランスが供給過剰に傾く(不況)ため、これを是正すべく規制を強めていく方向が望ましいと言えます。ゆえに、戦が終わった明智光秀の領国、すなわち近江(坂本)や丹波では規制緩和より規制強化に向かうべき段階であったと思われ、また戦が減れば軍需で儲ける豪商から矢銭も取れず、領国の収入が米の収穫高のみとなるため検地のような農政が重要となります。戦を終わらせることと民の暮らしを安定させることが「大きな国」をつくる目標であり、それはナショナリスト(国民主義者)が望むことと完全に一致します。

 ここで、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という戦国期を終わらせたとされる三英傑の経済政策を比較してみましょう。まず信長は旺盛な軍需が景気を刺激する戦争経済です。天下統一に向けた戦の渦中ですから当然です。次の秀吉も途中までは戦争経済ですが、九州と関東の平定が終わって天下統一が成ると新しい領土は得られず、軍需も無くなって経済成長も鈍化するため、以後は京の町を御土居で囲んだり、それに伴って寺社を移転・改築したり、聚楽第・伏見城・大坂城といった大城郭を建造したりという大規模な公共事業を行い、また花見や茶会を催すなどして需要を喚起しました。同時に全国で基準を統一した検地(太閤検地)を行い、治世に向けた農政重視政策へのシフトを試みました。しかし、結局は朝鮮出兵の軍需に頼るという戦争経済に傾いていきました。それでは家康はどうかと言えば、各国の領国経営は200~300にも分割された諸藩の藩主(実務は家老)に丸投げし、お家騒動や一揆頻発などの問題が発覚すれば藩ごと取り潰しました。商いを活性化させる景気刺激策としては、各藩主に江戸藩邸と領国とを隔年で往復させる参勤交代を課し、それは道中にカネをばら撒かせることになったため、景気刺激策として十二分に機能したと思われます。従って、領国内に五街道が通っている藩ほどカネが落ちて商いが活性化し、また江戸から遠くの地に追いやられた外様大名ほど負担が大きくなるという考え抜かれた政策でした。その結果、大した反乱も起こらずに260年間もの長きにわたる平和が保たれました。

 

 さて、『麒麟がくる』の劇中では「本能寺の変」の原因として、従来の怨恨説(家康を迎えた安土饗応で光秀が失態)、不安・ノイローゼ説(夜毎に光る木を伐り倒す悪夢に悩まされる)、四国説(光秀に相談もなく織田信孝を総大将とする四国征伐を決定)、羽柴秀吉黒幕説(光秀の行動が細川藤孝から秀吉に筒抜けで結果も秀吉の狙い通り)、徳川家康黒幕説(家康が光秀に信康築山事件を相談)、朝廷黒幕説(帝との月下の会見で重要な示唆あり)、足利義昭黒幕説(鞆の浦に居る義昭に光秀が帰還を打診)、非道阻止説(信長が皇位継承に口出しするという非道)などが並列され、さらに新説として帰蝶黒幕説(信長を化け者に育てたのは斎藤道三:本木雅弘と十兵衛だから、育てた者が始末すべきと帰蝶が示唆=PL法)までが登場しました。結局、信長本人が「月にまで届く木に登り」「不老不死のまま月に閉じ込められて戻ってこれない」という桂男の宿命から解放してほしかったわけですが、それを敢行してくれたのは信長が最も信頼していた明智十兵衛光秀だったのであり、本能寺を取り囲む軍勢の旗印が水色桔梗だと知った信長は「そうかぁ!十兵衛かぁ♪」と嬉しそうに言ったことが象徴的でした。つまり、これは「信長解放説」とも言うべきものであり、驚異の大どんでん返しではありすが、ある意味では誰にとってもハッピーなラストを迎えたと言えます。

 

 

