井上達夫氏、伊勢崎賢治氏、田原総一朗氏というリベラルの著名人3人の鼎談本「脱属国論」を読了しました。大変面白い内容でしたが、若干の懸念もあります。それについては後ほど触れます。

 


 まず、この3人は程度の差こそあれ全員リベラルなのですが、全員改憲論者なのです。それは、日本国憲法9条を護持している限り米国の属国から脱却できないと解っているからでしょう。しかし、3人それぞれの認識に若干の混乱が見られました。例えば田原氏は、改憲論者を自認しながらも思想性は左翼的で反戦平和の思考からも脱することが出来ていないように見えます。鼎談中も井上氏・伊勢崎氏によりリアルな観点から突っ込まれることが多かったわけですが、もしこれが問題を浮かび上がらせるための田原氏の技術だったとすれば見事と言うほかありません。また伊勢崎氏は、各国に駐留する米軍を位置づける地位協定は日本に対するものが特に差別的だから、地位協定の国際比較により改めさせることが可能だとしています。しかし井上氏は、地位協定の互恵性に注目し、自衛隊が米国に駐留することを想定した場合、「戦力を保持しない」という9条2項があるため戦力未満で戦闘を行えないはずの自衛官の戦争犯罪を罰する法律を作れず、そのため地位協定の互恵性も成り立たず、従って憲法9条を変えなければ地位協定も変えられないと言います。私もこちらの方が正しいと考えます。しかも現在日本政府は、自衛隊が駐留するジブチとの間に地位協定を結んでおり、自衛官が犯した戦争犯罪(ジブチの民間人を誤射するなど)を裁く権利をジブチに放棄させていますが、上記の理由で自衛官の犯罪を裁くことが出来ません。井上氏はこれを「外交詐欺」だと言います。これにも完全に同意です。
 安倍政権が進めている改憲は属国の度合いを高めるものだということは3人とも解っています。安倍政権の筋の悪い改憲に対して9条護憲では戦えないこともよく知っています。だから井上氏と伊勢崎氏は立憲民主党の山尾志桜里氏の「立憲的改憲」を推しています。立憲的改憲の9条改正案は、これまで放置されてきた日本国憲法9条と自衛隊との矛盾や欺瞞を排し、自衛隊を戦力と認めた上で統制する条項を入れて縛るというものです。
 憲法を巡る政治的主体を4つに分類すると以下のマトリックスのようになります。日本国憲法9条を護持したまま米国から独立するという第一象限は、憲法9条と矛盾する自衛隊を解散した上で非武装中立を宣言する行き方がこれに当たります。しかし実現可能性を考えれば第一象限は存在しません。従って現在の日本の政界には、党や政策集団では従属維持派の左派(共産党・社民党・立憲民主党・国民民主党…)と従属維持派の右派(自民党・公明党・維新の党…)しか存在しません。独立に向かう勢力は党としては存在せず、9条2項削除を唱える石破茂氏か立憲的改憲を構想する山尾志桜里氏のみということになります。れいわ新選組の山本太郎氏は「対等な日米関係」を政策として掲げてはいますが今のところ判断が付かず、山本氏の古巣である自由党も憲法改正に関するスタンスは不鮮明です。

              独立
                ↑    石破茂
       山本太郎? | 山尾志桜里
                |
                |自由党?
   護憲←―――――+―――――→改憲
        立憲民主  |従来の自民
         国民民主|
      共産・社民     |公明・安倍自民
                ↓    維新
              従属 

 さて、前述した「脱属国論」共著者に対する懸念ですが、それは田原総一朗氏と井上達夫氏にはグローバリストの疑いがあるということです。当ブログではグローバリズム(世界主義)とナショナリズム(国民主義)は対立概念だと規定してきたわけですが、憲法改正のような国の形を根本から変える事象にグローバリストが関わるのは危険だと考えるわけです。田原氏はグローバル経済を到来させた小泉純一郎氏の改革を高く評価していますし、井上氏はリベラリストとして移民受け入れ論者を自認しています。リベラリストは、人権とは人間に生まれながらに備わるものと考え、また同じ人間なのだから自分が嫌だと感じることを相手に強要してはならないと考えます(反転可能性)。従って貧しい国に生まれた人が貧困から脱出したいと言って移民を希望してきた際には積極的にこれを受け入れるべきだと考えるわけです。

 しかし、この考え方は安い労働力を常に確保しておきたいグローバル企業によって利用されることになります。そして無制限な移民の受け入れは必ず政治・経済・社会・文化の各方面に不安定化および破壊をもたらします。欧州で頻発するイスラム系移民によるテロはこのような文化摩擦の典型です。また、昨今の日本企業による外国人労働者の非人道的な扱いを例示するまでもなく移民の人権は守られることはなく、やがて移民受け入れによる賃金低下圧力が限界を超えた時には邦人の人権も守られなくなります。端的に言えば、内外の企業に掛けられた規制を撤廃させて外資の儲けを最大化することが新自由主義経済の目的なのですが、リベラリズム(自由主義)はごく自然にネオリベラリズム(新自由主義)に転化し、それはグローバリズム(世界覇権主義)の経済的側面なのです。我々が属国からの脱却を目指す目的の一つは、利潤のために弱者から搾取して人権を侵害するグローバル企業の改革要求(TPP・日米FTA・日欧EPAなどに伴う改革)を拒否することにあるわけですから、リベラリストの主張は完全に自己矛盾に陥っていると言わざるを得ません。

 「脱属国論」の共著者3人の立場を図示すれば以下のようなマトリックスになるでしょう。

            ナショナリスト
                 ↑
                 |
                 |
          伊勢崎 |
 リベラル←―――――+―――――→保守
                  |
         井上     |
       田原       |
                 ↓
           グローバリスト 

 

 上記のような懸念点に留意していただくなら本書の鼎談は非常に刺激的であり、属国状態を脱するヒントも随所に散りばめられた鼎談本ですので、ぜひ御世替わりを挟む10連休中に一読していただければと思います。