私の人生振り返り記事を
Reスタートしています
昨日からReスタートしたことがもう一つ。
それは、朝のジョギングです。
夜はよく走っていたんだけど
朝は弱いからムリかなって
はじめから朝に走る考えを捨てていました
30分~60分位走るのですが
体が温まり1日中動きやすくなるので
おススメです
それでは
「Episode 2」Reスタート
おっと、その前に前回記事読んでない。
という方は
Episode 1からお読みいただけます
大阪でスタートした父と母の間に私が生まれ
2歳半になった頃、父が兄弟と一緒に工房で
自営をすることになったために父の実家がある
埼玉県へ引っ越したチョコ家。
父3兄弟は生まれ育った家の一角に工場を作り
ガラスレンズ切断の下請けをはじめました。
工場へ行くとガラスを切断するウィーンという音や
何の匂いか分からないけどいつも素材の匂いがして
お父さん仕事してるんだな~って思いながら
おばあちゃんの所で遊んでいたのを思い出します。
母は大阪から埼玉への引っ越しが不安で一杯。
「嫌だったけど仕方がなかった」とよく話していました。
心配性の母だから身内もいない、言葉も違う埼玉で
生活することは外国に引っ越すのと
同じくらいの感覚だったんだと思います。
母の身になって想像すると
胸がギューって掴まれる思いがします。
母は5人兄弟の真ん中に生まれ
母以外は男の兄弟。
女兄弟がいなかった事にも
「孤独」を感じてました。
お母さん寂しかったし
味方が欲しかっただろうなって思います。
寂しいという気持ちと、負けたくない気持ちが
母の中で戦っていたんだろうなと。
さいわい近所には私と同じぐらいの
子どもが多く、たくさんの友達と遊びました。
母も私を近所の子たちと遊ばせながら
井戸端会議。今でいうママ友を作っていきます。
ちらしずしを作ったらご近所におすそ分け
炊き込みごはんを作ったらご近所におすそ分け
そういうことをよくしていましたね。
そしてお返しに何かを頂いてた。
そういう時の母は楽しそうでした。
親子ですよね~。
私も母と同じ事してます。
パンを作ったら近所へおすそ分け
ケーキを作ったら近所へおすそ分け
一度にたくさんできるしね。
出来上がったことが嬉しくて
誰かに関心を持ってほしかったからかな。
そんな気がする。
母もそうだったのかもしれない。
家は古かったけど集合住宅ではなく
母の希望通り6畳と4.5畳2間がある
家を借りていました。
そういえば、お風呂が怖くてね
お風呂の床はコンクリート
すのこを敷いて洗い場にしてて
すのこの隙間から見えるコンクリートが
めっちゃ恐かった~
トイレもお化けが出てきそうな雰囲気で
ひとりで行けなくて、「付いてきて」とよく頼んでました。
恐いといえば
小さい子ってよくお昼ねしますが
私は昼寝の時怖い夢?
見ていたことがあって
人が出てくるわけでもないし
何なのか説明はできないんだけど
とにかく恐くて泣きながら
目を覚ますことが多かったんです。
でもそのたびに
「何で泣くの!
昼寝して泣くなら寝るのやめなさい!」
って怒られてたんです
でも本当に怖かったから
いつも怒ってる母に抱きついてました。
ヨシヨシってして欲しかったなあ。
守ってもらえる感覚が欲しかった。
と今気付く当時の気持ち。
子どもの時は母の怒る顔と
大きな声が恐くて
自分の気持ちに気が付くことも
できなかったんだって思います。
この「母恐い」は
この先エスカレートしていくのですが
それはまた明日に続きます。
よかったらまた読みに来てくださいネ