 いや、この後には明智十兵衛光秀にだけは悲劇的な結末が用意されていました。本能寺襲撃事件後に光秀軍と秀吉軍とが激突する山崎の合戦は劇中では描かれませんでしたが、100年にわたって続いた戦に苦しめられてきた駒(門脇麦)や伊呂波太夫(尾野真千子)や望月東庵(堺正章)ら京の民のために、そして戦乱の世を憂い戦が続くのは自分の徳の無さのせいだと思い悩まれてきた帝のためにも、羽柴秀吉(佐々木蔵之介)の軍勢を都に入れてからのゲリラ戦や焦土作戦といった自軍に有利な戦術は使わず、圧倒的な兵数の不利も承知の上で西国街道の京への入り口(山崎)で迎え撃つべく対峙し、そして必敗の戦に臨んで敗れたのです。歴史は勝者が自らの正当性を書き記すものですから、『惟任退治記』のように退治されて当然の悪漢だったと書かれることも十分に承知していたはずなのです。また武士は一般に命(一身の安全)よりも名(死後の名誉)を重視しますが、光秀には死後に汚名を着せられてでも貫くべき正義があり、そのために必敗の戦を最期まで戦い抜いたのです。『西郷南洲遺訓』には西郷隆盛が山岡鉄舟を評した言葉として「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」がありますが、明智光秀は命(一身の安全)や名(死後の名誉)よりも為すべき正義(仁のある君主に世を引き継ぎ、日ノ本に麒麟を呼ぶこと)を上位に置いたが故に、400年以上も汚名を着続けることになったわけであり、だからこそ余計に悲劇性と英雄性が高まったと言えましょう。

 

 織田家中で光秀の与力大名だった細川藤孝(真嶋秀和)と筒井順慶(駿河太郎)は時流を読んだり日和ったりして秀吉側に付き、さらに劇中の藤孝は光秀の態度から秀吉に「(謀反が)あるやもしれぬ」旨を伝える使者を出し、秀吉の中国大返しを成功に導く役割をすら果たしました。そうした働きが真実かどうかは別にして、細川家は江戸幕府の終結まで殿様でありつづけ、今に至ってもハイソな身分(首相まで輩出した)であることは皆様ご存じの通りです。その細川藤孝は元々足利将軍の奉公衆でしたが、足利義昭を奉じて上洛した織田信長と義昭との仲が険悪になると、主を見捨てて信長側につきました。これに対して細川藤孝の兄・三淵藤英(谷原章介)は公方への忠誠を貫いたため、二条城攻防戦に敗れた後は信長から切腹を申し付けられました。この件で藤英は藤孝から「時の流れが読めない愚かな兄」と評価されました。また劇中では三淵が切腹までの間に光秀の居城である坂本城に留め置かれ、その際に光秀の娘・玉(芦田愛菜)が三淵から生け花を教わる件がありました。その前後に三淵が発した言葉は「捨てられる花にも、一度は咲いて見せたという誇りがあるように見える」でした。後に玉は藤孝の息子・忠興(望月望)に嫁いだわけですが、本能寺襲撃事件後は逆臣の娘として丹後に幽閉され、やがて豊臣と徳川が雌雄を決する関ヶ原合戦を前に、徳川方に付いた夫・忠興を守るべく玉は石田三成方の人質にされる直前に大坂で悲劇的な最期を迎えます。その時に詠まれた辞世の歌は「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」というものです。ここに表れている玉の潔さの核となる「捨てられる花」のスピリットは、父が行動で示したもの(逆賊の汚名を着てでも世を正しい方向へ向かわせたかった)であると同時に、おそらく三淵から受け取ったもの(足利義昭に忠義を尽くし、その後の運命をも受け入れた)もあろうかと読み取れるのです。ちなみにルイス・フロイスが『日本史』で玉(洗礼名ガラシャ)を褒め称えていますが、それは玉がキリスト者となったからであり、本来ならポルトガル・スペインの遠大なる(侵略)計画を妨害した明智光秀の娘など絶対に讃えたくはなかったはずだからです。

 

