ゴールデンウィーク後半、石巻へ行ってきました。
このプロジェクト ↓ のお手伝い。
今回の東日本大震災で、
友人の知り合いのKさんが、石巻で被災されたのです。
ご家族3人の命は助かったものの、建てたばかりの家を津波と火災で丸ごと失ってしまいました。周りには同じように全てを失ったご家族が沢山いらっしゃるそうです。
Tinaも含め、被災された方々のために「何かしたい」と思っている人は多いはず。そこで、全国の皆さんの「何かしたい」という気持ちをお届けするためにに立ち上がったのがこのプロジェクトです。
被災した方々に、今、現地で必要なものを具体的にリストアップしていただき、それをアナウンス、その結果届いた物資の「お届け会」を実施するのです。
4月29日に第1回お届け会が実施され、Tinaたちは第2回お届け会のお手伝いに行きました。
5月3日、7:00に東京駅集合し、総勢10名の仲間で仙台へ。
復旧したばかりの東北新幹線は満席でした。
9:30に仙台に到着し、早速レンタカーで石巻へ!!
GWはものすごい渋滞とかで・・・渋滞が若干心配なTinaたち。
が・・・普段の行いが良いのか??
松島の辺りで少し渋滞した程度で、思いの外順調に流れ、12:30には石巻に到着しました。
石巻に入ると、
海水で錆び切った車、
歩道に山積みにされた家財の山、
津波で割れた店舗のガラス、
テレビで見ていた光景が、実際に自分の前に広がります。
石巻の方々にとっては、この光景が今の日常であり現実。
そこに、映像では伝わらないもの・・・。
「臭い」が加わります。
何とも言えない、鼻にツンとつる臭い。
これが「ヘドロの臭い」なのでしょうか。
本当に厳しい現実です。
この日の仕事は、翌日のお渡し会の準備。
プレゼント物資のお渡し会は、ペガサス薬局さんをお借りして行っています。
薬局さんも津波の被害にあってしまい、商品はすべて水につかってダメになってしまいました。
店舗の一角で薬局業務も継続していますが、空いてしまっているスペースを貸し出して下さっているのです。
届いた物資は30箱以上。
段ボールから出し、仕分け、陳列をします。
この作業が思いの外大変。
Tinaたちは10名の大所帯だっただめ、比較的短時間で作業できましたが・・・。
「石巻の避難所で、支援物資の仕分けが出来ず、22万箱が手つかず」
というニュースを耳にしたことのある人も多いと思います。
実際にやってみて、仕分け作業というのは本当に時間のかかるものだということが分かりました。
余っているわけではないのです・・・。
物資を求めている人がいる。
求められている物資もある。
それなのに、仕分ける人がいないという理由で、必要としている人とのころに、必要とされているものが届かない現実・・・。
仕分けの問題以外にも、避難所では、例えば避難されている人が801名いたとして、送られてきた物資が800個しかなかったら、公平の観点から全く配られないという現実もあるそうです。
実際に作業してみて、もうひとつ分かったことがあります。
それは・・・支援物資として送るものに対する意識の違い。
このプロジェクトは、今のところ、「知り合いの知り合い」くらいの狭い範囲で実施しているにも関わらず、シミのついた洋服や、かなり使用した感のあるタオルや靴下などが一部混じってしまっていたのです。
顔の見える範囲の支援ですらこのようなことがあるのなら、もっと公に集めているものの物資の質は容易に想像できます。
「衣料品は新品以外不可」という制限がなぜされるのか、ようやく理解・・・。
一緒に行った仲間から聞いた話では、ある避難所では、カビの生えたブーツが送られてくるようなこともあったそうです。最初は送り主に断ってから廃棄していたものの、とても追いつかなくなり、今ではそのような物資は断らずに廃棄しているとのこと。そんなカビてるブーツでも、廃棄する旨を送り主に連絡すると「私の善意を無駄にして!!」と怒られてしまうんだそうです。
カビが生えているなんていうのは問題外ですが、Tina自身も、果たしてこれは物資として提供するにあたり失礼にあたらないか??という判断にはとても迷いました。
Tina的にOKでも、「私だったらこれはNG」と思う人もいると思います。判断は人それぞれ。
洋服を見ながら
「私にはちょっときつくなったけどまだ着られるなぁ」
「でも、何度か着てるから・・・物資として失礼??」
など、悩みまする。
でもでも、やっぱり最低のラインってあると思うな~。
洗濯すれば落ちるような汚れをつけたまま送ってくるって、とても悲しい・・・。
そんなこんな、いろいろな気付きがありました。
作業が終わり、夕方、Kさんのお姉さんが被害が大きかった地域を案内してくれました。Kさんが、「流された家があった場所を是非見てほしい」と言って下さったのです。
Kさんは、ご自身の経験から
「津波警報がなったら、とにかく高台の鉄筋の建物に逃げて欲しい」
ただそのことだけをTinaたちに伝えたいという思いで、ご自分の悲しい思い出の場所を、わざわざ見せてくれる決心をしてくれたのです。その思いに感謝・・・・。
途中、仮遺体安置所を通り過ぎました。
遺体が土葬され、その上に花が置かれているだけ・・・。
この時代に、震災から2カ月経っても、多くの方々が未だにこのような状態で安置されているというのは、信じられないことです。
復興に向かって・・・というニュースも多くなってきましたが、まだ震災の時のまま、時間が止まっている人たちも沢山いるはず・・・。
沿岸部に近付くと、家は度台しか残っておらず、道がどこにあったのか分からない・・・。
そんな光景が広がってきます。
自分の目で見て、空気を感じると、
ここに日常があったこと、
その日常が一瞬で壊れてしまったこと、
それが情報としてではなく、
そこに暮らしている人々の息づかいとともに、
現実のものとして迫ってくる感じがしました。
この日、Tinaたちが感じたこと。
「頑張るのは私たち。
被災した方々には、ただ健康で暮らて欲しい。」