あらすじ
花山天皇の突然の退位にともない、為時は式部丞と蔵人の職を解かれます。
まひろは、左大臣にとりなして貰おうと倫子のもとを訪ねるが、
「摂政の意志は帝の意志と同じ。いくら左大臣でも覆せない」
と諭されます。
思い余ったまひろは、兼家に直談判に行きますが、
「最初に去ったのは為時の方である。自分の目が黒いうちは官職につく日は来ないと思え」
と断言されます。
摂政となった兼家は、人目も憚らずに息子たちを露骨に昇進させます。
道隆は権大納言、道兼は参議。道長は五位の蔵人となりました。
道綱の母の寧子は「道綱のことも忘れないよう」と兼家に釘をさしますが当の道綱は、能力に合わない出世をしても、と今のままで十分だと言います。
即位の朝、天皇が着座する高御座に生首が置かれていました。
駆けつけた道長が事を隠密に処理し、即位の儀は何事もなかったかのように執り行われます。
まひろの家は為時が失職したことで、使用人たちに暇を出さなければならなくなりました。残ったのはいとと乙丸だけで、まひろ自身も掃除や畑仕事に精を出します。
そんな姿を物陰から垣間見ていた道長は、まひろへの想いを募らせ、彼女を先日の逢瀬の場所へと呼び出します。
やってきたまひろを抱きしめ、「妻になって欲しい」という道長。
しかし、「北の方にしてくれるということ?」というまひろの問いに道長が返した答えは……。
感想
一週遅れになってしまいました
なのでさくっと。
「妾になれ、ってこと…?」
「…そうだ。北の方は無理だ」
道長、直球ーーーーー( ̄▽ ̄;)
「北の方は無理」って一瞬の躊躇もないのね。
それはそう。正直なのはエライ。
でも、まひろに妾はイヤと拒絶されて
「ならばどうしろと言うのだ!!」
と即ギレしたのはエラくない。
エラくはないけど、ここまで他の兄弟に比べていい子ちゃん過ぎた道長の、「都でも屈指の権門貴族の御曹司らしい傲慢さ」がやっと見られて「そりゃそうだよね」と納得する気持ちもある。
道長にとっては「妾にする」だけでも、最大限に譲歩して相当の覚悟を持って言ったつもりなんだよね。
道長の身分だったら、まひろを女房の一人として実家の東三条殿か、姉の詮子のもとへ出仕させて、そのうえで愛人の一人にするっていってもおかしくない。むしろそれが普通。
けれど、それをしないで通い所の一つとして遇すると言っているのは道長の精一杯の誠意と愛情ですよね。
実際、まひろの父の為時も高倉の人を、ちやはのような正妻として扱ってはいないけれど大切にしている。
正直、そのへんの男の正妻になるよりは道長の第三、第四夫人になった方が良い暮しが出来ると思うし。
子どもでも生まれたら寧子さんくらいのポジションにはつけるはず。
生まれた子が女の子で、まひろ似の美人なら、道隆さまのところの貴子さまコースも夢じゃない。
もう正直それで良くない?
だって、それ以外もう二人が一緒にいられる道はないでしょーー( ;∀;)
でも、それをしたら、まひろはまひろでなくなるし、「源氏物語」は生まれないし、そうなるとこの「光る君へ」も存在しないということになる。あああ…。
もうね、ほんと
この心境よ…。史実とか物語としての整合性とか、諸々の隙間をかいくぐって、なんとか道長、まひろの幸せルートは見つからないのか。
そしてここに来てかなり肉食系な一面を見せてきている倫子さま。
道長のことを好きなのは、今のところ打毬の時にみた勇姿に一目惚れしたっていう理由だけ?
でも打毬の前に、猫を追いかけるふりして兼家の前に現れてアピールしたりもしてたしなぁ。
あの場には関白の頼忠さまもいたし、評判の高い公任と右大臣家の子息たち、どっちも狙いだったのかな。
帝の后がねとして育てられ、当時の女性としてはかなり婚期を逃しまくった大年増になってしまっている倫子さま。
ここまできて結婚するからには、他の姫たちに羨まれるような相手じゃなくっちゃ! くらいは思ってそう。
道隆(大鏡にも栄花物語にも超イケメン貴公子だったと書かれてる)がもっと若くて同世代だったら、身分の低い貴子さまを追い払ってでも自分がゲットしにいったんだろうな。
道隆さまといえば、ついにご登場。
中関白家のプリンス。
伊周さま
公任さまに続いてリアル光源氏2号。
いい感じに傲慢で、いい感じに調子こいてる。
いいぞいいぞー(≧∇≦)
定子さまと伊周兄上はこれくらいの年齢差なのかーっていうのも見られて楽しかったです。
晴明が伊周、定子の兄妹をじっと見ていたのが気になりました。
彼の目には彼らの行く末が見えているのでしょうか。
しかし、まひろと道長の恋は先週で終止符が打たれたのかと思っていたら、2人ともまだ全然、未練ありまくりでビックリしたΣ(´∀`;)
まあ、そんなに簡単に割り切れないよね。
そして今回ついに即位の一条天皇さま。
可愛いーーー(*´ω`*)
御年7歳。
ちなみに東宮にたてられた居貞親王(のちの三条天皇)は、兼家の娘、超子の産んだ皇子。兼家にとってはどちらも孫なんですね。
花山天皇には異母弟にあたります。
失意の底に沈み、播磨国書写山に旅立っていったとナレで言われていた花山天皇ですが、まだまだこれでご退場ではありません。
道隆の子、伊周、隆家──そして定子さまの運命に大きく関わってきます。
あー、この時代本当に面白くて大好き。
毎週、日曜日が楽しみです