 また、「麒麟がくる」における本能寺の変の原因を論じる上で避けて通れないのは松永久秀が所持してた名物茶器「平蜘蛛の茶釜」です。松永久秀(吉田鋼太郎)は三淵藤英と共に第一回目から登場し、美濃や越前と京とを行き来する十兵衛とは何度も顔を合わせ、信長が起こした戦では共に参陣したりするうちに戦友の関係にもなりました。しかし、松永が根を下ろしていた大和の守護に信長が筒井順慶(駿河太郎)を据えようとしていると聞かされると、足利義昭(滝藤賢一)による信長包囲網の一環として上杉謙信や大坂本願寺と呼応する形で本願寺攻めの陣中から無断で遁走します。そして、京で明智十兵衛と密会した時、茶器集めに凝っている信長が松永の所持する「平蜘蛛」を強く所望しても絶対に渡す気は無いとして、会見に同席した二人と顔見知りの旅芸人・伊呂波大夫に平蜘蛛を預けます。後に織田信忠(信長の嫡男:井上瑞稀)・佐久間信盛(金子ノブアキ)・明智光秀・細川藤孝らが松永の立て籠もる信貴山城を攻めた折、数々の茶器と共に城に放った火の中で松永は自刃しました(平蜘蛛での爆死を期待する向きも多かったようですが、私は火中での切腹が現実的だと考えます)。後に伊呂波が預かっていた平蜘蛛を十兵衛が受け取る際、松永の遺言として「平蜘蛛ほどの名物を持つ者には覚悟が要る」、それは「いかなる折も誇りを失わぬ者、志高き者、心美しき者」だと伝えられました。十兵衛は信長から平蜘蛛の行方を問われた際に一度は知らないと答えましたが、次第に横暴になってゆく信長を十兵衛が諫める際に一点の後ろめたさもあってはならないと思い直し、「名物を持つ者の覚悟」を説いた後に献上しますが、信長は平蜘蛛を粗雑に取り扱いながら「その覚悟とやらも込みで1万貫ぐらいで売れよう」と言い放ちました。ここに至って明智十兵衛は、信長には麒麟を呼ぶ資格が無いと確信したわけです。

 

 ところで、劇中では明智十兵衛光秀こそが麒麟を呼ぶ召喚士だったわけですが、彼が呼ぼうとしていた麒麟は徳川家康(風間俊介)だと思われます。つまり十兵衛は家康こそが治世の権力者として相応しいと判断したわけです。朝倉攻めの折に金ヶ崎で「乱世を終わらせたい」という夢を語り合った時、また武田攻めが終わった時に治世の領国統治の秘訣を尋ねられた時にも、彼に麒麟の片鱗を見出したはずです。だから光秀は、安土に家康を迎えての祝宴では家康に危害を加えそうな丹羽長秀(松田賢二・劇中では家康毒殺を示唆)に饗応役を任せるわけにいかなかったのです。また光秀が本能寺襲撃に至る前に三河の間者・菊丸(岡村隆史)が「十兵衛様のお役に立ちたい」と訪ねてきましたが、家康が堺に居るのは危ないと判断し、家康を守るために堺へ行くように勧めました。特に劇中での言及はありませんが、堺に程近い岸和田には織田信孝を大将、丹羽長秀を副将とする四国討伐軍が駐留していたはずですから、京での異変が伝わるまでもなく家康が丹羽に殺される可能性は十分にあったわけです。おそらく徳川家康は羽柴秀吉や丹羽長秀の手の者に命を狙われながら、菊丸と伊賀者が導いて伊賀越えを敢行し、三河帰還後は豊臣秀吉の天下を横目に力を蓄え、朝鮮出兵や秀次排除などによって豊臣政権の求心力が低下し、秀吉の死によって政権の終焉を確信すると天下取りに動き出しました。そうして家康は、江戸幕府を開いて「大きな国」をつくり、約260年間の治世を実現しました。その間、他国を侵略することはなく、黒船来航までは他国からの侵略も許さず、また江戸期の日本と同時代の英国とを比較した米国の研究者スーザン・ハンレに「庶民として生まれるなら日本人、貴族として生まれるなら英国人」と評せしめるほど、江戸期の日ノ本は幸福度の高い国となっていました。それは明智十兵衛光秀が呼んだ麒麟が長期にわたって日ノ本に滞在したことを意味するでしょう。

 

