今年の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」の主人公、北条義時には複数の妻がいました。
そのなかで、何人がドラマに登場するのか分かりませんが、恐らく登場するだろうと予想されるのが最初の正室「姫の前」と、継室──つまり二度目の正室「伊賀の方」、そして三代執権・泰時の生母である阿波局です。
以下、「鎌倉殿」の今後の展開的にネタバレ嫌よという方はここでブラウザバックして下さいませ。
姫の前
最初の正室、姫の前は鎌倉幕府の御家人、比企朝宗の娘で将軍の御所につとめる女房でした。
大変に美しく、頼朝もお気に入りの女房だったようで吾妻鏡にも
「比企の籐内朝宗が息女、当時権威無双の女房なり。殊に御意に相叶う。容顔太だ美麗なり」
と記されています。
父の名でも分かる通り、頼朝の流人時代を支えた乳母、比企尼の一族の出身でした。
頼朝は自分の不遇時代に変わりない忠義を尽くしてくれた比企尼とその一族に並々ならぬ感謝と信頼を寄せていました。
姫の前が御所の内で並びない権勢を誇り、頼朝のお気に入りであったというのも、本人の美貌や資質もさることながら、比企一族の娘だったからなのかもしれません。
この姫の前を義時が見初めました。
一年余りの間、せっせと恋文を送りましたが姫の前はいっこうに靡かず。
見かねた頼朝が、義時に「決して離縁はしない」という起請文を書くことを条件に2人の間を取り持ち、結婚に至ったと言われています。
建久3年(1192年)。姫の前は義時に嫁ぎます。
この時、義時は30歳でした。
当時としてはかなりの晩婚だと思うのですが、何か理由があったのでしょうか(・・?
とはいえ、姫の前との結婚前に義時は、阿波局という女房との間に長男、金剛(のちの泰時)をもうけています。
義時と姫の前との間には、二男一女が生まれました。
夫婦仲も睦まじく幸せに暮らしていた義時夫婦を悲劇が襲います。
頼朝の死から四年後の建仁3年(1203年)9月。
比企能員の変が起こり、姫の前の実家の比企家は滅ぼされてしまいます。
乱の直後、義時は姫の前を離縁しました。
義時が頼朝に誓った「決して離縁しない」という約束は果たされなかったのです。
離縁された姫の前は、その後上洛し、都の貴族、源具親に再嫁したと言われています。
姫の前が義時との間に生んだ二人の男子のうち、朝時は名越流の、重時は極楽寺流の祖となりました。
比企の乱さえなければ、義時のあとを継いだのは庶子である泰時ではなく、正室腹の嫡子、朝時であったのかもしれません。
伊賀の方
義時が姫の前と離縁したのちに、継室として迎えられたのが伊賀の方です。
幕府の御家人、伊賀朝光の娘で、母は十三人の合議制のメンバー──つまり「鎌倉殿の13人」の一人二階堂行政の娘でした。
元久2年(1205年)に義時の五男の政村を産んでいることから、姫の前を離縁した後、ほどなくして妻に迎えられたと考えられます。
義時との間に分かっているだけでも三男一女をもうけています。
事件が発覚したのは義時の死後です。
伊賀の方が兄の光宗と共謀して、我が子・政村を次の執権位に、娘婿の一条実雅を将軍の位に据えようとしたというのです。
父の死の知らせを聞いて、京から急ぎ戻った義時の嫡子・泰時は、伯母である尼将軍、政子に呼ばれ、次の執権に任じられました。
泰時は、政子や北条家の後援を受けて伊賀氏の陰謀を未然に防ぎます。
伊賀光宗は所領を没収されたうえに信濃に配流。
伊賀の方とその他の兄弟も、それぞれ所領を取り上げられて配流とされました。
ただ、担ぎ上げられた当人である泰時の異母弟・政村は不問に付され、罪には問われませんでした。
これは、頼朝の死後にたて続けに起こった有力御家人に対する幕府の対応の苛烈さを思えば、不思議なほどの処分の軽さです。
これまで、北条氏は自分の立場に成り代わろうとする一族を徹底的に排除してきました。
頼朝の信頼の厚かった梶原景時。
頼家の後見役であった比企一族。
実朝が信頼を寄せた和田一族。
皆、幕府の名のもとに追討され、一族殲滅に近い処分を受けてきました。
