あらすじ

宣孝(佐々木蔵之介)から求婚され、さらには、周明(松下洸平)からも一緒に宋へ行こうと誘われるまひろ(吉高由里子)。しかし、心の内には道長(柄本佑)が…。一方内裏では、一条天皇(塩野瑛久)が定子(高畑充希)と生まれた姫皇子に会いたい気持ちを募らせていた。詮子(吉田羊)は一条の願いをどうにかかなえてあげてほしいと道長に懇願する。行成(渡辺大知)の案で、内裏の外で会えることとなったのだが…

 

 

感想

 

周明の国際ロマンス詐欺、秒で失敗( ̄▽ ̄;)

 

 

お似合いなんだけどね~。

 

でも、まひろには心から愛し愛され、互いに苦しいほどに求め合った道長との記憶があるからね。

 

周明の愛の言葉がニセモノだと分かってしまう。

しかし、失敗したと分かった途端に凶器つきつけて脅迫って極端過ぎないか。

松下洸平さんを起用してこれで退場とは思えないから、まだ今後、道長やその周辺の人を治療する医師として再登場したりするのかな。

 

 

 

そして宣孝さまの大人なプロポーズ。

 

「器が大きい!」って思ってしまいますが、この時、宣孝さまにはすでに何人もの妻と、その妻との間に出来たまひろとそう年齢も変わらない子どももいて、まひろに全力100%じゃないんですね。

 

まひろがいなくても十分満ち足りたいい人生なんだけれども、でも、まひろが一緒だったらもっと楽しいよな、くらいのニュアンス。そりゃ寛大にもなる。

まあ、自分は他に何人女がいても、まひろには自分一人を想い続けていて欲しい…とか思ってそうな道長くんと比べたら段違いに大人。

 

そこに舞い込んださわさんの訃報。

 

 

筑紫からわざわざ知らせてくれたのは、さわさんの旦那さんかな。

 

「まひろさまは本当に素敵な方なのよ、私の自慢のお姉さまなの」って、文を見せながら嬉しそうに得意そうに旦那さんに話しているさわさんの顔が目に浮かぶ( ;∀;)

 

妻の最後の声をまひろに届けてくれた旦那さんは、さわさんのことを愛してくれていたのかな。いつも居場所がないといっていたさわさんの筑紫での生活が幸せなものであったことを願います。

 

友であり姉妹のようでもあったさわさんの突然の死に無常観を感じたまひろは、宣孝の求婚を受け入れることを考え始めます。

 

そして伊周の生霊に怯える詮子さま。

もう亡くなってる道隆や貴子の亡霊じゃなくて伊周っていうところが、これが詮子の「心の鬼」が引き起こしたものだということが分かります。

 

伊周が流罪となったのは、花山院への狼藉に加えて国母である詮子への呪詛が大きな要因でしたが、その呪詛自体が彼女自身の自作自演でしたからね。

 

まあ、でも道隆さまが本気出して怨霊化したら、たいていの人は目剥いて気絶すると思うので(画像は崇徳院であられた頃の道隆さま)

 

 

出てきたのが伊周くんで、まだ良かったのではないでしょうか( ̄▽ ̄;)

ちなみに今後も、詮子と道長は事あるごとに中関白家の怨霊に苦しめられることになります。

 

そして、定子と一条天皇の再会。

 

 

おめめぱっちり、ほっぺふっくらの脩子内親王のお可愛らしいこと(´▽`*)ラブラブ

本当に主上にも中宮さまにもよく似ていらっしゃる。

 

史実では、この時、最初に脩子内親王と定子と対面したのは東三条院詮子。

詮子は初孫にあたる姫宮を抱き、涙ぐんだと言われています。

 

『源氏物語』でも描かれていますが、この時代、「女一の宮」というのはちょっと特別感があるんですよね。

世の人すべてが仰ぎ見る至高の存在というか、手の届かない不可触の女神というか。

 

ちなみに定子の入った「職御曹司(しきのみぞうし)」は内裏の東、建春門を出てすぐの場所。

 

すぐの場所ですが内裏ではないので、本来、后妃が入る場所でも、ましてや帝がそこを訪れる場所でもありません。

 

 

ちなみに定子の立后後に、詮子の存在を疎ましく思った道隆が彼女を追いやったのがこの「職御曹司」でしたね。因果は巡る…笑い泣き

 

そして、今回、「一条天皇と定子はよりを戻した」ことが思いのほかハッキリと描かれていましたね。

 

 

誰にも祝福されない、世間が許さない恋。

それを貫こうとされるのが、これまで私心を制し、賢君としてあろうとつとめてこられた一条天皇だということに胸がギュッとなります。

 

これが間違っている、非難されるべきことなのは分かっている。

 

それでも帝は定子に会わずにはいられなかった。

そして、一度会ってしまったら、皇女の父と母、というだけの関係ではいられなかったんですね。

 

帰ってきた隆家くん。なんかけろっとしてましたけどね( ̄▽ ̄;)

 

 

ちなみにやけに早く帰ってきてたのは、病を理由に配流先の出雲(島根県)まで行かずに但馬(兵庫県)にとどまっていたから。

 

今は道長に調子良くすり寄って見せている隆家ですが、なかなかにそれで終わる人ではないので今後が楽しみです。

 

ちなみに後白河上皇の寵臣であり、のちに平治の乱の首謀者となる藤原信頼はともにこの隆家の子孫です。

 

さてさて。定子が脩子内親王とともに一条天皇と対面したのが長徳3年(998年)6月。

 

道長が彰子を入内させるのが長保元年(999年)11月ですから、あと1年半しかありません。

 

この期に及んで娘の入内を検討しているそぶりすら見せない道長が、一気に方向転換するにいたるのは、定子に夢中で朝廷の規律を乱すようになった一条天皇を、自分の理想とする世を築くための帝として相応しくないと見限るから?

 

それとも次回、知ることになるっぽい、まひろと宣孝さまの結婚の知らせが影響することになるのでしょうか。