 ちなみに、日本史上で悲劇の英雄と言えば筆頭に上がるのは源義経ですが、彼が藤原泰衡の裏切りに遭って奥州衣川で討たれた後にも実は生きていて北海道から大陸に渡って英雄チンギス・ハンになったとする俗説があります。同様に明智光秀にも、南光坊天海(徳川家康のブレーン)となって家康の治世を助けたとする説があります。『麒麟がくる』のラストでは、明智十兵衛が生きている噂と「らしき人物」が最後に映るという意味深な映像があったため、そういったスピンオフドラマを期待する向きもありますが、筆者は「美しい花は美しいままに散る方が良い」という立場です。それは「捨てられる花の誇り」(三淵藤英)であり、「花も花なれ」(玉)にも通じるものです。

 

 源義経(判官)にも言及したので、もう少し続けます。日本人の心象には「判官びいき」というものがあり、「勝てば官軍、負ければ賊軍」「勝ち馬に乗れ」「寄らば大樹の陰」ばかりではなく、負けた側にも大義があると考え、精一杯戦って敗れた側にも同情票を入れるような感覚です。日本人が楠木正成や西郷隆盛に同情するのも同様の心情です。では「判官びいき」があるのに「惟任びいき」は無く、現在まで400年以上もの長きにわたって明智光秀の名誉回復への動きが無かったのは何故でしょうか?判官(源義経)と惟任(明智光秀)では何が違うのでしょうか?それは逆らった相手の性質ではないでしょうか?義経が逆らった相手は源頼朝(鎌倉幕府の創始者、内政重視のコミュニタリアン:共同体主義者)ですが、明智光秀が逆らった相手は織田信長(戦国の覇者、新自由主義者、世界に目を向けるグローバリスト:世界主義者)です。すなわち、内向きの源頼朝や徳川家康は嫌われ、外向きの織田信長や豊臣秀吉は好かれるという日本人の骨身に染み付いた感覚が働いたのではないでしょうか。また、おそらく日本史上で最も好かれている坂本龍馬の人気の源泉は、その最期が悲劇的であることと共に、海外と取引する商売人であるというグローバリストの側面(龍馬の先見性の源泉とされる)も大きいのではないでしょうか。このような日本人の感覚は、良いものは常に海の向こうからやってくると信じて疑わない「島国根性」や「海外出羽守」と呼ぶべきものでしょう。要するに日本人の大部分は根っからのグローバリスト(世界主義者)だということです。ナショナリスト(国民主義者)など居ないに等しいのです。

 

 さて、現在はコロナ禍(国境開放の結果としてのパンデミック)ですから、今のところグローバリズム(世界主義)は鳴りを潜めていますが、欧米各国のグローバル企業群は間もなく動き出すでしょう。しかし日本国民は、まるでグローバル企業群の餌食になるのを待っているかのように「緊急事態宣言」を再発令し、「まん延防止措置」として平時まで罰則付きで自粛を強要できる改悪も行い、永久自粛の様相を呈しています。過剰自粛によって自殺者やDV・虐待の被害者がどれだけ増えようとも、自粛明けの庶民生活が外資のグローバル企業群に蹂躙されようとも、自分さえコロナにさえ罹らなければ他の全てを是認しているかに見えます。

 

 明智十兵衛のような仁のあるナショナリスト(国民主義者)は日ノ本から絶滅したのでしょうか?もう日本に麒麟が来ることは無いのでしょうか?それ以前に、本当に我々は戦乱の世を戦って生き抜いた人々の子孫なのでしょうか?風邪症候群に毛の生えた程度の雑魚ウイルス(新型コロナ)に怯え、「一身の安全」のみを願って集団で引き籠る我々とは一体…。多くの未来ある若者が過剰自粛のせいで自殺に追い込まれても、外資グローバル企業の提供するワク チンを複数回接種するまでは自粛させておけと宣う御仁らは「死後の名誉」など気にしたことも無いのでしょう。ましてや命も名も要らぬナショナリストという存在は絶えて久しく、斯様な仁なき現代日本からは麒麟も後足で砂を蹴り上げつつ猛スピードで遁走していくことでしょう。

 

 

  「えんとつ町のプペル」は、キングコングの西野亮廣が映画化を想定して書いた絵本が原作のアニメ映画です。作劇の構造が重層的であり、各階層に深いテーマと論点を孕んでいると感じられました。

 

(以下ネタバレあり)

