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夏真っ盛りの暑い暑いときに書いたブログ下矢印

 

お盆の長期ワーク時に感じた、

「浄化」

のエネルギーを、体験しています、

というようなことです。

 

そのころ、

浄化、そして昇華、

のエネルギーを感じていたのですが、

私にとっては思いがけないことが起こりました。

 

関東にいる妹夫婦が、うちの近くの実家に帰ってきているとき。

ご飯の準備に、私も実家へ手伝いに行っていました。

 

下ごしらえが終わり、

母はお風呂へ、妹は休憩~と言って2階へ、

そして父は、先にご飯を食べる、

というばらばらの時間てへぺろ

 

私は・・・

父がご飯を食べている前で、お茶を飲みながらのんびりすることにしました。

 

父といえば、この時代の無茶苦茶な・・・タイプ・・・

ねっ。笑

気に入らないことがあれば、怒鳴る、たたく…という昭和の人でした。

 

そんな父だったので…感情の出し方が分からなくなる…

という子になったのは、私です^^

 

小さい頃の写真を見れば一目瞭然。

1歳ころの私はよく笑っているのに、幼稚園ころから高校までの写真は、笑っていません。

 

中学の時に習い始めたピアノで、

先生に、

「感情を出して弾いてルンルン

と言われても意味が分かりませんでした。

感情はてなマーク

曲にはてなマーク

って、はてなだらけでした。

妹は、要領がよく、父と似ているところもあるので、

父の怒りに触れることもあまりなかったように思います。

 

私が結婚して「母」になってからも、

父のその性格は変わりませんでした。

私だけではなく、子供たちにも訳の分からないことで怒ったり。

子供たちが小さなころですが、

それに我慢が出来なくなった私は、

ついに切れちゃいました爆弾

 

私が体調を崩して実家で子供たちとお世話になっていた時です。

また父が子供に、理不尽なことで怒鳴りだしました。

私、思わず、怒鳴り返していました。

 

一度そうなったら私も止められず…

かといって、父が静かになるはずもなく、

逆にヒートアップアップ

暴力で私を従わせようと、小さいころのように暴れだしたのを、母が止める。

ご近所迷惑だっただろうな~あせる夜だったし…てへぺろ

 

その真っ只中、

夕飯を食べに、仕事帰りに実家に寄った夫に、

そのまま車で連れて帰ってもらいました。

 

そこから数年、父とは一切関わらない時期がありました。

 

その後、妹の結婚が切っ掛けで和解しましたが、

それからは、ちようど良い距離感で、

結構仲良くやってます音譜

 

父は、私が暴れたことで、

私や子供が、

「圧力で自分の思う通りにはならない」と、

やっと理解してくれたのだと思います。

 

ここまでは、前置き。

すみません、長くなってしまって<(_ _)>

 

そんな父が、その夏の日、晩酌をしながら、

自分の子供のころのことを話し始めました。

 

初めは、自分が食が細いのは、貧乏で、ご飯を少ししか食べられなかったから、という話からでした。

 

もともとは、父の母、私の祖母は色々財産を持っていたけれど、

父の父、私の祖父が遊びで使い切ってしまい、

物心ついた時には貧乏だったこと。

祖父と祖母は、父が小さなころに離婚しているのですが、

離婚を聞いた時にはホッとしたこと。

小学生の頃はお弁当を持っていけなかったから、お昼休みには、一人でいつも土手で過ごしたこと。

父の兄弟6人は、自分も含めて、自分のことしか考えない人ばっかりなので、小さなころから今も、仲は良くないこと。

自分も嫌われていたんだろうな、とも。

色々なことを話してくれました。

知らないことも、いっぱいありました。

 

そして、急に、

「ごめんな~」

と謝りだしたんです。

「ちっちゃいときは、むちゃくちゃなことして、ごめん」

って。

自転車の練習を、嫌がるのを泣きながらさせた、

とか、

オルガンの練習を、少し間違えただけで手を叩いた、

とか。

確かに、私はオルガンには、痛い思い出しかなくて…

上のクラスへ行くかどうか聞かれた時には、すぐに「辞める」と言ったらしいです(笑)

弾くのは好きだった、でも叩かれるのは、嫌!!

だった。

 

なので、私も気軽に、

「そうそう、嫌やったわ~叩かれながらオルガン弾くのは~」

とか答えてたんですがね。

それに、本当に苦しかった本質は理不尽なふるまい、なのですが、

音信不通明けの関係性は、まあまあ心地よい距離感で、気持ちの余裕もあったのでね、気軽に。

 

そうしたら…父が泣き出して汗汗汗

泣く人ではない父。

そんなにお酒も飲んでいないのに。

でもずっと、泣きながら、

「ごめんな~」

って。

 

あらあら。

その時期、浄化のエネルギーをひしひしと感じていたけれど、私には、こういう形で出てきたのか~

と思いながら、

そういうのは嫌だったけれど、

愛情をしっかりくれていたのは、今になってわかるよ。

と、父に伝えました。

 

まだ泣いている父でしたが、

母がお風呂から上がってのほほんとこちらへ来たので、

そのまま父は、食事に戻りました。

 

こういう浄化、トラウマ開放もあるんだな…

と思いながら、ふと気づいた自分の身体症状がありました。

 

長くなったので、続きはまた^^

 

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