あらすじ

 

兼家亡きあと、摂政の座を継いだ道隆は専横を極めていました。

 

周囲の「先例がない」という声を無視して、強引に定子を中宮に立てると、息子の伊周らを露骨に昇進させます。

 

道長は、中宮大夫に任じられますが、困窮する民を無視して、公費を湯水のように使おうとする道隆のやり方に納得がいきません。

 

一方、すっかり親しくなったさわと石山詣でに出かけたまひろは、そこで蜻蛉日記の筆者である寧子と出会い…。

 

 

 

感想…というか雑感

 

4月からちょっとバタバタしていて、めちゃめちゃ周回遅れですが、感想あげていきたいと思いますあせる

 

兼家パッパ亡きあと分かりやすく調子に乗る道隆さま。

 

 

身内ばかりを露骨に昇進させるやり方で全方位の反感を買っています。

このあたりは史実なのかなー。

 

私の中での道隆さまは、「大鏡」や「枕草子」に登場するお姿がベースなので、陽キャな風流人で人を惹きつける華があるイメージなんですけどあせる

 

井浦さんは大好きなんですけど、私の中での道隆像は佐々木蔵之介さんが演じている宣孝のキャラの方が近いかも。

 

そして今回は運命の出逢いが…。

 

清少納言(ききょう)が中宮定子のもとに上がったのは正暦四年(993年)頃だと言われています。

 

この時、定子は一条天皇より3歳年上の17歳。まさに花も盛りの輝くような美しさですキラキラ

 

 

そのお姿を目にしたききょうはこの表情。

 

 

この後、千年の後にまで語り継がれ、日本史上にも文学史上にも燦然と輝き続ける空前絶後の「推し活」が始まった瞬間ですねラブラブ

 

本作では、結構ハキハキと中宮さまの御前でお話していたききょうさんですが、清少納言自身は、初出仕の頃の思い出を枕草子でこんな風に書いています。

 

宮に初めて参りたる頃、ものの恥づかしきことの数知らず、涙も落ちにければ

夜々参りて、三尺の几帳のうしろに候ふに

絵など取り出でて見せさせ給ふを、手にてもえさし出づまじうわりなし

 

それまで邸の奥深くで主婦として暮らしていた人が、宮中で不特定多数の人に顔を晒して過ごすことだけでも大変なストレスです。

緊張のあまり、ともすれば涙がこぼれそうになります。

 

のちにはその物怖じしない才気煥発ぶりを讃えられる清少納言も、出仕したばかりの頃は、昼間は自分に与えられた局から出ることも出来ず、夜になるのを待ってこっそりと御前に参上していました。

 

几帳という移動式の衝立のようなものの後ろにひっそりと隠れるようにして座っていると、それに気がついた中宮が絵を取り出させて見せて下さろうとします。

 

あまりの晴れがましさと恐れ多さに、差し出された絵を受け取るために手を出すことも出来ず、どうしようかと困り果ててしまう清少納言

 

なんとも初々しく可愛らしい初出仕の姿です(*´艸`*)

ここで注目すべきは、清少納言のしおらしい姿ではなく、定子の振る舞いです。

 

ガチガチに緊張して差し出された絵を受け取ることも出来ない清少納言に、定子は「この絵はこうなのよ。こちらの絵はこうかしら?」と優しく声をかけます。

 

有名な歌人の娘としてその才能と学識を期待されて出仕したものの、やたらと物怖じして引っ込んでばかりいる姿を見たら、落胆されても仕方がないところを、定子は自らその緊張をほぐそうとしてくれたのです。

 

後宮の頂点に燦然と君臨する后の宮が、一介の受領の娘である新参女房に。

 

この一場面だけでも、定子がただ大切に育てられた深窓の姫君ではないことが分かります。

 

定子は美しく教養が深いだけでなく、人を思いやりその気持ちを表すことの出来る優しさと行動力を持った女性でした。

 

さらに清少納言は続けます。

 

いと冷たき頃なれば、差し出させ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじう匂いたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと見知らぬ里人心地には「かかる人こそ 世におはしましけれ」と驚かるるまでもまもり参らする

 

とても寒い季節なので、定子が差し出した袖からわずかに覗く指先が薄紅梅色にほんのりと染まっています。

 

なんて美しいのだろう、こんな素晴らしい方がこの世にいたなんて、と清少納言はうっとりします。

 

この時代、女性の美しさをあらわす表現としては、

「たいそう上品なご様子で」

「なよやかに可憐な様子で」

などと物腰や、雰囲気を褒めるか、

「袿の裾に髪がかかっているのが柳の糸をよりかけたようで…」

と髪の美しさを讃えることが多い気がするのですが

 

そんな中で清少納言は、定子の袖からわずかに覗いた指先の美しさに目を止めているのが印象的です。

 

ほんの指先だけでも常人とはまったく違う、神々しいばかりに美しい后の宮の姿が千年の後の今でもありありと目の前に浮かび上がってくる気がします。

 

 

 

 

 

さわと二人で石山詣に出かけたまひろ。

 

 

暮らし向きは苦しくても行かせてくれる為時パパは優しいですね。

 

自分が官職につけず、位も低いせいで婿のなり手もなく女房としての出仕もままならないことを、まひろに申し訳なく思っているんだろうなぁ。

 

お寺の宿坊での寧子との出逢い。

 

寧子さんは、兼家パッパが亡くなって出家したんですね。

 

文学トークに花を咲かせる2人。

兼家との日々を日記に書くことで、妾としての悲しみを紛らわせたという寧子。

藤原道綱母が、こんな風に大河ドラマでクローズアップされる日が来るとは……感慨深いです。

 

 

道綱は頼りないけれど、可愛げがあって憎めないですね(´▽`*)

兼家パッパの可愛らしい部分を凝縮した感じ。

そりゃあ寧子さんも可愛くて、でも先行きが心配だろうあせる

 

 

夜這いの相手が間違っていたエピソードは「源氏物語」空蝉の巻にも出てきますね。

光源氏は間違いに気づいたあとも、「ずっと前からあなたが好きでした」とか言ってそのまま続行しちゃうけど、ひたすら謝って撤退する道綱はお人好しなのか、気が小さいのか。

 

さわの方は、道綱だと確認した上で明らかにその気になってましたから、あそこで撤退されるのはかえって切ないだろうなぁ。

 

道綱の妾になれば、居心地の悪い今の家を出られるかもしれないし、何より自分を邪慳にしている父や継母を見返すことが出来る…って一瞬、夢を見たよね。

 

「どうせ私なんて…! もう死んでしまいたい」

と拗ねるさわ。

 

でも、まひろにはさわの気持ちは分からないだろうなぁ。

まひろって、かなりつらい境遇にたたされても誰かを妬んだり僻んだりする感情がなさそうですよね。

 

そのあたりは為時パパ似なのかなぁと思います。

 

中関白家、ガチ推し勢なので正直ここ数週は見ていてなかなかしんどい部分もあるのですが…。

 

でも、「こんなの違う! もう見たくない!!」っていう気持ちにはまったくならないです。ストーリーはすごく面白くて毎週引き込まれます。

 

ただ、道隆さまや伊周さま、定子さまはこんな一面もおありなんですよ、というのを今後も書いていけたらいいな。