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 本作の舞台である「えんとつ町」の住民は「普通」から外れてはならず、「異端」と判断されれば異端審問官に捕らえられ罰せられます。「えんとつ町」における普通とは、町を囲むように斬り立つ崖があるために外に出られず上空を覆う煙のために空や星が見えないという町の現状に疑問を抱かないことを意味します。疑問を表明するなどして秩序を乱す者と判断されれば排除されるわけです。全体主義的な恐怖政治が敷かれているとも言えるわけですが、町の支配者が既に15代目ということもあり、住民たちの多くは所与の前提条件として受け入れています。

 煙突掃除の仕事に従事するルビッチには仕事仲間はいても同年代の友達がいませんでした。上空を覆う煙の向こうに空があり、星が見えると信じているからでした。そんなルビッチに、ハロウィンの夜に出来た最初の友達がゴミ人間プペル(ルビッチがブルーノの紙芝居にちなんで命名)でした。ちなみに、えんとつ町におけるハロウィンとは外の世界に興味を持った者を食うとされる海の化け物を畏怖させる目論見から成立した祭ですが、今では単に若者がコスプレして歩く渋谷みたいな状態です。これは古代ローマが市民を満足させるために用意した「パンとサーカス」のサーカスだと言えましょう。さて、ゴミが意志を持って動き出すなどということは、科学が支配する我々の世界でも異常事態ですが、「えんとつ町」においては単に秩序を乱す「異端」とされるようです。ルビッチを仲間として受け入れている煙突掃除人たちの頭目ダンはゴミ人間プペルを匿い、掃除人たちの作業着を仕立て直す仕事も与えました。

 ルビッチが煙の向こうに星が見えると信じるに至ったのは、亡き父ブルーノが街頭で興行していた住民の知らない真実を伝える紙芝居の内容からです。それは、壁の外にも世界が広がっていて、上空を覆う煙の向こうには空と星があるというものでした。やがてルビッチは、プペルをゴミ収集車から救い出す時に出会った盗賊のスコップが亡き父とともに空の向こうを目指した仲間だと知り、スコップが鉱山盗掘の際に使う爆薬で煙を吹き飛ばして星の存在を証明したいと願うようになります。ゴミ人間プペル、亡き父の仲間スコップ、母ローラ、ダンを始めとする仕事仲間、姉代わりの理解者ドロシー、そして最初はルビッチを快く思っていなかった同年代の友達らの協力も得て、異端審問官の手を逃れながら、煙に覆われた上空まで行けるよう熱気球につないだ舟で爆薬を運ぶべく浮上します。ちなみに、この舟こそが亡き父も乗ったもので、ハロウィンの起源となった海の化け物の正体でもありました。さらにプペルは父の遺志が込められたブレスレットを核として誕生したことも明らかになります。そして、とうとう爆薬が煙を吹き払い、崖の間に覗く空に星が見えたのです。それは15代にわたって街を支配してきたレター政権が終わったことを意味します。

 しかし、ここで「えんとつ町のプペル」の世界観に底流する裏側に目を向ける必要があります。レター家が崖に挟まれた土地に町を作り、外界から見えにくくするように何本もの煙突から煙を巻き上げ、住民にも「町の外には世界は無い」と信じ込ませ、町の外に出ようとすることを防がねばならなかった理由です。まず「えんとつ町」で流通する通貨は、レター政権の中央銀行が発行する貨幣「L」であり、これは次第に劣化していくために溜めておけない性質があります。溜められないから使うしかなく、ゆえにカネの流れる速度が早くなり、結果として経済は活況を呈します。また煙突の維持・管理という公共事業によって完全雇用が達成され、煙突掃除の仕事が町の賃金の基本ラインを決定しています。これは金融政策と財政政策が噛み合ったケインズ主義やMMT(現代貨幣理論)と呼ばれるものが上手く働いた状態です。さらに溜めたカネの多寡による貧富の格差も無いわけですから、レター政権の官僚であるとかの特権的な社会的地位の他は平等が実現されていることになります。「L」の流通により「金は天下の回り物」「宵越しのカネは持たない」という江戸っ子気質が定着すれば貧困問題も解消されます。持っていても使えなくなるのですから、その前に使い道のないカネで他人におごったり持たざる者に施したりということが常態化するからです。このような経済状況は「パンとサーカス」の「パン」に当たります。ルビッチの父ブルーノがカネにもならない紙芝居の口演に興じていられたのは、「パン」が保障されていたからだとも言えます。しかしながら、このような状態を快く思わない人種は必ずいます。ちなみに「L」はレター家の頭文字でしょう。