本来ならば伊賀一族も同じ運命を辿ったはずです。
それが何故、こんなに軽い処分で済んだのか。
それは、この陰謀自体がそもそも北条氏側の言いがかりで、伊賀の方も伊賀一族も政村を担ぎ上げて執権位を狙う意図などなかったから。
つまり、この陰謀自体が義時の姻戚として幕府内で力を伸ばしつつあった伊賀氏の力を削ぐための、北条氏のでっちあげ、という意見もあるそうです。
伊賀の方には、義時を暗殺したという黒い噂もつきまとっています。
義時の死から三年後、捕らえられて六波羅探題で尋問を受けた尊長という僧が、苦痛に耐えかねて
「義時の妻が、義時に飲ませた毒で自分を殺せ!」
と叫んだという話が残っているのです。
尊重は、頼朝の妹婿・一条能保の息子で、伊賀一族が将軍に担ぎ上げようとしたとされている伊賀の方の娘婿、一条実雅の兄弟ですから、知っていたとしてもおかしくはないのですが……。
なんにせよ、乱のあと、北条家のお膝元、伊豆北条に幽閉された伊賀の方は、それから四か月後、配所で危篤に陥り、そのまま亡くなったといわれており、真相は闇のなかです。
阿波局
そして最後の一人は阿波局。
姫の前の項でも少し触れましたが、この人は義時の長子、泰時の生母です。
ただ、御所に仕えた女房だったということ以外、詳しいことは分かっていません。
泰時が生まれたのが1183年。
この時、義時は21歳ですからこの阿波局が一番最初に彼の側に上がった女性だったのかもしれませんね。
今年の大河ドラマでは、私はこの阿波局が新垣結衣さん──八重さんなんじゃないのかなと思っています。
なにしろ阿波局に関しては、出生や生没年などがいっさい不明なのでかなり自由に創作出来るんですね。
義時には生母不明の子どもが何人かいるので、その母であったことにも出来るし、没年も不明なので最後まで義時と添い遂げたことにも出来る。
先述の二人の奧さんを見て貰う限り、義時の家庭生活はかなり波乱万丈。
ハッピーエンドとは言い難い状態です。
そこを埋めるために「八重さん=阿波局」の存在を入れてくるのかな、と。
これはかなり当たってるんじゃないかと思います。
と、いうのも実は同じ大河ドラマで前例がありまして……。
同じ時代を扱った大河「草燃える」のなかで、松坂慶子さん演じる大庭景親の娘、茜が、父の死後、義時に引き取られて、泰時の母となっているんですね。
「草燃える」の話は、かなりドラマティックでめちゃめちゃ面白いので、また別記事でゆっくり触れたいと思うので、ここでは置いておきます。
この「平家方についた敵武将の娘」という茜さんの設定が、八重さんと丸かぶりなんですよ。
といってもパクりとか言いたいのではなくて、コアな大河ドラマファンとして有名な三谷幸喜さんのことですから、過去の名作オマージュとしてこれくらいはやるのかな~と。
でも、「草燃える」放送当時とは時代も違うし、茜さんと八重さんのキャラもかなり違うし、同じ設定で突き進んだら、八重さんはけっこう視聴者ヘイトを集めてしまいそうな予感……。
松坂慶子さん演じる茜さんは、結構巻き込まれ方というか、可憐で儚げなヒロインなので「ああ、可哀想……」ってなるけど、八重さんは今のところ、江間次郎に対する扱いなんかを見ていても、気が強くて、気位も高い、結構なワガママお姫様ですよね。
そして、茜さんは悲劇のヒロインとして幸せになることなく退場していったけれど、八重さんはこのまま阿波局コースを進んで、義時の最愛の妻ポジションで生涯生きていくとなるとちょっと「いいとこどり」のような気がします(-_-;)
もちろん、千鶴丸くんのこともあるので八重さんがつらい思いをしているのは確かなのですが……。
このまま、義時の妻として頼朝の目のつくところをウロウロして、頼朝からも義時からも好かれて……ってなると政子ちゃんが可哀想かも( ;∀;)
でもまあ、「真田丸」で序盤あれだけ、ああだこうだ言われたきりちゃんを終盤、皆に愛されるキャラクターにしちゃった三谷さんですから、今回も何か途中で引っ繰り返されるタイミングがあるのかな。
ともあれ、姫の前と伊賀の方。
登場されるのなら、今からキャスティングが楽しみです