愛、慈悲のときめき、輝き、きらめきの世界

 

世界すべてがときめいている

世界すべてが輝いている

世界すべてがきらめいている

 

(朝のときめき)

明け方の三日月と宵の明星

静けさの凛とした空気、そよぐ風

椿の赤い花びら ときめいている

風の中のムクドリ 輝いている

すれちがう犬のまなざし きらめいている

 

(条件つき思考のない世界)

条件つきの思考が働かない世界

ただ、ときめきばかり

ただ、輝きばかり

ただ、きらめきばかり

 

条件つきの思考すら

無条件の愛を感じて、ときめいている

根源の愛を感じて、輝いている

無限の愛を感じて、きらめいている

条件つきの思考は、思考のない愛の世界へいざなっている

 

今の一コマが普通の一コマが、輝いている

普通の一コマしかないのに、すべてきらめいている

だれと会っても、ときめいている

好き嫌いの感情が消えると、ときめきしか残らない

こんな世界があったとは

 

特別のことではないのです

今、この瞬間が美しいきらめきのとき

今、ここが輝くときめきの場

 

(さえぎる思考という幻想)

ときめきばかりと感じるのは、さえぎる思考が起こっていないからなのです

思考が宇宙、自然におまかせしていることなのです

 

さえぎる思考が起こっていないのは、起こさないように努力をするのではなく

すべてはただ起きているだけと受け取るところに、思考は消え、愛の中だったと知らされます

愛は思考では考えられないようなとっても強いものなのです

愛は太陽の比ではないのです

 

いついつまでも永遠の愛の中、どこどこまでも無限の愛の中なのです

こんな不思議なことが人生だなんて全く知らなかった

 

あらゆることは言葉の概念

起こることには意味はない

あらゆることはただただ起こる

 

意味付けは幻想、意味はない

思い通りにするは幻想、無駄なこと

あらゆることはただただ起こる

 

私、神、仏という区分や分離は苦しみを生む

神と私、仏と私と分離する思考が働くと苦しみや罪悪が生まれる

ただ起こることはすべて愛からであり、そこに苦しみや罪悪はないのです

 

すべて手放し、すべて一体、すべて無限

ひとつであるのに無限なのです

無条件なのです

無償なのです

だから不安が消えるのです

だから恐れが消えるのです

だから自由なのです

だから本当の喜びなのです

たったこれだけのことなのです

けれどもこれが深く広い愛という最高の叡智なのです

 

現状をなんとかしたくて長い間探し求めていたんです

求めれば得られるものではなかったなんて気づけませんでした

 

探していたものを得るのではなく、得られないと手放したところに愛、慈悲があります

そのまま、あるがままのときめく、輝く、きらめく世界が今ここに現れています

 

(遍満の愛、慈悲)

すべてをこの視点から見ると、遍満の愛、慈悲に生きていると知らされます

 

すべての人が遍満の愛、慈悲の中に生きているんだなんて知りませんでした

罪悪観は思考でつくったもの

起きる思いも起きるまま

 

罪悪を自分でなくすことではないのです

すべては愛からだったと気づく時、今まで罪悪と感じていたことが、音をたてて崩れます

認識違いだった、思い込みだったと

 

こんな思考に気づくとき、罪悪が消えていくのです 思考が消えていくのです

思考はなく、ただただ起きているだけなんですね

そこは永遠の愛の国、無限の慈悲の園

 

つかめないものなのに追い求めていまんせんか?

一瞬にして消える思考を追い求めているんだもの

それは無理なのです

 

分離の思考が愛、慈悲に気づかなくさせているのです

分離の思考がないということは、

私、あなた、神、仏って別々にあるのではなく

みんな同じということなんです

ここがポイントなのです

 

なにそれ!そんなこと思いもしなかったって!

分離がないというのは今までの認識がひっくりかえることなのです

 

これがこの世界の本当のありようなのです

 

あなたという私 私というあなた

愛、慈悲という幸せはみんな同じですね

 

わかっている人わかっていない人の分離はないのです

わかるわからないの前の世界なのですから

愛、慈悲はすべてひとつで同じですね

 

悩みは消えていくのです

不安は消えていくのです

ずっとずっと愛の中ですから

 

無限の愛、慈悲というのは、感じようとすると感じることができません

得ようとすることが邪魔しています

得ることなどできないのです

得ようとする前から愛、慈悲の中なのです

 

洋服を着ている人に洋服を着るにはどうしたらいいですかと聞かれたら、いやもう洋服着ていますよと言いませんか?

洋服の着方は学ばなくていいのです

だってもう着ているのですから

もう着ているのにこれは洋服ではないと否定して、洋服はもっと特別なものとイメージしていませんか?

洋服というイメージをつかんで自分のものにすることはできないのです

洋服はもう着ているのです

 

洋服は愛、慈悲です

 

愛、慈悲はあたたかいもの、甘いもの、響くもの・・・と、思っていませんか?

思うことそれはすべてイメージです

イメージはあくまでもイメージでそれを実現することはできないです

 

一言でいうと愛、慈悲はつかむものではなく、手放したところに満ちています

「放てば満てり」 先哲は一言で表現されています

 

愛、慈悲がわからなくていいのです

満ちていることを実感として求めなくていいのです

わかる、わからないに関係なく、愛、慈悲の中です

愛、慈悲をわかろうとすることはあきらめてくださいね

愛、慈悲をあきらめる一歩が大切です

愛は思考が働かないところに満ちています

 

(思考を働かせない)

思考は働かせないでください

思考を止めてください

じっとしてください

じっとしてください

 

ただじっとしてください

ただじっとしてください

 

 

そう、そこです

そう、今です

そう、ここです

 

 

え、な~んだ でしょ

そうなんです 

な~んだなんです

 

思考が止まれば、愛にときめく世界がすでにあります

思考がはたらかなければ、慈悲に輝くふるさとだったと安らぎます

 

わからなくていいのです

だってわかるということとは違うことですから

わかるはイメージです

わかろうとすることはイメージだと気づくとき、わかろうに力をいれていることは無理なことだと知るのです

 

言葉、概念は思考という分離の世界

思考という分離のない世界に愛、慈悲はあります

すでにここはふるさとの愛、慈悲の中です

 

かつて”ときめき”は一時的な言葉と受け取っていましたが、今”ときめき”は永続的な開かれた世界に変わりました

常に新しいときめきの世界

 

あなたはときめいています

あなたは輝いています

あなたはきらめいています

 

愛、慈悲のあなた

 

新 正人