 「えんとつ町」を作る前のレター1世は開かれた外の世界で「L」を発行していましたが、不都合な存在として資産家に操られた世界の中央銀行によって抹殺されました。ゆえにレター2世は崖に囲まれた土地に「えんとつ町」を建設して鎖国したわけです。この独裁国家で革命が起こらなかった理由は経済の活況と高度な平等性による住民の幸福度のお蔭だと思われます。「レター家の15代目」「鎖国」「カネは天下の回り物」「宵越しのカネは持たない」…これらの語を効果的に使って論じてきた理由は、えんとつ町とは江戸時代の日本をモデルとしているからです。つまり、この「えんとつ町のプペル」という作品は、幕末日本のように砲艦外交という侵略的外圧で開国したのではなく自由を夢見た住民が内発的に開国させた物語であり、かつて植民地獲得競争に励んでいた元欧米列強国にとっては真に都合の良い話だと言えます。また、CO2温暖化説を信じる向きにも「えんとつ町」の煙突を止める話は評価が高いでしょう。そして、緊縮財政を強いてグローバル企業群に利益供与したいグローバリストからも当然ながら高評価です。つまり欧米の識者からは100点満点の評価が付くはずなのです。

 さて、ココで考えていただきたいのです。確かに「えんとつ町」には異端審問官が跋扈し、自由な発言や活動が制限されていますが、「自由が無い」とか「星が見えない」とか暢気なことを言う者は居ても、経済的な苦境のために自殺する者はおらず、例えばルビッチをサンプルに取れば、父を亡くし母に障害があっても日々の暮らしに困らない程度には煙突掃除の仕事で稼げています。しかし、このことを現代日本に引いて考えれば、コロナウイルスの蔓延を防ぐという大義の下に経済・社会活動が極端に制限され、コロナは怖くないという真実の意見は「普通」ではない「異端」として排除され、自粛警察という名の異端審問官も跋扈し、その過剰自粛のせいで経済的な苦境に陥る人が数多おり、そうした悲劇の多くは女性や子供など弱い立場の人に遍在していきます。しかも、30年以上も前からの緊縮財政によって貧困層が傷めつけられているという土壌が出来ていた上に、この度のコロナ「自粛」禍が起こったのです。従って、全体主義および貧困という2つの指標で「えんとつ町」と現代日本における住民の幸福度を比較すれば、圧倒的に「えんとつ町」に軍配を上げざるを得ないでしょう。

 さて、レター家による一系支配という旧弊を打破した後の「えんとつ町」がどうなるかも考察してみましょう。崖の間につくられ煙で隠されていた「劣化貨幣・L」の流通する国家が、世界中の資産家・資本家と世界中央銀行の知るところとなれば、世界機関を差配する大国の圧力により「L」の発行は禁止され、外国資本の企業が「えんとつ町」の経済と住民の生活を蹂躙し、原住民と移住者との間に貧富の格差が現出および拡大し、カネの多寡が人の価値を決定するようになり、「L」の流通によって成り立っていた「えんとつ町」の住民の幸せは消滅し、以後の町では民が塗炭の苦しみを味わい続けることになりましょう。そして後世の歴史家は言うでしょう。貧困と不平等を克服した奇跡の楽園国家「えんとつ町」を滅ぼしたのは革命家ルビッチと盗賊スコップだったと。

 この作品が国内外で評価されればされるほど、グローバリズムや緊縮財政、そして管理社会や全体主義が猖獗を極め、その二重支配から抜け出しがたくなっていくものと思われます。コロナ(自粛)禍と言う全体主義に苛立つ人々に響くテーマが本作「えんとつ町のプペル」にあったとしても、畢竟それは外国資本が日本を支配する改革へのショックドクトリンとして作用するはずなのです。