日本が国際捕鯨委員会(IWC:International Whaling Commission)を脱退したことは、私は良いことではないかと考えています。その理由は、捕鯨委員会を名乗る国際機関が事実上完全に反捕鯨委員会(Anti-whaling Commission)となっていたからです。また、反捕鯨という思想は宗教が絡んだイデオロギーである可能性が高く、そこには大国の国際覇権戦略と多国籍企業群の商売が密接に関わっていると思われるからです。
 キリスト教には、羊、牛、豚…など家畜動物は民の食用として神が与えたという考え方があり、その反動からか野生動物は保護しなければならないと考えるようです。また擬人化され得るペットも愛護の対象となります。従って、野生でしかも知性が高そうに見え、擬人化され得るクジラやイルカは愛護の対象と考えるわけです。しかし、スポーツとしてのハンティング(狩り)で鹿やウサギなどを狩る人は、その行為や狩った動物の肉を食うジビエ料理には特に矛盾を感じていないように見えます。要するに鹿権や兎権は認めないが、犬権や猫権と並んで鯨権は認められるべきだというわけです。
 では改めて問いましょう。何故、捕鯨が批判されねばならないのでしょうか。いや、問い直しましょう。米国アラスカ州のイヌイットの捕鯨は認められるのに、北欧捕鯨国の捕鯨も認められるのに、何故キリスト教国でもない日本にキリスト教の価値観が押し付けられ、日本人の行う捕鯨だけが猛批判に晒されるのでしょうか。
 その前に日本の捕鯨の科学的な正当性を言っておかねばなりません。水産庁の漁業白書にはこんな記述があります。「我が国やノールウェーの鯨類捕獲調査(調査捕鯨)で、この食物連鎖の一番上にいる鯨類が、サンマ、サバ、イワシ、スルメイカ、ニシンなど漁業の対象魚を想像以上にたくさん食べていることがわかってきました。たとえば,体長7.5mのみんくくじらの摂餌量は、北太平洋では1日当たり131~186kgと推定され、多くは主に魚介類を食べていると考えられます。他方、ミンククジラやマッコウクジラなど従来から資源量が健全であった鯨類が、商業捕鯨の一時停止措置(モラトリアム)により、大幅に増加しています。日本鯨類研究所が試算したところ、世界の鯨類が1年間に食べる魚などの量は、2.8~5億トンと、世界の海面漁業の漁獲量(養殖を含めて約9,000万トン)の3~6倍にも達しています」

 


 つまり、このまま資源量が豊富な種類のクジラを捕らない状態が続くと、海洋に生息する食用魚が滅びてしまうのです。しかし、魚もクジラもともに野生生物であるとはいえ、知性の低い魚権よりも知性が高い鯨権が優先されると思われます。従って、養殖魚以外の魚が全滅したとしても、反捕鯨というイデオロギー運動が優先されていくのではないかと危惧されます。その先に待ち受けているのは何でしょうか。まず当然ながら漁業国の食料調達の危機が到来します。いくら漁獲量制限の厳格化が徹底されても、野放しにされた食物連鎖の頂点(クジラ)により魚が食い尽くされ、希少価値が増した食用魚は乱獲にも晒され、間もなく全滅するからです。当然そうなる前に国際(反)漁獲委員会(IFC)のようなものが立ち上がり、漁獲は極端に制限されるはずです。すでにマグロなどの漁獲規制にその兆候が現れています。また海の生態系の変化は当然魚以外の水生生物にも及び、海は食料を生産し調達する場所でなくなり、やがて生態系などの変化から養殖も不可能となります。日本の漁民および魚食民族である日本人の生存権(人権)より鯨権や魚権が優先される事態はこうして進行するはずです。これは日本人を対象にした人種差別と言うべきでしょう。そして、このような事態になって最も得をするのは畜肉業界とアグリビジネスであり、結局グローバル企業の商売が最優先されるのです。現在最も先鋭的な反捕鯨国はアメリカとオーストラリアですが、この二ヶ国はどちらも畜産大国・農業大国であり、国産環境団体グリーンピースや反捕鯨団体シーシェパードの最大のスポンサーでもあります。
 『日本が売られる』(堤未果・幻冬舎新書)によれば、法改正により日本の漁業協同組合が解散させされ、それによって漁師の生活の安定装置が失われ、漁師が手放した漁業権は外資を始めとする民間企業に売却され、また「築地市場の移転」に象徴されるように卸売市場という価格調整装置も破壊され、魚という日本の伝統的食材への市民のアクセス権はどんどん失われていくようです。当然これらは全て、日米FTAや日欧EPAといった国際協定の締結に向けた国内法整備の過程で起こってくる事態です。つまりこれは、貿易と投資に関するルールを巡った欧米諸国による対日戦争の一環というわけです。やがて健康的な魚食は世界の富裕層にのみ許された贅沢となり、日本におけるタンパク源と言えばアメリカンビーフかオージービーフが主流となっていくでしょう。さらに言えば、ベジタリアンやヴィーガンと言った高尚な食事が許されるのも、ハリウッドセレブのような富裕層のみということになるでしょう。TPP11、日米FTA、日欧EPAにより日本国民の貧困化が加速し、高齢者ばかりがカネを持つ高齢社会の日本において、「老人こそ肉を食え!」というキャンペーンも既にかなり浸透しています。肉食によって健康を害せば、外国人移民ばかりを雇う劣悪な環境の病院や介護施設(いずれも外資)が待っており、なけなしの年金を搾取されることになるのではないでしょうか。日本人の捕鯨を認めない背景には、以上のような世界覇権国に蝟集する権力者たちの思惑が隠れているわけです。

 


 最後に菜食についても一言触れておくべきでしょう。ベジタリアンの一種ヴィーガンは動物愛護思想を源流とする絶対菜食主義です。ゆえに、魚がクジラの餌となっているなら、クジラのためにも魚のためにも全ての漁獲を完全に禁じるべきだと言いかねず、さらにはクジラが魚を食い尽くして滅びる可能性があったとしても、愛護の対象としてのクジラだけは守れと言いかねません。つまりベジタリアンやヴィーガンも富裕層の選民意識を満たすステイタスの一種となっている可能性があるわけです。また一切の動物性タンパクを摂らないためならば、グローバル・アグリビジネスが開発した遺伝子組み換え大豆ミートでも食うべきだという本末転倒な主張を唱え、それを世界に向かって発進し、普及啓蒙していく可能性さえあります。このように世界を一色の価値観で染め上げるイデオロギーは様々な多様性を抹殺していくのです。リベラル派はそろそろグローバリズム(世界を覇権国の価値観に染め上げて統一ルールをつくるべきだというイデオロギー)に無批判な姿勢を改めるべき時ではないかと考えます。